18. 少年
暴力描写あります。ご注意を。
「放してください!」
声が聞こえていたのは通学路から少し逸れた路地裏だ。
この辺りは元々人通りが少なく、住民も比較的他人に無関心な傾向があると事前にレオナルドから注意されていた。
イリアスがいたところからは少し離れているが、声は変声期前の少年のようによく通っている。誰も立ち止まったりしないということは確かに他人に無関心な土地柄らしい。都会にはよくあることだ。
「何をなさっているんですか?」
現場について早々、イリアスは小柄な人物を抑えているらしい男達の背中に声をかけた。
「あ?」
(ガラ悪っ)
こちらに気が付くと、低い声で凄んでくる。
「なんだ?子供はさっさと帰れよ!」
確かにイリアスは16にしては小柄だが、それは彼女のコンプレックスである。
イリアスの額に青筋が立った。
「お?なんだよお前、女みてえな綺麗な顔してんじゃねえか。こっち来てお前も相手してくれよ」
イリアスの顔をまじまじと見た男は、途端にニタニタと気色の悪い笑みを浮かべ、近づいてきた。
男たちが動いた時に見えた被害者らしき人物は、上半身の肌色の割合がやけに多く、剥がされかけている服を必死に掴んでいた。
(……なるほど。反吐が出る)
見たところ彼らはイリアスと同じ王立魔法学園の制服を着ており、喋り方も下町のそれでは無い。
イリアスは理不尽が嫌いだ。
弱きを助け強きをくじくなんて大層な志は持っていない。弱さは免罪符でも善でもない。強さは罪でも悪でもない。
ただ。
力が強い者、金を持っている者、権力のある者。
そういった人物が当然のようにかざしてくる理不尽が嫌いだ。
そういった人物が当然のようにかざしてくる理不尽に抗えない弱者が嫌いだ。
それらはイリアスにとって、幼い頃を想起させる不快なものだった。
居ないものにされた。
居ないものとして振舞った。
嘲られた。
言い返さなかった。
所詮イリアスは運良く不祥事をかぎつけて、運良く逃げ出せた人間に過ぎない。
今でも思う。
一度でも逆らっていたのなら。
抵抗して、主張して、言い返していたのなら。
あんなに長い間母を劣悪な環境に閉じこめることも無く、足を失わせることも無く、もっといい形で暮らせたのかもしれない。
真っ当に人としての権利を奪い返せたかもしれない。
やけに周りの動きが緩やかに見える。
手を伸ばしてくる男の手をかわし、男の腕を外側から掴むと、足払いをかけるのと同時に肩を担いで勢いのまま投げ飛ばす。
体を反転させてそのまま次の標的へと走り出す。
男の体が面白いくらいにぐるんと回り、べしゃりと地面に落ちていくのを横目に、飛び上がってそのまま右膝を二人目の顔面に叩き込む。
左足で倒れていく彼の頭を蹴ってもう一度飛び、空中に体を置いたまま体を捻って三人目の頭を蹴り飛ばす。
ここでまた反動を使い、四人目の頭を両足で固定すると、背面へ重心をかけて一回転する途中で頭を解放して巨体を倒した。
(……やっぱり制服だと動きにくいな)
イリアスが動いてから1分もたっていなかった。
彼女は息を乱すこともなく、興奮を解くように軽く頭を振ると、抑えられていた人物の方へ目を向けた。
「ひっ」
「……」
いやまあ、気持ちはわかるが。
イリアスは一つため息をつくと、彼に向かって少し膝を曲げて目線を合わせてから、手を伸ばした。
「……立てますか?」
「は、はい」
なるほど。
彼も実際に女であるイリアスほどでは無いが、男子にしては小柄で華奢な体型と線の細い可愛らしい顔立ちをしており、いじめの標的となりそうな、か弱い雰囲気がある。
内面ゴリラの彼女と違って本当に貧弱なようで、礼を述べながら差し出す手も弱々しく、細い。
「先程は失礼致しました」
本当にな。
とここで返すほどイリアスは鬼畜では無い。彼も混乱していたのだろう。
「本当にありがとうございます。助かりました。今までは何とか逃げ切っていたのですが、路地に追い込まれてしまって、今回こそはダメだと思っていました」
緊張と恐怖から開放された安堵からか、途端に饒舌になった彼いわく、前々から暴力や恫喝を受けていたが、次第に要求がエスカレートしていき、性的な要求をされるようにまでなったらしい。
襲っていた男たちは裕福に見えたし、女に困っている風情でもなかったが、意外である。まあ、今回のように同意がない場合は良くないが、中には男色家同士で恋人になる者もいると聞くから、女に困らなくても男を対象にすることはあるのかもしれない。
イリアスはしばらく彼女や男たちと同じ制服を整える彼を見ながらそんなことを思っていた。
「あの、お礼、します」
ぼんやりとしていた彼女は、その言葉に目を瞬かせた。
※
件の路地からは少し離れた通りの瀟洒な喫茶店。
落ち着いた雰囲気のそこでは老若男女が思い思いに寛いでいた。
イリアスがこのような場所に来るのは今の主に騙し討ちのような形で連れてこられて以来だ。
こんな健全な形でやり直せるなんて思ってもいなかった。
「あ、あの、これ、少ししかないんですけど」
そう言って渡されたのは学生が持つには少々多い金額が入った財布だ。
こんな、健全な形で。
「……」
「や、やっぱり足りませんか?」
「いや、そういうことではなくて」
イリアスがため息を着くのを見て目の前の彼は少し身を縮めた。
イリアスは貧民街育ちということもあるせいか、貰えるものは全て貰い、何なら交渉次第で仕事の報酬を多めにせしめたことだってあるが、何も恐喝から助けた上で哀れな被害者からぶんどろうなんて思っていない。
それはただの鬼畜である。
「あの、要らないのでしまってください」
周りの目も気になるし。
そう言うと、彼は口を少しもごもごと動かした後、ようやくありがとうございます、と小さな声で言ってしまってくれた。
「―――あの!!」
急な大声に今度はイリアスが驚く番だった。
思わずびくりと跳ねた肩に少し気まずい思いをしながら次の言葉を待つ。
「ぼ、僕は!アーロン・クローネって言います!」
「…ご丁寧にどうも?」
先程まで静かで大人しげだった少年の豹変に戸惑いを隠せない。
「と、ともだちに、なってくれませんか……」
勢い良く自己紹介されたものの、最後はしりすぼみになってしまった。
だが、その言葉は彼女にとって願ってもない、いや、めちゃくちゃに願っていた言葉だった。
「よろしくお願いします!!」
思わずテーブルの上の手を、ガタンと握ってしまった程には。
ぱああ、と輝く彼の顔と、徐に周りから聞こえてくる拍手の音。
……彼女が再びいたたまれない思いをしたのは言うまでもない。
その後マスターの粋な計らいによって会計は無料になりました。
イリアスはその姿にあるべき大人の姿を見たとか見ていないとか。




