15.メリルボーン4
疲れに眠っているか、悔しさに起きているか。どちらかと言うなら後者の可能性が高い。二階の端の窓の明るさに『彼』は笑みを禁じえなかった。
彼女の性質を知る自分が予想を違るはずはない。他の窓に灯のないことを確認し、姿を隠してくれていた闇とニセアカシアの葉との二重のカーテンから一歩を踏み出す。
洩れる光を一筋二筋、反射させるはマントであった。時に風を起こし、時に隠れ蓑になる黒。『彼』の手にかかれば自由自在、となっているはずである。
数年以内には、必ず。時には扱い損ねることもあるそれを、成長過程の彼は多少もたつき気味に引っ張り上げた。まぁ客のいない今、失敗したところで構いはしない。
夜露に湿る芝を駆け、音もなく煉瓦の外壁を登っていく。優れた怪盗として必要なことの数々を、『彼』はすでに相当に学び取っていた。
免許皆伝へのステップはあとほんの数段。と、これは自身の判断なのだが。
ともかくもバルコニーまではたどり着いた。と言えたなら良いが、彼女は部屋にバルコニーを持ち合わせてはいなかった。
シェイクスピア芝居のようにはいきはしない。小道具は領域に在るというのに、気の利かない話だ。
代わりで我慢致しますとも、一人ごちて『彼』は張り出し窓の前までたどり着いた。ひさしのわずかなスペースに、『彼』――ジュニアは足を乗せて、危なげなくバランスを保つ。
絶妙のタイミングで雲が切れ、天からライトが真っ直ぐに注いだ。効果は充分。浮かび上がるシルエットは、影絵に切り抜きたいくらいに綻びのない美しさであろうことよ。
さぁ、だんだんと気分が高揚していった。血・湧き、肉・躍る。さてとこれから一芝居不思議なほど、失敗の恐れは感じていなかった。絶対的な自信と安心がある。
こういう時は、すべてがうまく運ぶはず。そもそもこのマントを羽織ったときに、そんな文字には出会わない。
違った。ジュニアは口の端で笑った
先代はともかくこの僕は。
風のない初夏の晩、鎧戸は開かれ、窓も錠されてはいなかった。無用心結構 先に侵入している月光の上に、ふざけた着地をしてみせる。
自分のためにポーズを極めて、そこからは消す必要のない足音を、ひとつ、ふたつ。みっつめを降ろす前に、声を聞いた。
「誰なの?」
幽霊だとでも疑ったのかもしれない、声の大半は息だった。ジュニアはベッドの側まで歩を進めると、丁寧に身をかがめ、雅なお辞儀をして見せた。
「答えは身の内にお持ちでしょう。光栄にもこの一週間というもの、あなたの心を占めていた男でございますから」
「ドラゥフト、……なの?」
「謎を解きに参りました。質問に答えに、がよろしいか。あなたの望みを叶えますよ? 私との会見がご希望だったと推察しましたが、まさか間違ってはいないでしょう」
傍らに、居間で見たものと同じ本が一冊。その下からわずかに封筒がはみ出ている。恋人からの手紙でも読み、慰めにしていたのだろうか。
これにはジュニアは面白くなさげに眉を吊り上げた。常は結い上げている髪は背中に垂らし、ゆるくリボンで結んでいる。
ランプの灯りはすべてを淡く映し出し、そのくせ鋭い力を持っているようだ。ジュニアは身の内のどこかの音を聞いた、ように思った。無意識に手が胸を押さえていた。鼓動だろうか。
声までもやわらかに聞こえる。
「会えたらなんて尋ねたらいいのかしら、と思っていたのだけれど」
「質問ですか」
「謎の一部は解けたように思ってしまったわ。わかったような気がしてしまいました。ですから、ご登場にお礼を申し上げなきゃね」
「登場だけに?」
「えぇ。初めには」
「すぐにまた言いたくなります。あなたはね」
息を吸い、そう言ってしまえばペースは取り戻せたようだった。さきほど胸を押さえたときに、指先が服の内側の丸みに触れた。
宝玉。生まれる前から彼女の権利であったもの、しかし一度も見ることも叶わずにいたもの。ジュニアは近づき、メアリーアンの手を取った。
「なにしろ、お探しのものを持って参ったのですから」
もう一方の手がかざしたネックレスの、影が薄っすらとベッドに浮かんだ。まろやかに、光に透けるかのようだった――




