6. 中間管理職はつらいよ
遅くなってしまいすみません。
ストックが切れました⋯⋯。
「えっ!?そんな⋯⋯」
驚愕と絶望に歪む顔。
静かな廊下の隅に動揺した声が落とされる。
「仕方がないことです」
やるせなさそうに首を振る。
「無理ですよ、そんな⋯⋯あなたがいないなんて⋯⋯。
俺、どうすれば⋯⋯」
「大丈夫、あなたなら出来ます。しっかり教えたでしょう?」
その言葉に、悲痛な顔をしながらも、健気に言葉を次ぐ。
「⋯⋯だって、マリア様も今娘さんの出産のためとかで休暇中じゃないですか!!無理ですよ!!この宮を1人で管理するなんて!!」
俺は人間です!!と主張するイリアスに、そうですか、私も人間ですと大真面目に返した上でシオンはさらなる説得を試みる。
シオンはレオナルドから側仕えの任を一時離れるよう言われた翌日、イリアスにその旨を伝えた。
そして、今の痴話喧嘩紛いの冒頭に繋がるわけである。
「そう言っても、私はまた別の任務がありますから⋯⋯」
「ぅぅ⋯⋯」
イリアスは基本的に他人を困らせるようなわがままを言う性質では無いし、シオンの任務が別にあるならば、イリアスの教育が邪魔になることも理解している。
しかし、これはあまりに酷い。
働き始めて数ヶ月の新人が宮内の管理を任される。
おかしい。
これは大抜擢などではなく単なるブラックな職場である。
教育どうこうの話では無い。
「楽しそ⋯⋯、激しい言い争いをしていたようだけど、大丈夫?」
「またあなたは事態を悪化させるようなタイミングで⋯⋯」
その時丁度、新人いびりも真っ青な命令を出した張本人が現れた。
にやけたその顔と漏れた本音を鑑みるに、現れるタイミングを見計らいながら面白がって観察していたのだろう。
「殿下!その、入ったばかりのお、私が口を出すことではないとは思うのですが、シオン様が側仕えを離れるというのは、どういうことですか?」
「そのままの意味だよ。
イリアスの教育も粗方終わったと聞いたし、熱心で飲み込みが早いそうだね、期待しているよ」
絶句。
タチの悪い冗談に違いないそうだそうだ。
「あ、シオンはしばらく宮に出仕することもないから、聞きたいことは今のうちにね」
2人っきりだね、と言ってふざける主を前にイリアスは白目を剥いた。
「イリアス、頑張れ⋯⋯」
「お早いお帰りを切に、切に、お待ちしております⋯⋯」
台詞だけなら運命に引き裂かれる恋人のようだが、その圧と眼力には恨めしさしか篭っていなかった。
※
「いやあ、面白い見世物だった」
執務室に戻り、カラカラと笑う主人を前に、シオンは海より深いため息をつく。
「笑い事じゃないですよ⋯⋯」
「そんな⋯⋯あなたがいないなんて⋯⋯っ、あっははははは」
マジで序盤から聞いていやがった。
キレてもいいだろうか。
「あいつ、舞台俳優とかいいんじゃないか、見た目もいいし」
「最後のあの殺気浴びたら相手が失神しますよ」
本当にちびるかと思ったことは流石に黙っておく。
あの小柄な少年(16と聞いて嘘だろと思った)から出たとは思えない迫力だった。
「あの台詞なら女優か。女顔だし女装させたら用心棒だとばれないんじゃ⋯⋯」
「本当にやめてあげてください可哀想すぎます」
第一あの少年にドレスの裾が優雅に捌けるかと言えば否だろう。絡まって繊細な刺繍を蹴り破るところまで想像できた。
しかし、いい線いくと思うんだけどなーとつぶやく主には思わず心の中で首肯した。
揺れる黒髪に、珍しい蜜のようなとろりとした金の瞳はくるくるとよく動き、パッチリとした二重瞼は影を落とすほどの長い睫毛に飾られている。つんとした小ぶりな鼻に、少し薄めだが微笑むと柔らかく弧を描き、冷たい印象を消す唇。あのままでもご婦人方に人気そうな甘い顔の少年だが、女装したらしたで大層な美少女になるだろう。黙っていれば。
中身は大の男を縮みあがらせる殺気を放つ凄腕の用心棒である。
眼光鋭い系美少女。誰得。
先程を思い出して身震いしたシオンは思考を逸らすように話を切り出した。
「私の新しい任務についてですが、早速調べたところ、彼は貧民街で生まれた訳ではなく、5歳の頃唐突に貧民街に現れたそうです。そういった貧民は珍しくないようですが、身元が分からない分調査は難航するかと」
「やっぱりな」
「え?」
「あいつの仕草、貧民にしては綺麗すぎると思わないか?」
そう言われて、教育前のイリアスの所作を思い出す。
「確かに⋯⋯」
「貴族や裕福な平民に過去行方不明者がいなかったかを調べてくれ。もし、俺の予想が当たっているなら⋯⋯」
「?」
「いや、なんでもない。行方不明者が分かったらまずはその数を報告してくれ」
「畏まりました」
シオンは主人の不審な呟きを深追いすることはなく、利口に頷き、退室した。
『もし俺の予想が当たっているなら』。
「⋯⋯俺はもう一度、あの子に会いたい。」
レオナルドが落とした小さな呟きは誰にも拾われることなく、静かな部屋に消えていった。