トラウマ
「(応答なし?)」
ヒノがそう思った矢先、通信端末から声が響いた。
森の静寂を破るように、シロガネの明るい声が届く。
「こっちもみんな無事で終わらせられそうだ!」
「こっちの仕事は終わった。俺とロウは援護には行けないから、後頼んだぞ」
「……! 分かった。あとは任せろ!」
「(この感じなら大丈夫そうだな。ハンスが死んだ今、向こうの相手は一人だろうし)」
通信を終え、ヒノがアイリスをどう運ぶか考えていると、彼女が口を開いた。
その声が、痛みで掠れている。
「ヒノっ、私はまだやれる……っ」
「その体じゃ無理だろ」
「……私を置いて━━」
「ダメだ」
アイリスの自己犠牲的な発言を言い切る前に、ヒノが却下した。
その声に、揺るぎない決意が込もっている。
「それに俺も、もうまともに戦える状態じゃないしな」
アイリスが改めてヒノを見ると、焦げた腕や無数の痣が目に入った。
焦りで周りが見えていなかった自分に気づき、彼女の瞳が揺れる。
「ヒノは冷静だね」
「慣れてるからな」
「……(慣れてる)」
気になる言葉だったが、アイリスは聞かずに黙った。
その沈黙に、微かな信頼が漂う。
「そうだ、服の下確認しないとな」
「え?」
ヒノが思いついたように、アイリスの上着を脱がそうとした。
その突然の行動に、彼女が驚く。
「やっ! いたっ」
「あれだけくらってるんだ、俺こういうの知識あんまないけど、一応確認しとかないとダメだろ」
「大……丈夫だからっ」
「? いいから早く見せろよ」
アイリスが観念し、恥ずかしそうに上着を脱がされた。
ヒノの予想通り、褐色肌の上に酷いアザが広がっている。
「(あの大剣もろにくらったらこうなるよなぁ。骨折れてる可能性もあるか。というかまず折れてるだろうな)」
「……もういい?」
顔をヒノに合わせず、アイリスが小さく呟いた。
その声に、羞恥と痛みが混じる。
「ん? ああ、もういいぞ」
「……」
ヒノが無関心に答えると、次の行動を考え始めた。
その態度に、いつものドライさが戻る。
「まずここから離れないとな。氷で自分の胴体固められるか?」
「……うん」
「骨折れてるなら固定した方が楽になるはずだ。その後に俺が背負うから、そこは我慢しろよ」
ヒノが背中を向けると、アイリスが痛そうな声を出しながら彼にしがみついた。
彼女の体温が、彼の背中に伝わる。
「森抜けるまでに獣に出会わなければいいけど」
ヒノがそう言うと、ゆっくり歩き始めた。
足元の落ち葉がカサカサと音を立てる。
「痛くないか?」
「うん」
「(ヤマトがいる限りアイツらは大丈夫だ。あとは俺達が)」
シロガネの判断力があれば、無理と分かればすぐ撤退するし、彼の能力なら不測の事態もカバーできる。
そう考えながら、ヒノが歩を進めた。
しばらく歩いていると、案の定、獣と遭遇した。
4本足の獣が複数体、囲むように威嚇してくる。鋭い牙が月明かりに光る。
「こっちは余裕がないんだ。死にたくないなら来るなよ」
苛立ちを込めた声で、ヒノが右腕に装甲を纏った。
その動きに、微かな炎が揺らめく。
「ヒノっ」
「ちょっと揺れるからな」
戦闘が始まる瞬間、別の4本足の獣が現れた。
その姿に、ヒノが目を細める。
「ワオォォォン!」
遠吠えと共に、複数体の獣が氷に包まれた。
冷気が一瞬で辺りを支配し、獣達が動かなくなる。
「お前」
「二人とも、無事、ですか?」
賢狼の娘フィロが、片言で言葉を出しながらヒノの足元に寄ってきた。
その瞳が、優しく二人を見上げる。
「もしかして、お前の他にも来てくれてるのか?」
「はい、父と母は、いませんが、私の、仲間はきてます」
「それならさらに安心だな」
「うん、良かった」
フィロの発言に、ヒノとアイリスが安心した。
その声に、安堵が混じる。
「なんでお前らがここに?」
「この前、ハンターのと、異能のお返しを、したいと。父には怒られた、ので、内緒で」
「なるほど。でも助かったな、ありがとう」
「いえ、当然、です」
ヒノが素直に感謝を述べた。
その言葉に、フィロが小さく尻尾を振る。
そして、ゆっくりとシロガネ達がいた場所へ戻ると、大勢の人がいた。
ホットガーデンの大人や学園の生徒が集まり、ざわめきが広がっている。
「マーシャル達が連れてきてくれたのか」
その風景を眺めていると、医療協会の人が気づき、治療を提案してきた。
アイリスを預け、ヒノがシロガネ達を探し始めた。
「あっ、ヒノー!!」
集まっていたリース達を見つけると、向こうもヒノを大声で呼んだ。
ベーアの声が、森に響き渡る。
「お前ら全員無事か?」
「うん、ローちゃんは……?」
「あいつも無事だ。ただダメージが大きいから治療してもらってる」
「よかったぁ〜」
ベーアがロウの無事を聞くと、力が抜けたようにヘタリ込んだ。
その姿に、安堵と疲れが混じる。
みんなボロボロなのを見て、ヒノにはそれなりの死闘だったと分かった。
その疲弊した顔に、戦いの痕跡が刻まれている。
「ん? ヤマトはどこいった?」
シロガネの姿が見えないのに気づき、ヒノが尋ねた。
すると、アンナが口を開いた。
「シロガネは少し一人になりたいと……向こうに」
「……何かあったのか?」
ヒノが当然の疑問をアンナに投げると、彼女が説明を始めた。
その声に、少しの重さが混じる。
シロガネと対峙した男は、薬物で自身を強化するタイプの戦闘方法だった。
最後に薬物を大量摂取し、シロガネが現れた直後、彼を捕まえて離れた場所に戦場を移した。
その後、アンナとマイが追っていった。
戦闘の過程で、シロガネはボロボロになり、動けなくなっていた。
マイが炎術の爆風で男の動きを制限した瞬間、アンナが一閃で男の腕を切断。
マイが風を纏った刀で心臓を突き刺し、トドメを刺した。
問題はその後だった。
男が薬の影響か、体がドロドロに溶け始めたのだ。
その気色悪い光景に、アンナがシロガネを確認しようと振り返ると。
そこには異様な光景があった。
「おぇぇ……! ごほっ! ごほっ」
嘔吐するシロガネの姿。
確かに気持ち悪い現象だが、彼がそんな風になるのはおかしいと、アンナが別の原因を感じて近づいた。
「シロガネ! 大丈夫ですか!?」
パシっと手を叩き払われ、アンナが驚いた。
その時のシロガネの表情が忘れられない。絶望と恐怖に満ちていた。
しばらく落ち着いた後、アンナが再び声をかけた。
その声に、優しさが滲む。
「シロガネ……大丈夫ですか?」
「……ごめん。……アンナのおかげで助かったよ」
「いえ、シロガネがあそこまで追い詰めたからこそですよ。ほら、肩貸します。帰りましょう」
「いや、汚いから自分でなんとか……」
「そんなこと気にしませんよ。ほらっ」
ネガティブなシロガネを気にせず、普段通りに接するアンナ。
その態度に、彼が救われる。
「……ありがとう」
「お互い様ですよ」
前に助けてもらったのだから当然と、アンナは思っていた。
そして現在。
ヒノがシロガネの元へ向かい、辿り着くと、彼は木を背に座り込んでいた。
その姿に、疲れと孤独が滲んでいる。
「よう」
「キョウヤか」
「アンナから聞いた」
「そっか」
「もう大丈夫か?」
「ああ。でも」
「?」
「まだ引きずってるんだな、俺」
「……もう大丈夫だろ」
「?」
「そう簡単に溶ける人間は出てこない」
「……少しは言い方ってのを」
ヒノらしい会話の終わり方で、二人がみんなの元へ戻ると。
そこには意外な光景が広がっていた。
「ぐっ!!」
父親に殴られるユウジの姿があった。
その衝撃音が、森に響き渡る。




