無能の平民
「(明日は他のガーデンやら村やらから偉い人が集まるパーティか、だるいなぁ)」
ヒノがそんなことを思いながら、腹を満たすために訪れるパン屋へやってきた。
店内には焼きたてのパンの香りが漂い、外の喧騒を忘れさせる温かさがある。
「あっ、いらっしゃいませ、ヒノさん!」
店番の女性が明るい声で迎えた。
ヒノは彼女の名前を知らないが、それなりに顔見知りで会話もする。
「なんか今日のおすすめある?」
「あっ、今日はこれなんかどうです? その名もクリームパンです!」
「クリームパン」
「中に入ってるクリームとパンの相性が最高なんですよっ!」
「じゃあそれもらおうかな」
「はい、何個にしますか?」
「んー、三つ」
「じゃあ銅貨3枚ですね」
「あいよ」
ヒノが無言で銅貨3枚を渡すと、彼女が笑顔で受け取った。
その笑顔に、素朴な親しみが滲んでいる。
「今食べてみてください。美味しいですから!」
ヒノがその場でパンに齧り付いた。
クリームが口に広がり、ふわっとした甘さが舌を包む。
「んっ、本当だ。美味いわこれ」
元の世界では合成食品しか食べていなかったヒノにとって、この世界の食べ物はどれも美味いが、このパンは特に際立っていた。
その味に、彼の目が少し輝く。
「……ヒノさんはすごいですよねぇ」
「ん?」
「この前、あのハンスを討ち取ったって聞いて。私なんてここでパン作ってるだけで、なんだかなぁって……」
「……十分じゃね」
「いやっ、全然スケール違いますよ!」
「他人のために美味いものを作れるのは、かなりすごいことだと思うぞ」
「そう……ですか?」
「おう、じゃそろそろ行くわ。ほんと美味しいなこれ」
「あっ、はい! また来てください!」
「おう」
パン屋の女性がヒノの言葉を受け、少し自信を持ったように声に元気が出た。
その表情に、小さな喜びが宿る。ヒノがいなくなった少し後。
「ん? いらっしゃい……ませ……」
「……どうしたの?」
「い、いえ! なんでもありません!」
「そう……今日は何かおすすめある?」
「えっとぉ、クリームパンです」
ある女性がやってきて、店主が少し焦った様子を見せた。
その一瞬の動揺が、店内に微かな波紋を残す。
ヒノはクリームパンを食べながら、ガーデンの居住区を歩いた。
夕陽が石畳に長い影を落とし、パンの甘い余韻が口に残る。そして、そのまま異能訓練所にたどり着いた。彼は暇な時によくここに来る。
すると、3人が何やら言い争っているのに気がついた。
訓練場の埃っぽい空気に、彼らの声が鋭く響いている。
「そこは俺達が使うからどけ」
「悪いが今は俺が使ってる。後にしてくれ」
「……平民がいくら鍛えようが意味ねぇだろが」
「確かに俺は平民だ。しかしアンタらよりは強いと思うぞ」
「なっ!?」
どうやら平民が器具を使っているのが気に食わないようだった。
ヒノはとりあえずバレないように外で待機し、様子を見守る。
しばらくして、3人がバトルフィールドに移動し、対戦を始めるようだった。
その動きに、緊張感が漂い始める。
「無能だからって容赦はしないぞ」
「構わない」
平民が慣れた口調で構えを取った。
対する貴族が剣を生成し、鋭い目で睨みつける。
「はぁ!」
貴族が剣を叩きつけるように振った瞬間、平民の拳が顎を突き上げた。
その一撃が、乾いた音を立てて響く。
「(お、速い)」
影で見守っていたヒノが、平民の動きを見て評価した。
恐ろしく洗練された動作。絶え間ない努力で得たものだと、彼にはすぐ分かった。
「な、なにしやがった!?」
もう一人の貴族が気を失った仲間に駆け寄り、平民に疑問をぶつけた。
その声に、驚愕と怒りが混じる。
「ただ懐に入って拳を叩き込んだだけだ」
「そんな……(見えなかった)」
「じゃあ俺は練習を続けていいか?」
「くっ……舐めんな!!」
続いて仲間が勝負を挑んだが、結局、平民の圧勝に終わった。
貴族が潔く友達を連れてその場を去る。
「さて、そこで隠れてる奴。そろそろ出てきたらどうだ?」
「(バレてたのかよ)」
ヒノが平民の男に指摘され、表へ出てきた。
その足音が、静まり返った訓練場に小さく響く。
「どうも」
「ん? あんた……確かヒノ・キョウヤ?」
「ああ」
「! あのハンスを討ち取った先輩か」
「(今の俺より年下かよ)」
「一つ頼みがある。俺と手合わせしないか?」
「お? 別にいいけど」
「ふっ、まさかこんなところで先輩と戦えるなんてな」
二人が距離を取り、構えた。
その間に、微かな風が埃を舞わせる。
「先輩。なぜ装甲を出さない?」
「お前も異能使わないんだろ」
「……俺は無能だ。使わないじゃない、使えないんだ」
「とりあえず最初は異能を使わない」
「……っ!」
舐めプ宣言を聞き、平民の男が勢いよく殴りかかったが、ヒノが受け流した。
次の攻撃も、その次の攻撃も受け流し、しばらくヒノがひたすら受け身の戦闘が続いた。
わざと受け身になっているのではなく、この平民に隙がないのだ。
その動きに、ヒノが内心で舌を巻く。
平民の男が繰り出す恐ろしく速く重い拳。
ヒノの腕がヒリつき、彼の皮膚に赤みが差す。そして、平民が勝てる確信を感じ始めていた。
「くっ!」
「(いける! 異能がなければ絶対に勝てる!)」
ヒノの急所を捉えられると思った矢先、男のボディにヒノの拳がカウンターでめり込んだ。
その一撃が、低い音を立てて彼の体を震わせる。
「がっ!? (なんだ!? いきなり動きがっ!)」
その後、一気に形勢が逆転し、三撃で平民の男が地面に倒れた。
埃が舞い上がり、彼の息が荒くなる。
「……」
「おい、大丈夫か」
平民の男が唖然とした様子で動かず、返事もしなかった。
少しの間をおいて、彼がようやく声を出した。
「わざと誘っていたのか」
「お前、異能使わない俺なら余裕って思ってたろ」
「っ!」
「確かにお前は強いけど、相手の力を下手に決めつけるからそうなる」
図星を突かれ、平民がまたしばらく黙った。
その沈黙に、彼の悔しさが滲む。
「先輩はそういうことないのかよ」
「俺はこのガーデンに来て最初に戦った相手にそれで負けたよ」
「その相手って……先輩に聞きたいことがある」
「?」
「賞金首を倒した先輩から見て、俺は外の世界で通用するかどうか」
「(普通の属性型には勝てそうだけど、装甲型は……)」
平民の質問に少し考え、ヒノが答えを出した。
その視線に、冷静な評価が宿る。
「まぁ一緒に戦うとしたら、お前みたいな奴がいたら嬉しいと思うぞ」
ヒノが本心で言った。
この男の格闘センスは自分より上だと感じていたからだ。
「本当か……!?」
「お前の近接戦、マジで強かったからな」
平民の男が嬉しそうに目を輝かせた。
無能でも磨き続ければ、学園のトップクラスに認めてもらえると実感したのだ。
「ところで、お前名前は?」
「え? あぁ! 俺の名前はムラク・カイトです」
ヒノが尋ねると、カイトがハキハキと答えた。
その声に、誇らしさが混じる。
「カイトか。じゃあ俺は帰るわ」
「え? トレーニングしに来たんじゃ」
「お前と殴り合ってもう疲れたんだよ」
「あの! ありがとうございました!」
「こっちもいい運動になった」
カイトが綺麗なお辞儀をし、帰るヒノの背中に感謝の言葉を投げかけた。
その声が、訓練場に温かく響く。
ヒノが腕に痛みを感じながら歩き、ふと思った。
その痛みに、カイトの拳の重さが刻まれている。
「(マジで強かったな、アイツの拳)」




