力を求める理由
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学園に来た初日の戦いに負けた二人は、傷を癒すために医務室にいた。
白い壁に囲まれたその部屋は、薬草と消毒の匂いが漂い、静かな雰囲気が漂っていた。
窓から差し込む夕陽が、ベッドの白いシーツに柔らかな影を落としていた。
「油断してたら派手にやられたなお前」
シロガネが笑顔でヒノを揶揄う。
彼の声が医務室の静寂を軽く破り、ベッドの横に立つ姿が陽光に照らされた。
「お前もな。鈍ったかな、俺達」
「単純に彼女達が強かっただけだろ」
ヒノはベッドに座り、下を向いて呟く。
女に負けたことは、ヒノにかなりの精神的ダメージを与えていた。
元の世界での戦闘経験が、彼のプライドに深い傷を残していた。
「キョウヤ、最後にやろうとした一撃さ。あれ、やりすぎだろ」
「……分かってるって。ちょっと怒りで我を忘れてた」
シロガネが急に真面目な口調で問いかけると、ヒノは突っ込んでほしくない態度を見せる。
その声には、戦友への信頼と、微かな心配が混じっていた。
「まぁ気持ちは分からんでもないけどさ」
「次からは気をつけるって」
ガラッ
ドアが開く音が響く。
ヒノとシロガネが音のした方を見ると、少しボサついたロングヘアーで白衣を纏った女が立っていた。
彼女の白衣は少しシワが寄り、忙しさが滲む気楽な雰囲気を漂わせていた。
「ごめんごめん、ちょっと学園長に呼ばれててねー」
フレンドリーな口調で喋りながら近づいてくる女。
彼女はベッドで上半身を起こしたヒノの隣に立った。
その動きには、医者らしからぬ軽さがあった。
「あんた達がラルナーさんとこの養子になった子?」
「そうですけど」
女の質問に素直に答えるヒノ。
すると、彼女はヒノの顔を覗き込むように近づいてくる。
その距離に、ヒノは少し気まずさを感じた。
「ふーん。私はメロー・クライシス。よろしく」
「ヒノ・キョウヤです」
「俺はシロガネ・ヤマトです」
「キョウヤにヤマトね。それじゃ痛いとこ教えて」
二人が怪我の場所をメローに伝えると、ヒノは椅子に座らされた。
木製の椅子が軽く軋み、医務室の静けさが一瞬揺れた。
「ほいじゃ始めるよ。まずはヒノ、服脱いで」
「おねがいします」
ヒノが服を脱ぎ、上半身裸になる。
服の下はあざだらけだった。
ロウの一撃が残した青黒い痕が、痛々しく肌に刻まれていた。
「アイリスちゃんの相手した子って大抵こうなるのよねー。でも私なら余裕で治しちゃるよー」
「そんな簡単に治るんですか?」
「まぁ見てなさいな。こう見えて私、凄いからさー」
メローがヒノの怪我に手をかざすと、光の球体が現れる。
同時に、ヒノに奇妙で温かい感覚が走る。
その光が柔らかく脈打ち、あざを包み込むように広がった。
「いッ!?」
「なにぃ? これくらい我慢できないのー?」
メローが目を細め、必要以上に怪我を触り回す。
明らかにからかっている。
その手つきには、治療を超えた遊び心が滲んでいた。
「いや、これはちょっと新感覚すぎ……」
ヒノは平静を保とうと必死に我慢し、治療が終わる頃にはベッドに横たわった。
疲労と安堵が混じり、体が重く沈んだ。
「次はシロガネー、来なさいー」
「よろしくお願いします!」
シロガネが勢いよく服を脱ぎ、上半身裸に。
筋肉質な体が現れるが、外傷は少ない。
戦闘の痕跡は内側に隠れていた。
「あれ? シロガネは外傷あんまないんだね」
「あー、俺はどっちかと言うと内部かも?」
「内部ぅ? どこか痛いとこあるの?」
「そこらじゅう痛いです」
「ちょっと見てみようかな」
メローがシロガネの背後に回り、体の各所に触れて目を閉じる。
しばらくして目を開け、真剣な口調で尋ねる。
その表情が、一瞬だけ医者らしい鋭さに変わった。
「何してこうなったの?」
「……限界を超えた動きを体にさせました」
「はぁん?」
シロガネの説明は、装甲ではなく生身で『迅雷』を使った負荷によるもの。
メローには理解しにくい話だった。
彼女の眉が軽く上がり、困惑が顔に浮かんだ。
「ふーん……まぁ今後はやらないほうがいいよ。実戦でやるなら、周りに助けてくれる仲間がいるときだけにしな」
「はは、ですよねぇ……(体鍛えたら使えるようにならないかな)」
治療を終えた二人は帰ることに。
メローの手から放たれた光が、彼らの痛みを静かに癒していた。
「ありがとうございました」
「どうもでした」
「はいはいー、次は怪我しないように気をつけなよー」
シロガネとヒノが感謝を告げ、医務室を出る。
ドアが閉まる音が背後に響き、静寂が再び部屋を包んだ。
学園からガーデン居住区への帰り道を歩く二人。
夕陽が空を赤く染め、遠くの家々から炊事の煙が上がっていた。
「そんなに負けたのが気に入らないのかよ、キョウヤ」
「当たり前だろ。すぐにリベンジしてやる。そうだな……明日だ」
シロガネが笑いながら言うのに対し、ヒノは少し怒りを込めて答える。
その声に、悔しさが滲んでいた。
「明日は早すぎだって。ほんと負けず嫌いだなお前」
「俺のおかげで油断せずにやれたお前はいいよな」
「油断してなくても負けたんだけどな」
「雷、そんなに使ってなかったんだろ」
「どうかなぁ。使ったとしても――」
悔しさを隠せないヒノに対し、シロガネは意外と平然としている。
その態度に、戦友への信頼と軽い諦めが混じっていた。
話していると、近くでボール遊びをしていた女の子が声をかけてきた。
歳は自分達より8つほど下に見える。
小さな手には泥がつき、無邪気な笑顔が夕陽に映えていた。
「ねぇねぇ、お兄さん達」
「ん? どうした?」
シロガネがしゃがんで中腰になり、女の子に返す。
その優しい声が、子供達の騒ぎ声を柔らかく包んだ。
「ボールがあそこに挟まってて取れないんです。お兄さん達とれないですか?」
「あれか」
ヒノが大きな木の下を指差す。
枝にボールが挟まり、子供達が騒いでいる。
木の影が地面に長く伸び、夕陽の赤が葉を染めていた。
「また随分高いとこに。んじゃ俺がジャンプしてボールをお前の方に飛ばすから、キャッチね」
「りょうかい」
シロガネの指示に従い、ヒノが落下地点で待機。
シロガネは軽快に木を駆け上がり、ジャンプしてボールを蹴り飛ばす。
ヒノがそれをキャッチ。
ボールが空を切り、軽い音を立てて手に収まった。
「ナイスキャッチ」
シロガネが親指を立てて褒める。
ボールを手に持つヒノに子供達が群がる。
その笑い声が、夕暮れの静けさに響いた。
「おっ」
「うおゎすげぇ!」
「ボールはやくちょうだい!」
「お兄さん達ありがとうございました!」
ヒノがボールをそっと渡すと、子供達はまた遊びに戻る。
無邪気な足音が地面を叩き、楽しさが空気を満たした。
「もう吹っ飛ばすなよ〜」
シロガネが遊びに戻る子供達を眺め、緩く注意しながら手を振る。
その笑顔に、平和な日常への安堵が滲んでいた。
「いやー平和だなぁ」
「……学園の奴らは殺伐としてたけどな」
木から飛び降りたシロガネが呑気に呟く。
ヒノが水を刺すように返す。
その声には、学園の戦いの記憶が重く響いていた。
「俺は何か原因があると思うけど。俺と戦ったリュウスイさんはいい人そうだったから」
「斬られそうだったのにか?」
「それはだいぶ俺のこと勘違いしてたというか」
「じゃあ俺と戦ったアイツから聞いてこいよ」
「あの子はちょっと……時間をかけてだな」
「とりあえず、俺はあいつにリベンジするからな」
ヒノの言う「あいつ」とは、もちろんロウ・アイリスのことだ。
その名が頭に浮かぶたび、悔しさが再び燃え上がった。
「お前なぁ」
「これが俺の今の目標」
「大の大人が大人気ないな」
「今は子供だ」
「それ屁理屈な」
「つか早く帰らないと、おじさんが仕事から帰ってくるまでに飯作るぞ」
「りょうかい〜」
こうしてヒノとシロガネの学園生活1日目が終わった。
夕陽が地平線に沈み、ガーデンの家々に灯りがともり始めた。
ヒノがロウにボコられてから二週間ほど経過し、学園にも慣れてきた頃。
彼は空いた時間のほとんどを異能訓練所に通っていた。
訓練所の土の地面には、汗と努力の跡が刻まれていた。
「ヒノ様、少し指導をお願いしたいのですが、今いいでしょうか?」
「あっ? いいけど。(平民でも力をつけたいって奴は多いんだな)」
ヒノの戦闘力の高さと似合わない面倒見の良さで、平民達から慕われ始めていた。
なお、この学園では貴族と平民で使える施設に差はない。
訓練所の壁には、誰かが刻んだ異能の痕跡が残り、平等な努力の場を示していた。
「と言うか様付けはやめてくれ。なんか嫌だ」
「そんな! ヒノ様は強いですし、教え方も分かりやすくて、まさに尊敬するに相応しい――」
「あーわかったわかった。せめてさん付けにしてくれ。(そんな気を使わなくてもいいだろうに)」
尊敬されるのは嬉しいが、されすぎるのも考えものだとヒノは思いながら、平民と貴族の関係を学んでいく。
その経験が、彼の視野を少しずつ広げていた。
そんなヒノを遠くから見ている二人がいた。
訓練所の隅、木陰に立つ二人の影が、夕陽に長く伸びていた。
「思ってたより優しい方ですね」
「……あんな風じゃ強くなれるわけない。だから私に簡単に負けた」
「まぁ確かに早く終わってしまいましたね。でも本気を出す前だったのはアイリスも分かってますよね」
「……」
アンナとロウが遠方からヒノを観察していた。
アンナの声には柔らかさが、ロウの声には冷たさが混じっていた。
「捨てれない人は弱い……それが真理だよ」
「でも……」
「私は証明し続ける。そうしないと、また壊されるから……」
ロウが遠ざかるのを、アンナは止めなかった。
その背中が、夕陽に溶けるように遠くへ消えた。
「(確かにその厳しさこそが強くなる最短の道なのかもしれない。それでも私は……)」
「ちょっといい?」
「ぴゃぁ!?」
「うおわ!?」
突然アンナの背後に現れたシロガネに声をかけられ、彼女が奇声を上げる。
その驚きが、静かな訓練所に一瞬の波紋を広げた。
「し、シロガネくん!? 私の背後をとるとは……やりますね」
アンナが険しい顔で向き合い、戦闘態勢をとる。
その動きに、戦いの記憶が反射的に蘇った。
「待った待った。別に戦いに来たわけじゃないから! ちょっと聞きたいことがあるんだけど。あと、シロガネでいいよ」
「へ? あ、はい。何でしょう?」
「ロウさんのことなんだけど。昔何かあったのかなって」
アンナは少し沈黙した後、真面目な顔で答える。
その表情に、過去の重さが滲んでいた。
「……そうですか。シロガネ達はまだ聞かされてないんですね」
「?」
「この話は知っておくべきですね。シロガネ達が来る前のこと。7年前になります」
アンナが語り始めたのは、7年前にホットガーデンを襲った出来事。
声色は真剣だ。
夕陽が彼女の顔を赤く染め、静かな語り口に重みを加えた。
「このガーデンは突如現れた神獣の群れに襲撃され、壊滅させられかけました」
「壊滅って……それに神獣ってのは確か獣の最高クラスに位置する奴だよな。(資料でチラッと見た)」
「はい、火の鳥と言われる神獣です。普段は火山地帯で暮らしてるはずの神獣なのですが、何故かこのガーデンを襲撃し、全てを焼き尽くそうとしました」
「……どれくらいの被害が出たんだ?」
「迎撃に参加した貴族の人達の大半は死にました」
「っ……」
唐突な重い話に、シロガネの顔が曇る。
その言葉が、心に重く響いた。
「アイリスは父と母を二人とも失いました。最初は明るく振る舞っていたのですが、ある日突然、修羅の如く他人も自分も傷つけながら力を求めるようになりました」
「その日に何かあったのか?」
「いえ、ただ溜まっていた感情が溢れたんだと思います」
その日のロウ・アイリスは、皆と和気藹々と特訓していたが、突然こう呟いた。
『……これじゃダメだ』
そして修羅に呑まれた。
その記憶が、アンナの声に静かな痛みを乗せた。
「そんなことがあれば、簡単に否定できることじゃないな」
「はい、確かに力を求める行動としては正しいのかもしれません。でも私は昔のアイリスに戻ってほしい。それが私の本音です」
「……つまりロウさんは勝ち続けてるから、そういう考えを辞められないわけだよな?」
「恐らく」
「なら近いうちにその考えが変わるかもしれないな。この前負けて燃え上がってる奴がいるから」
「……まさかヒノくんですか? 本気じゃなかったとしても勝てるとはとても……」
アンナの率直な感想に、シロガネがぎこちなく笑う。
その笑みに、戦友への信頼が滲んでいた。
「ま、まぁ側から見ればそうなるよな。でも大丈夫」
「え?」
「あいつは俺より強いから」
「そう……ですか?」
「ああ」
決して冗談ではないシロガネの真っ直ぐな言葉に、アンナは賭けてもいいのではないかと感じてしまった。
その確信が、夕陽の中で静かに響いた。