10. メリルボーン
イヴェット・メイスンは扉を開き、あんぐりと口を開けた。歩道を行く人間からも、歯の数も確認できるほどに見事な開けっぷり。
もっとも目にした人間は数など数えようとはせずに、素早く目をそらしたものだったが。
来訪者たちの背中で扉が閉じるのに合わせてぱたんと口も閉じ、しかしすぐに同じくらい大きく開き直して、思いッきり言った。
「まああ、なんです? なんなんです、何をしてきたんです、あなた達は!」
その勢いで、壁の額まで落としそうだな。ルークはフレディの陰に身を潜め、こそりとそんなことを思う。
声は玄関ホールに響き渡り、こだまが蔓延しているようだ。もっとも発散されて向かってくる威圧感に、そんな風に感じているのかもしれないが。
誰より慣れているはず、そして叱責を受ける最もな理由を持っているこの家の娘・メアリーアンは、弱々しい声を出した。
抱きかかえられている状態では、フレディの陰に潜むわけにはいかない。そして彼には避けてくれようという意志などなく、むしろ突き出そうというような心持ちでいるはずだ。
「ごめんなさい、イヴェット。えぇと、説明は、……用意してからでいいかしら」
「言い訳の一つも考えないでこんな姿になったんですか? まぁ、用意の悪いこと」
「なるはずじゃなかったの。だから用意もできなかったのよ」
「最悪の事態も考えなさいと、言っているでしょう。いつもいつも、いつものことです! さぁ、こちらへ。いつまでもそうしているわけにもいきませんでしょうに」
いつもいつもいつものように、イヴェットはそれ以上メアリーアンの屁理屈は相手にしない。怒りのオーラを全身から放ちながらも、一同を手招いて下さった。
ぶつぶつと聞こえるつぶやきの、時折聞き取れる言葉はどれも物騒なものである。聞かなければ良かったと、三人はそれぞれにそう思い、視線角度は自然に落ちていくのだった。
なったことはないが、警官に連行される犯罪者の気持ち。経験から言うなら、先生に引きずられるイタズラ者の気持ち。
実際以上に長く感じられた廊下を進み、逞しい背中に続いて居間に入ると、イヴェットはソファを覆っていたカバーにくらいついていた。上等のレースに泥汚れなどとんでもない。
「そこで待っていらっしゃい、今このカバーをどかしますからね。はい! どうぞここに」
早業で下布を整え、大きな手のひらで座を二度叩く。ベッドでもソファでも、それはメイク時の仕上げの合図だった。誰に教えられたわけでなくとも意識せずに行ってしまう、まじないのような動作である。
上等な花瓶のように丁寧に下ろされたにもかかわらず、しかめられたメアリーアンの顔を見て、イヴェットは小言の残りを飲み込んだ。
無言のままクッションを具合良く整えて回る。感謝の言葉にまで返事をせずに、開けばしまったはずの言葉がこぼれ出てしまうとでも言うように、強く唇を結んでいた。
それが済むと、同様の強さでフレディを見据える。ついて部屋を出て来いと、意味は考えるまでもなかった。
玄関近くまで戻ったところで、とっくりと彼の有様を観察し、
「あなたまで、フレディさん。一緒になって泥遊びですか。分別をどこに落としてきたんです?」
「着替えて出直してきます。そうしたら、話を聞いてください。僕はかなりとばっちりなんです」
「そう思いたいですよ、私もね。お嬢ちゃんはお医者様に診ていただくべきなの?」
「僕がドクターに声をかけておきます。とりあえずは冷やしておいてください。そして逃がさないように見張っていてください。まったく信用できませんから」
「ではお願いするけれど、フレディさん」
「はい」
「この呼称をどうしますかねぇ、ぼっちゃん。ドクターの家に伺うのは、着替えてからにするべきよ」
しかし最後は多少、口調は和らいでいたようだ。
自らをそんな風に慰める。それから、そんなにひどい格好だろうか? と、改めて自分を見た。明らかに――何事かがあったらしい様態だ。
もはや土を掃う気にもなれない。落ち込むと言うのならその言葉でも良い、そんな気持ちのフレディに、ルークの声はひやかしているように聞こえた。
「すげぇ、フレディ。イヴェットさんと仲良くしている若造なんて初めて見たよ」
「仲良く?」
フレディは口の中でつぶやいた。そう。そうなのかもしれない。確かに他の人間よりは扱いはいい。いや、良かった、と過去で語られることになるかもしれない。
お守役として得ていた信頼は、ご本人が仄めかされたように風前の灯火だ。
お嬢ちゃんの友達だからぼっちゃん。イヴェットオリジナルの法則により、初めの頃はそう呼ばれていた。努力の末に這い上がったというのに、また一からやり直しなのか?
「ルーク」
事情はまったく見えていない。空の青さにごまかされている場合ではなかったと、今ではそう思う。
反省すべきが歴然の事故現場で聞き出すべきだったのに、風に吹かれて満足して座っていたのはなぜなんだ。
「君が僕に話せることは?」
「オレの口から? 話せるのはメアリーアンだけだろ」
「そうだろうと思ったよ」
ため息をつく姿を見れば。
気の毒だとは思うけれど、すまないとは思わないよ、フレディ。
ルークの頭に圧しかかるように広がっているのは、手、手、手の映像だった。
差し出された手。握られた手。
かばわれた。守られた。
躊躇わずにこの手をつかんでさえいれば、穴に落としはしなかったのに。それくらいのことができないわけはなかったのに。
これは屈辱だ。メアリーアン。




