2. 同僚と書いて生贄と読む
昨日思考を放棄したツケだろうか。
今イリアスの目の前には銀髪碧眼のやけに綺羅綺羅しい男が笑みを浮かべ座っていた。
話はイリアスが家を出た時まで遡る。
イリアスは昨日言っていた薪を作ろうと、森へ行くつもりで家を出た。が、家の前に昨日の男が立っていたのだ。
イリアスはそれを見て一瞬固まった後、ごく自然に通り過ぎようとした。
男はガシィと彼女の肩を掴む。痛い。不満を視線に乗せて見上げると、男は力を緩めてくれたが、依然としてしっかりと掴んでいる。少しフードの端を持ち上げ、耳に顔を寄せてくる。フードから覗く美しい顔に思わず息を飲んだ。
「少し話をしたいんだ。君も家の前で騒ぎを起こしたくないだろう?」
脅してきやがった。
家には母がいる。心配はかけたくない。
イリアスは内心舌打ちしながら、渋々頷いた。
――――――と、いうわけで、今は貧民街から出て街の喫茶店で男がコーヒーを飲むのを見ていた。予め男には奢るから好きなものを頼んでいいと言われているが、顔を見せたくないためマスクもフードも外していない。土産だけたっぷり頼んでやろうと思っていた。
「まず、昨日の君がした推察はおおよそ合っている」
お見事、とでも言うように笑みを浮かべるが、別に自分の予想があっていたかどうかには興味がない。解放して欲しい。
「犯罪者ではないが、貴族だし、用心棒だと思われたくない事情もある。長期間の護衛を頼むつもりだったのは事実だし、それなりに強いと自負しているのも認める」
だが、と続ける。
「君の近づく気配は感じられなかった。
君は俺の予想を遥かに超える実力者だった」
褒められるのは素直に嬉しいが、この場合、あまりいいことではなさそうだ。
「だからどうしても君に頼みたい。腕がいいこと以外にも、諸条件において君は都合がいい」
やっぱりいいことじゃなかった。
この男が貴族なら、貧民の自分などいいように扱ってしまえる。攫われてもこちらは訴えられないのだから。
「君がこの依頼を断る原因は母君かな?」
一瞬で頭に血が登った。
「お前、母さんに手ェ出したら貴族でもぶっ殺す」
低い声で脅せば、少し息を飲む様子を見せたが、すぐに笑顔をつくり、そんな事しないよ、と手をひらひらさせた。
「そうじゃなくて、母君ごと君を貧民街から出すってこと」
「、は?」
「長期間だし、君の言う通り危険も大きいから、報酬はたんまり出そう。出来れば住み込みでお願いしたいから、部屋も用意する。母君の部屋も用意させよう」
母を人質にでもする気だろうか。
警戒が顔に出たのか、母君を人質に脅そうなどとは考えていない、と先に言われた。
「もし、君がこの仕事で死んだら、その後の母君の保護もする」
当たり前のようにされる、自分の死の仮定。
それでも、この条件なら一番の心配もなくなる。
問題は、
「お前がそれを守ってくれる保証は?」
「契約魔術でもかけるか?」
思わず目を剥いた。
契約魔術は、契約を破ると命を取られるほどの重い魔術だ。
貴族が貧民相手にそこまでするとは思っていなかった。
でも、これなら信用できる。
「それなら、いいでしょう。ご依頼をお受けします」
「ありがとう」
男は美しい顔に柔らかな笑顔を乗せた。
ただ、
(この店でいちばん高いもの頼んでやろう)
一度断った依頼を受けさせられたのは少し腹が立った。
※
(案外あっさりしたもんだ)
じゃあ早速、とその日のうちに廃屋で契約魔術はかけられた。
なんのことはない、互いの心臓の上あたりに手をかざしただけである。
現れた光の束が二人の間でほどけ、周りをくるくる回る様は綺麗だったが、ものの数秒で終わった。
体に違和感もない。
男が「三日後の夕方六時、迎えを寄越す」と言って口にした場所は、貧民街から近くも遠くもない、人通りの少ない裏路地の入り口だった。
(よほど俺を雇ったことを知られたくないらしい)
薪を取り終わったら、家に帰って母に住まいを移すことを説明せねば。
※
「どうでした?イリアスという用心棒は。」
「ああ、なかなか面白そうなやつだった。頭も悪くない」
この王宮内で数少ない、男の味方であるシオンに返事を返すと、疲れたように彼は眉間を揉んだ。
「まったく、側仕えの私の身にもなってください。
刺客を捌くために用心棒を雇うのにあなたが出ていっては元も子もないでしょう。」
第一王子殿下、と睨みつけられた男は可哀想な部下には目も向けず、飄々と返した。
「簡単に死んでは意味が無い。お前に任せると碌に実力を見極めもせず連れてくるだろうが。」
シオンはぐっと詰まり、己の不利を悟った。
確かにシオンは文官であり、武の実力がいかほどかというのは畑違いだ。
事実、腕がいいと評判の用心棒やら冒険者やらの名を挙げては、直接見に行った主に却下されていた。
「しかし、いくらあなたが強いといっても隙を突かれて殺されたらどうするんです?貧民街などという治安の悪い場所まで行って」
「貧民街にいるやつを提案したのはお前だろう」
確かにそうだが、いくら主でも流石に貧民街までは行かないだろうと思ったのだ。
今の宮中での扱いがどんなものであれ、生粋の貴族には変わりがないのだから。
「まあ、確かに今回の奴は俺でも殺されるかもしれないくらいの実力者だったが」
「やっぱり危なかったじゃないですか!!」
「逆に言えば、」
と、彼はここで部屋に入って初めて、部下のほうを向いた。
「その分、味方になったら面白いと思わないか?」
そのにやりと上がった口角を見て、シオンは目を丸くした。
シオンの主は滅多に笑わない。
見せるのは表面上の完璧に計算された美しい笑みであることが多い。
その主が、新しい玩具をもらった子供のように頬を紅潮させて、笑っていた。
「……あなたが、何かに期待するなんて、珍しいですね」
驚くあまり、思わず口に出た言葉に失言だったと気づいたが、主はそれでも笑っていた。
「そうだな」
楽しみだ、という彼を見て、新しく同僚になるであろう用心棒に心の中で合掌した。
(⋯⋯可哀想に)
彼はきっと逃げることすら許されないだろう。
しかし、人間誰しも苦労こそ分かち合いたいと思うもので。
出来れば、このどうしようもなく有能で、子供っぽい主の歯止め役をやってくれることを願った。