賢狼
アルマが戻ったことにより、ハインツクラスのメンバーが全員揃い、ロウ・アイリスの悪評も緩和されてきた。
学園の日常が穏やかに戻り、教室にはいつもの喧騒が響き、窓から差し込む光が柔らかく室内を満たしている。
授業を終え、教室ではロウとベーアが話していた。
机の周りに散らばったノートが、授業の終わりを物語っている。
「ローちゃん、これからどっか行かないー?」
ベーアが元気よく絡むと、ロウは少し距離を取るように体を引いた。
「くっつき過ぎ……暇だから付き合ってもいいよ」
「やった〜!」
というより、ロウは絡まれているといった方が正しい。
その様子をヒノが遠くから眺めていて、ふと一つの疑問が頭に浮かんだ。
そして数日後、ヒノとロウは西にある森、賢狼の森へと来ていた。
森の中は静かで、木々の間を抜ける風が葉を揺らし、遠くで鳥の声が小さく響いている。
「なぁ、ベーアと何であんなにくっついてんの?」
「……私はくっつこうとしていないよ」
狼たちの場所へ向かう途中、ヒノは前に感じた疑問を口にした。
ロウの声には、少し疲れたような響きがある。
「昔、ちょっと優しくしただけだよ」
ロウがそう言うと、詳細を話したくないような顔をした。
ヒノはその表情を見て、深追いするのはやめた。
「ヒノこそ、何でシロガネと一緒にいるの?」
「え?」
「あと、昔の記憶がないって、みんなには嘘をついてる」
「あぁー」
前に過去のことを話したのを思い出したヒノは、髪を触りながら考え込んだ。
彼の指先が髪を軽く弄ぶ様子に、ロウがじっと視線を注ぐ。
「何で私には話したのかな」
「んー、言いふらす奴じゃないから?」
「……ふぅん」
ヒノの言い分を聞き、ロウは不服そうでそうでもないような声を出した。
実際、彼女は誰一人としてその話を言いふらしていなかった。
そうして歩いていると、大きな岩が連なる場所に出た。
岩の表面は苔に覆われ、森の深い緑に溶け込んでいる。
「おや、お主が来るとは珍しいのう」
「久しぶりだね、カロ」
女の声が聞こえた方を見ると、岩の上に銀色の毛並みをした大きめの狼が寝そべっていた。
ロウは狼に応え、軽く挨拶を交わした。
「本当に喋った。にしてもこれが賢狼? もっと賢そうな奴かと思ってた」
「人の言葉を話せれば充分賢いであろう?」
「……確かに」
ヒノが無礼な物言いをすると、カロは欠伸をしながら言い返した。
その挙動は賢く見えないが、言葉を話せる時点で賢いと認めざるを得ず、ヒノは納得した。
「今日はここによく来ることになる新しい人の紹介をしに来た」
「ヒノ・キョウヤだ」
「ほほう、そ奴が……なるほどのぉ。似ておる」
「あ?」
ヒノはカロの言葉が理解できず、怪訝な声を上げた。
だが、聞く暇もなく、カロは次の話題に移った。
「前にハンター共を倒した子達が居たであろう? あの子らに礼を伝えておいてくれぬか。前は伝えそびれたからの」
「ヤマトのことか」
「そうだと思う」
「わかった。言っとくよ」
ハンターとは、前にシロガネとアンナが倒したクルチャガ達のことだ。
ヒノとロウは互いに視線を交わし、確認してから承諾した。
「じゃあささっと果実集めて帰るか」
「何じゃ、もう帰るのか?」
「今日は挨拶をしに来ただけだよ。貴方達に間違われて襲われたら困るから」
ヒノがその場を離れようとすると、カロが残念そうに声を上げた。
ロウもカロに理由を伝え、踵を返そうとする。
「帰るなら、もう少し待ったほうがよいぞ」
「?」
「?」
「もうじきに空が荒れる」
カロが空を見ながらそう言った。
ヒノとロウも空を見上げると、確かに厚く黒い雲がこちらへ流れ込んできている。
「我らの避難所へ来るかの?」
カロの誘いに乗り、二人は洞窟へとやってきた。
洞窟の入り口は広く、内部はひんやりとした空気が漂っている。
「ここならば雨が入ってくることもあるまい」
カロがそう言いながら奥へ進むと、洞窟の中には多数の狼たちがいた。
彼らの毛並みが薄暗い中でかすかに光を反射している。
「うわ、すげぇいるな」
「そうだね」
二人は狼たちの邪魔にならないよう、隅に腰を下ろした。
すると近くの狼がヒノの匂いを嗅ぎ始めた。
「な、なんだ? なんか匂うのか?」
少しおどおどするヒノに、ロウが落ち着いた声で答えた。
「ヒノの匂いを覚えてるだけだよ」
「そうなのか」
ヒノは納得し、狼を優しく撫で始めた。
その感触は柔らかく、温かい。
「触り心地いいなお前ー」
優しく撫でると、狼も心なしか喜んでいるように見えた。
その姿をロウは体操座りでじっと眺めていた。
そんなことをしていると、雨が降り始めた。
しかも雷が激しく落ち、洞窟の外が一瞬白く光る。
「外がすごいことになってんな」
「通り雨だから、きっとすぐ止むと思う」
ヒノとロウが話している瞬間、目の前が光で覆われ、近くに雷が落ちた。
周囲に立つ巨大な木々が標的となり、轟音が洞窟内に響き渡る。
「……!!!!」
ロウが少し大げさに驚いた様子を見せた。
それを見て、ヒノの口元にニヤリとした笑みが浮かぶ。
「今、びびった?」
「……驚いてないよ」
「そうか? 俺はびびったけど」
ヒノがニヤニヤしながら絡むと、ロウは意地を張り始めた。
彼女の頬がわずかに赤くなる。
「私が驚いたらおかしいの?」
「いや、珍しいなって」
「……私だって驚くことくらいあるよ」
「悪い、揶揄いすぎた」
悲しそうな顔になりかけたロウを見て、ヒノは少しやりすぎたと感じた。
すぐに謝ると、彼女の表情が和らいだ。
「私ってそんなに強く見えるのかな」
「見えるな」
「そっか。私はみんなから言われるほど強いわけじゃないんだけどな」
「……それだけ期待されてるわけだ」
「うん、私は頑張らないと」
「そう気負うなよ」
「……何かあったら相談していい?」
「成績最低の俺にいい案が出ると思うか?」
「成績なんて関係ないよ」
「それでいいならいつでも」
「うん」
ヒノが考えを伝え終えると、ロウは納得したように黙った。
二人の間に穏やかな空気が流れる。
すると、ヒノに撫でられていた狼が突然、人の言葉を発した。
その声はまだ拙く、たどたどしい。
「お二人は、どのような、関係、なんでしょう?」
「お前も喋れるのかよ。俺達は二人でチーム組んでる」
「なるほど、パートナー、というもの、ですね」
「まぁそんな感じか」
「だね」
ヒノは少し驚きつつも、すぐに狼の質問に答えた。
ロウはその会話に軽く反応し、小さく呟いた。
「これ、フィロ。男と女の間に割って入るでない」
「……! 申し訳、ありません、母様」
カロがヒノの隣にいる狼の名前を呼び、注意を促した。
フィロと呼ばれた狼がシュンとうなだれる。
「すまんの、我が娘は言葉も上手くない故、空気も読めないのでな」
「娘なのかよ、お前」
ヒノは注意されて落ち込むフィロを撫でながら呟いた。
その様子をロウがまたじっと見つめていた。
その後、ロウも周囲の狼を膝に乗せたりして、時間が過ぎるのを待った。
洞窟内は狼たちの穏やかな息遣いで満たされていく。
しばらくして雨が上がり、二人は晴れた空の下で帰路につけるようになった。
カロ達と別れ、森を歩いていると、巨大な猫と子猫がノソッと目の前に現れた。
「あなた方は雷を操る人のご友人でしょうか?」
「んなぁー」
その猫は前にシロガネ達と関わった神獣であることを、ヒノ達は知っていた。
その声は深く、どこか懐かしげだ。
「そうだけど」
「そうですか。あの方達は無事だったか気になってしまい、ここで待っていました」
「二人は元気だな」
「そうですか。教えてくださり、ありがとうございます」
ヒノの答えを聞いて満足した猫達は帰ろうとした。
だが、ヒノがそれを止めるように質問を投げかけた。
「一つ聞いていいか? あんた達を襲ったハンター達はどうした?」
「……私が殺しました。家族の仇でしたので」
「そうか」
ヒノは猫の話を聞いて満足したように歩き始めた。
ロウもその後を追うように足を踏み出す。
二人が猫の横を通り過ぎる時、猫の言葉に足を止めた。
その瞳が二人をじっと見つめている。
「同族を殺した私に対して何も思わないのですか?」
「自業自得だろ。何にも思わねぇよ」
「……そうですか」
ヒノは顔色一つ変えずそう言うと、再び歩き出した。
ロウも駆け足で彼を追い、森の奥へと消えていく。
その後、二人は無事にガーデンへと帰ることができた。
夕陽が街を茜色に染め、二人の長い影が道に伸びていた。




