学園と生徒
「よし、これで終わり。早く行こうぜ!」
シロガネは拭いた皿を勢いよくしまい、自分の分の洗い物を終えると、蛇口に着いている水の吸収石に触れて水を止める。
その動作は子供のようにはしゃぎ、外へと飛び出していった。
木製のキッチンには、洗い物の水滴が静かに落ちる音だけが残り、穏やかな朝の空気が漂っていた。
シロガネが自分の分を片付け終えた後、ヒノは残りの洗い物を続けていた。
2人で異能訓練をするのが日課になっていた。
ラルナーの家の裏にある空き地での訓練は、朝の陽光が草を照らし、静かな緊張感を帯びた時間だった。
「遊びに行くガキかよ。ん?」
シロガネに呆れていると、ヒノはある物に視線を奪われた。
キッチンの棚の奥に、何か伏せて置いてあるのに気づく。
埃っぽい木の棚に隠れるように置かれたそれは、まるで秘密を隠しているかのようだった。
手に取ると、そこにはラルナーと知らない三人が写っていた。
古びた写真立ての中には、笑顔のラルナーと、見知らぬ女、男、男が並び、背景には見慣れない建物があった。
「おじさんと女、男、男、家族か? どっか出かけてるのか、それとも。
それにしても、この世界にも写真はあるんだな」
ヒノは少し驚きつつも、それほど気には止めず、写真立てを元の位置に戻した。
元の世界では記録装置しかなかったため、紙に焼かれた写真の素朴さに一瞬だけ目を奪われた。
残りの洗い物を終え、シロガネの後を追って、家から飛び出すヒノ。
外の空気は清々しく、朝の風が頬を撫でる中、二人の足音が軽く響いた。
前回ラルナーに教えてもらった空き地で、2人は異能訓練を始めた。
草がまばらに生えたその場所は、街の喧騒から離れ、風が通り抜ける静かな訓練場だった。
「お前、もうちょっと加減しろよ!」
シロガネが遠慮のない攻撃を仕掛けてくるヒノに文句を言った。
雷を纏った蹴りが空気を切り裂き、地面に小さな焦げ跡を残す。
「こんなに弱かったか?」
しかし、ヒノはにやにや笑いながらシロガネを煽る。
その笑みには、戦友への軽い挑発と、異能の成長を楽しむ余裕が混じっていた。
そうやって異能を使いながら戦い、どの程度の力を出しても良いか、どれくらいのことが出来るのかを探っていた二人。
炎と雷が交錯するたび、空き地に微かな熱と焦げ臭さが漂う。
煽られたシロガネは、少しの怒りを行動と異能に反映させる。
その感情が雷に力を与え、鋭い光が一瞬だけ空気を震わせた。
「はぁ? なら本気でやろうか……なっ!」
「ん?」
シロガネの体に電気が走ったと思った瞬間、シロガネの蹴りは気の抜けたヒノの腹部まで迫っていた。
だが、ヒノはそれを両手で防ぐ。
衝撃が腕に響き、地面に軽いひびが入るほどの力が伝わった。
「反応おせぇよっ」
「ぐッ!」
油断してた分、反応が遅れた。
遅れた分、踏ん張ることができず、ヒノは豪快に吹き飛ぶ。
体が宙を舞い、草をなぎ倒しながら勢いよく後方へ滑った。
「……?」
そして、その先には不幸にも1人の女の子がいた。
突然の出来事に、彼女は立ち尽くし、驚いた目でこちらを見ていた。
「やばい……!」
背中のバーニアを使えば女の子に熱が当たる。
減速しようと、右手甲で地面を引っ掻くが、その努力も虚しく衝突してしまった。
土が削れ、草が舞う中、ヒノの体が止まらない。
だが、かなり減速したとヒノは感じており、さほど焦りはなかった。
ただ、この感触は人にあたったものとは違う感触だ。
冷たく硬い何かにぶつかった感覚が、手から伝わってきた。
ぶつかったのは女の子ではなく、氷の壁だった。
透明な氷が陽光を反射し、突然現れたその障壁にヒノは一瞬息を呑んだ。
「危ない……」
静かな声が氷越しからヒノに聞こえた。
その声は感情を抑え、低く響くものだった。
氷の壁から透けて見える向こう側には、ロングポニーテールで褐色肌の少女が、涼しげな顔で尻餅をついているヒノを見下ろしながら立っていた。
その顔は不機嫌そうだった。
目つきもジト目で、さらに言えば生気のない目だ。
彼女の周囲には微かな冷気が漂い、異能の痕跡が空気を冷たくしていた。
「えっと……ごめん」
ヒノが謝った後、少女は無言でどこかへ行ってしまった。
その背中が遠ざかるのを見ながら、ヒノは少し気まずさを感じた。
「悪い悪い! やりすぎたって……さっきの子に怪我なかった?」
シロガネが慌ててヒノに駆け寄り、心配そうに尋ねた。
息を切らせながら、目を丸くしてヒノの状態を確認する。
「今いた奴が……こんなのを創ったのか」
吹っ飛ばされたことなど忘れたかのように、ヒノは氷の壁に右手でゆっくりと触れる。
冷たい感触が指先に伝わり、異能の力に驚きが混じる。
暫くしたら、氷の壁は急に溶けて消えた。
水滴が地面に落ち、草を濡らす音が静かに響いた。
「この世界じゃこれくらい当然だったりしてな」
シロガネは吹き飛ばしたことを忘れてるヒノを見て、ラッキーと言った風に笑いながら言った。
その笑顔には、緊張が解けた安堵感が滲んでいた。
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そんなこんな色々あって、2人が学園に入る日がやってきた。
数週間の生活で、異能の基礎を掴み、ガーデンのルールに慣れ始めた頃だった。
「んー、なんかしまらねぇな」
ラルナーがシロガネの前で片膝をつきながら、制服の着こなし具合に悩んでいた。
木の床に膝をつき、シロガネの襟や裾を何度も直すその姿は、まるで親のような几帳面さがあった。
「おっさん、もう良いからー」
数十分くらい悩んでおり、流石のシロガネも勘弁してくれと根を上げる。
朝の時間が刻々と過ぎ、学園への道のりが頭をよぎる。
「馬鹿野郎、最初の印象ってのが大事なんだろうが」
「そんなの気にしないって!」
「おじさん、流石に出発しないと間に合わない」
ヒノが助け舟を出し、ようやく学園に向かうことになった。
ラルナーの頑固さに苦笑しながら、二人は荷物を手に持つ。
第一異能学園に到着したヒノとシロガネは、ラルナーの案内の元、担任のミハイル・ハインツと出会い、少しの説明を受けた後、教室へと案内された。
学園の建物は石と木でできた重厚な造りで、廊下には生徒の笑い声と足音が響いていた。
「この二人は今日からこのAクラスに新しく入る。みんな、ここのこと色々教えてやってくれ!」
元気よく笑顔で二人を紹介したハインツ先生。
その声は教室に響き渡り、生徒達の視線が一斉に二人に集まった。
「ヒノ・キョウヤです。よろしく(この前の奴ってここの生徒だったのか)」
自己紹介をしながら、前回空き地であったポニテ褐色女がいることにすぐに気がつくヒノ。
彼女のジト目がこちらを向いており、微かな因縁を感じた。
彼女も何故かヒノのことをジッと見ている。
「シロガネ・ヤマトです。よろしくお願いします!」
周りを見渡しながら、シロガネは自己紹介をした。
その明るい声が教室に響き、少しの緊張を和らげる。
「じゃあ、ヒノはあっちで、シロガネはあそこの席ね」
ハインツの指示で、空席へと歩いて行く二人。
ヒノとシロガネの席は少し離れた位置になった。
教室の窓から差し込む光が、机に柔らかな影を落としていた。
「(この雰囲気、昔みたいだな)」
ヒノは周りから視線を感じながら、頭の中で呟いた。
人間関係の確立した集団の中に放り込まれる程めんどくさい事はない。
過去に似たような経験がヒノにはあった。
元の世界で、空船の新入りとして冷たい視線を浴びた記憶が蘇る。
午前中は先生達の話を聞いたり、色々な資料を閲覧する授業。
木製の机に並ぶ羊皮紙のような資料には、異能やガーデンの歴史が記されていた。
もちろん、シロガネとヒノには何の話かよく分からなかったが、雰囲気で覚えていく。
異能の理論や歴史は、元の世界の常識とはかけ離れ、頭を混乱させた。
特に他の生徒と絡まずに、昼休みになった。
「腹減ったなー」
机に餅のように顔をへばりつかせ、唸るシロガネ。
その姿が、教室の静けさに少しだけユーモアを加えた。
「そういえば、食事とかどうすんだろ?」
「食堂とかあるだろ。たぶん」
ヒノがシロガネの疑問に予想を立てたところで、声をかけられた。
「二人とも、食堂の場所知ってる? 良かったら案内しようか」
困ってる二人に声をかけてくれたのは、銀髪の美少年。
最初は美少年と言うより女かと思ったヒノとシロガネ。
その柔らかな声と整った顔立ちに、一瞬目を奪われた。
そのまま美男子の好意に甘えて、教室を出て案内されることにした二人。
廊下を歩く足音が軽く響き、新しい環境への期待が微かに芽生える。
「ありがとう。えっと」
移動中にヒノが感謝を伝えようとするが、名前が分からず言葉が詰まった。
「僕の名前はライゼ・フォルス。これからよろしくね」
「ありがとう、ライゼ。助かった」
名前を聞くと、シロガネが笑顔でお礼をライゼに伝えた。
その笑みが、初対面の緊張を和らげる。
「実はクラスの男子で誰か案内役をするか、君達が来る前に決めてたんだよね」
「どうやって決めたんだ?」
素朴な疑問をぶつけるシロガネ。
その声には、純粋な好奇心が滲んでいた。
「じゃんけんで負けたら案内」
「ははっ、何だよそれ」
笑顔でライゼはそう言い、それを聞いたシロガネも笑った。
その軽いやりとりが、教室の重い空気を吹き飛ばす。
「いい奴だな」
「お前、ちょろすぎ」
シロガネはライゼに聞こえないよう、ヒノに耳打ちした。
すぐにライゼを気に入ったシロガネに、ヒノは呆れ果てた。
その呆れ顔に、いつもの戦友への軽い苛立ちが混じる。
話をしているうちに、食堂に着いた三人。
木材建の素朴な感じの食堂は、木の香りと料理の匂いが混じり合い、温かみのある空間だった。
「おおー」
慣れないヒノが声を漏らした。
元の世界の無機質な食事スペースしか知らない彼にとって、木の温もりが新鮮だった。
「へぇー、ここが」
素直な感情を表すシロガネ。
そして、三人はご飯を受け取り、席へ向かう。
木のトレイに盛られたスープとパンが、素朴な美味しさを漂わせていた。
「前はもっと広かったんだけどね」
「前って――」
ヒノが今の言葉について言及しようと思ったが、少し離れた地点からの呼び声に止められる。
「おーい」
声の聞こえた方を見ると、同じクラスにいた男子三人組が席を取ってくれていた。
その声が、食堂の喧騒を軽く切り裂いた。
「ちょうど六人で座れる席なんだよね、あそこ」
そう言いながら向かうライゼと、後についていく2人。
席は窓際にあり、外の緑がちらりと見えた。
2人はとりあえず空いてる席に座った。
「来たな。俺はユウジ・イージス。これからよろしくな、二人とも」
最初に爽やかに挨拶してきたのは、短髪のユウジ。
その声には、気さくな自信が滲んでいた。
「俺はマーシャル・クロニクル。同じ拾われ者として気が合いそうだ」
育ちの良さそうなマーシャル。
落ち着いた口調に、貴族らしい品が感じられた。
「同じ?」
「ああ、こいつも小さい頃、外で拾われてここで育ったんだぜ」
「へぇ」
ヒノの疑問に、ユウジは簡単に答えてくれた。
その軽い説明に、マーシャルの過去が垣間見えた。
「俺はルート・ロード……ルートでいいよ」
ルートは元気はないが、何か特別な鋭さを感じる二人。
あと、髪が少し長い。
その目には、静かな観察力が宿っているようだった。
「こいつ、こんなんだけど、めちゃくちゃ強いんだぜ」
「強くはない」
ユウジの言葉に対して、否定的なルート。
その声には、自信のなさと諦めが混じっていた。
「ふっ、自分で言うのもアレだけど、俺たちもそこそこ強いぜ? ……たぶん」
シロガネは誇張無しのつもりで言うつもりだったが、この世界では戦闘をしてないせいで、自信が無い言い方になってしまった。
元の世界の自負が、ここではまだ根拠を持たなかった。
「強いかどうかは、これからすぐ分かるよね」
「そうなのか?」
「うん、今日の午後は歓迎会で模擬戦だから」
ライゼはニコニコしながら、ヒノに今日の日程を教えてくれた。
その笑顔に、どこか楽しそうな期待が滲んでいた。
「歓迎会で模擬戦ってどうなんだ?」
「うちのガーデンは、過去の事件をきっかけに実戦派になったから」
「(過去?)」
ヒノは素直な感想を言い、飲み物を口にすると、ライゼが意味深な答えをくれた。
この場で詮索するのは、とりあえずやめた。
頭の片隅に、その言葉が引っかかったままだった。
「んで、女子の紹介なんだけど」
真ん中にいる三つ編み髪の奴が、アヤセ・シュム。
右にいるチンチクリンの奴が、リース・ミューズ。
左にいる、色々デカい奴が、ベーア・クロイツ。
「リースに聞かれたら、ぶっ飛ばされるよ、ユウジ」
「アイツになら、ぶっ飛ばされない自信あるから大丈夫だ」
ライゼがジト目でユウジに警告をするが、ユウジは気にも留めない様子だった。
その軽いやりとりに、男子グループの気楽さが滲む。
「もう一つの離れた机にいる、刀を腰にぶらさげてる奴がリュウスイ・アンナ。その隣の奴が……ロウ・アイリスって奴」
何故かロウの説明する時に言葉が詰まったのが気になったヒノだが、先に気になった方を質問する。
ユウジの微かな躊躇に、何か裏があると感じた。
「何で他の四人と離れてるんだ? あのリュウスイとロウって奴は」
「……さぁな」
「……(ああ、そういう感じ)」
ユウジの言い方で、ヒノは全てを察する。
同時に、ユウジの言葉が詰まった理由も、なんとなく分かった。
孤立した二人の間に、何か複雑な事情があるのだろう。
「あのポニテの子って、空き地でお前がぶつかった?」
「あ? あぁ、そうだな(お前がぶつけたんだよ)」
「えっ、アイリスともう会話したことあるの?」
シロガネとヒノの会話を聞いて、ライゼが食いついた。
その声に、好奇心が弾けるような勢いがあった。
「会話というか、ちょっとぶつかった。ぶつかった原因はこいつ」
シロガネを指差しながら話すヒノ。
その言葉には、少なからず怨念が込められていた。
指先には、軽い苛立ちが乗っていた。
「お前、凄い根に持ってるな」
ヒノの態度に、呆れた声をシロガネが出した。
その声には、戦友への慣れた諦めが混じっている。
「なんだ、てっきりもう戦ったのかと思った」
「そんなに見境ない奴に見えるのか、俺は」
残念そうに言うライゼと、悲しげに言うヒノ。
そのやりとりに、微かなユーモアが漂う。
「逆だよ、逆。アイリスがヒノに申し込んだと思ったの」
「そういう奴には見えないけど?」
ライゼの言葉に、疑問で返すヒノ。
あのジト目の少女が、そんな積極性を持つとは思えなかった。
「見た目は可憐と言われてるが、今のアイリスは一区では誰よりも強く、そして厳しい人だよ」
「マジ……? 確かに威圧感はあったけど」
真面目そうなマーシャルの口から告げられる言葉には信憑性があるが、ヒノには信じ難かった。
あの少女の冷たい目が、頭に焼き付いて離れない。
一方、他のクラスメイトと離れてるアンナとアイリスは、新入生の2人について話していた。
二人の席は、食堂の隅にあり、他の喧騒から切り離された静かな空間だった。
「あの2人、どう思いますか? アイリス」
「この前あったけど、弱そうだったよ。異能の使い方が下手くそだった」
冷静にシロガネとヒノについて思ったことを口にしたアイリス。
その声には、感情を抑えた冷たさが滲み、一切の遠慮がなかった。
アンナは直球の感想を聞いて、戸惑う。
「そ、そうなんですか。次の歓迎会でヒノくんに挑むつもりなんですか?」
「私とペアになる可能性があるから。どの程度か見極めたい。私の足を引く存在なら、先生に講義する」
「複合型だからこの学園に入れたと思うけど、実力と異能は必ずしも比例するわけじゃないから」
「そこまでしなくてもよいのでは……」
「そもそも絶対に男女をペアにしようとするこの学園がオカシイよ。それに、私はアンナ以外と組みたくないな」
「……」
ロウは先に食べ終わった食器を片付ける為に立ち上がる。
アンナは悲しそうな表情をした。
その瞳には、親友への理解と、微かな寂しさが混じっていた。