神獣狩り
ヒノとロウが深淵の森へと旅立ったその日。
シロガネたちは、西に広がる森を目指すことになっていた。朝の光がまだ柔らかく大地を照らし、遠くの木々が風にそよぐ中、新たな一歩が踏み出されようとしていた。
ガーデンの片隅、馬小屋のそばで、シロガネはアンナの到着を待っていた。木の柱に寄りかかり、そよ風に揺れる草の音を聞きながら、彼は少し落ち着かない気分だった。
「(10分前は早すぎたかな)」
10分前行動を心がけた自分を少し後悔しつつ、空を見上げていると、約束の5分前にアンナが姿を現した。彼女の軽やかな足音が近づくにつれ、シロガネの視線が自然とそちらへと引き寄せられる。
「あっ、シロガネ〜!」
遠くからシロガネを見つけたアンナは、明るい笑顔で手を振った。そのまま軽快な足取りで近づいてくる彼女の姿は、朝の静けさに温かな色を添えているようだった。
「今日はよろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくな。」
簡単な挨拶を交わすと、二人は早速馬を二頭馬車に繋げる作業に取りかかった。ロープを手に持つ音や馬の穏やかな鼻息が響き合い、どこか息の合った動きが生まれていた。
作業を終えると、次は馬車の点検だ。車輪の状態や荷台の安定性を確かめ、全てに問題がないことを確認した二人は、すぐさま西の森へと出発した。馬の蹄が地面を叩く音が、旅の始まりを告げていた。
移動中、シロガネは後ろでゆったりする気にはなれなかった。馬車の揺れに身を任せるよりも、アンナと並んで操縦席に腰を下ろし、目の前に広がる景色を見つめていた。
「馬ってこんなに早く走ってても疲れないのかな?」
「走るのが得意な獣ですから。」
「後で走った分、いっぱい食べ物をあげないとな。いっぱい用意したし。」
「そうですね。」
シロガネの笑顔に、アンナもまた優しい笑みを返した。二人の会話は穏やかで、馬の蹄の音や風の囁きに溶け込んでいくようだった。
「そういえば、あの子猫って西の森に住んでたやつなのか?」
「いえ……西の森には別の神獣が住んでいます。賢狼と呼ばれている神獣が縄張りにしているのですが。」
「じゃあ、なんで子猫が?」
「断定はできませんが、食料がなくなったか、あるいは別の強い獣に居場所を追われたか……。親がまだ森にいればいいのですけれど。」
「この子、どこで見つけたんだ?」
「陽が落ちてきた頃合い、森の川沿いで怪我をしていましたので、つい助けてしまいました。」
「怪我してたのか。放置してたら死んでたかもしれないな。」
「でも、もし親がいるのだとしたら、心配していると思います。」
「アンナが助けるのが確実なんだから仕方ないさ。」
「その時一緒だったハインツ先生は、しばらく仕事でいなくなってしまって。一人では外出が出来ず困っていたんです。」
「ハインツ先生も学園から離れること多いからな。」
シロガネは、人手不足が続くガーデンの現実を改めて思い知った。優秀な者たちが集まる場所ゆえに、それぞれが忙しく動き回っているのだ。
「はい。だから、本当についてきてくれてありがとうございます。」
「俺でよければいつでも呼んでいいよ。暇だからな!」
そんな会話を交わしているうちに、二人は西の森――賢狼の住む森とも呼ばれるその入り口に辿り着いた。木々の間から漏れる光が、森の神秘的な雰囲気を一層際立たせていた。
「そういえば、馬車はどうするんだ? 適当に停めとくの?」
「いえ、いつも停める場所は決めてあります。あそこにちょうど洞窟があるんですよ。」
アンナが指差す先をシロガネが見やると、確かに馬車が入りそうな大きさの洞窟が口を開けていた。自然に削られたその入り口は、まるで森が二人を迎え入れるかのようだった。
二人は馬を馬車から外し、人力で馬車を洞窟の中へと押し込んだ。そして、馬たちのために用意した食べ物を地面に置いてやると、ようやく森の中へと足を踏み入れた。
「そういえばなんですが、シロガネって本当に記憶がないんですか?」
「えっ!? な、なんで?」
森の木々を縫うように歩きながら、アンナが唐突に切り出した質問に、シロガネは思わず声を上げた。彼女の視線が自分に向けられているのを感じ、少し動揺が広がる。
「いえ、二人とも記憶がない割にはすごく強いですし、しっかりしてるといいますか。」
「そ、そうかなぁ……? ……わっ!?」
「んー。」
シロガネが誤魔化そうとすると、アンナが突然目の前に立ちはだかり、彼の顔をじっと見つめた。間近で見つめられ、シロガネの心臓が少し速く鼓動を打つ。
「んー?」
「な、なにを?」
「私、こういうのは顔を見れば分かりますからね。」
「す、凄い特技。」
「んーーーー?」
アンナはしばらくシロガネの顔を真剣に見つめると、やがて口を開いた。その表情には確信めいたものが浮かんでいる。
「シロガネ、嘘をついてますね?」
「いや! ついてないから!」
「……そうですか? そのオドオドした態度。」
「それはアンナの顔が近すぎるからだ!」
「……? 私の顔に何か関係が?」
「いや? 綺麗な女の子の顔が近いと、男は緊張するかも?」
「ッ……! 何を言ってるんですか! お世辞ではぐらかさないでください!」
「いや、アンナはかなり綺麗だと思うよ? 髪も綺麗だし、俺からしたらかなり――」
シロガネは本心からそう思っていた。お世辞などではなく、純粋に彼女の美しさが目に映っていたのだ。
「もういいですから! それ以上は言わないでください!」
アンナは顔を赤らめ、シロガネを置いて少し早足で先へと進んでしまった。彼女の背中からは、照れ隠しの気配が漂っている。
「(お世辞じゃないんだけどなぁ)」
「(もうこんなところでっ……今言ったことは、嘘じゃなかった……)」
シロガネとアンナは、それぞれ頭の中で呟いた。互いの言葉が心に残りつつも、二人は神獣の親を探し求めて陽が暮れるまで森を歩き続けた。しかし、この日はついに見つけることはできなかった。
「陽が暮れてきたな。」
「もしかしたらもっと奥にいるのかもしれません。」
「そうだとしたらちょっとキツイな。今日は一旦帰ろう。」
「そうですね。」
「うな〜。」
あたりが薄暗くなり始めたのを危惧したシロガネが提案すると、バッグの中の子猫が寂しそうに鳴いた。その小さな声に、二人の胸が少し締め付けられる。
その後、アンナとシロガネはガーデンへと戻った。森の静寂が背後に遠ざかり、再び日常の空気が二人を包み込んだ。
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次の日、二人は再び賢狼の森へと向かった。今度は一気に奥まで進むことを決め、朝から気合を入れて出発した。森の深部へ続く道は昨日よりも険しく、木々の密度も増していく。
しばらく進むと、その先に一人の男が現れた。草をかき分けて姿を現すその男に、二人は思わず足を止めた。
「おっとっと〜。」
見た目はおよそ25歳くらいだろうか。ウェーブのかかった少し長めの髪が風に揺れ、軽やかな雰囲気を漂わせている。その男は二人に気づくと、気さくに声をかけてきた。
「お〜、アンナくん? 久しぶりだね〜。隣の子は?」
「クルチャガさん? お久しぶりです!」
愛想よく振る舞う男を、アンナは「クルチャガ」と呼んで応えた。どうやら知り合いらしいその様子に、シロガネは少し驚きを隠せない。
「いや〜、元気してた?」
「はい。あっ、こちらはシロガネです。今日は私の手伝いをしてくれてます。」
「へ〜、シロガネくんかぁ。クルチャガです。よろしく〜。」
そう言うと、クルチャガはシロガネに右手を差し出し、握手を求めた。屈託のない笑顔が印象的だ。
「アンナの知り合いだったのか、びっくりしたー。俺はシロガネです。」
シロガネも笑顔で握手を返す。その自然なやり取りに、アンナはほっとした表情を見せた。
アンナの紹介が終わると、三人は一緒に行動することになった。森の奥へと進む中、クルチャガの存在が少しずつ二人の旅に溶け込んでいく。
「クルチャガさんは薬草や果実についてとても詳しい方なんですよ。」
「おー、凄い人そう。」
「そんな大層な者じゃないよ〜。ところで君たち、こんなとこで何してるの? ここから奥はちょっと危険だよ〜?」
「えっと、クルチャガさん。ここら辺で珍しい獣を見ませんでした?」
アンナが質問すると、クルチャガは少し考え込む仕草を見せ、やがて思い出したように口を開いた。
「あ〜、そういえば最近見たことない獣を見たよ。どうもここの狼と仲が悪いみたいだったけど。」
「その獣はどの方角で見ましたか?」
「あっちの方だけど、もしかして君たち、会いに行くつもり? やめといた方がいいよ〜?」
「確認程度なので心配しないでください。」
「そっか〜……そうだ! なら僕が一緒に案内するよ。」
「えっ、そんな巻き込むわけには――」
「遠慮しなくていいよ。僕も暇してたんだ。それに結構遠いしね。」
アンナとクルチャガが話を進めると、結局クルチャガが獣のもとへ案内することに決まった。三人は再び歩き出し、森の奥へと進んでいく。
しばらく歩いていると、クルチャガがポケットから何かを取り出した。
「これ食べる? 疲労を少しは軽減してくれる果実なんだけど。」
「そうなんですか? ここらでは見たことないですね。」
「ここら辺には無い果実だからね〜。」
クルチャガはそう言いながら果実を食べ、アンナとシロガネにも同じものを差し出した。鮮やかな色をしたその果実は、どこか魅力的だった。
「それに美味しいよ、これ。」
クルチャガが果実を口に放り込む様子を見て、二人は少し心が動かされる。
「それじゃ遠慮なく。……本当ですね、美味しいです!」
「本当だ、オイシイ〜!」
アンナとシロガネは果実を味わい、その甘さに笑顔を見せた。その後、三人はさらに森の奥へと進んでいく。
しばらく無言で歩いていると、アンナの胸に小さな不安が芽生え始めた。思っていたよりも目的地に着くのに時間がかかっている。彼女は恐る恐るクルチャガに尋ねる。
「あの、クルチャガさん。まだ先になりますか?」
「ん〜? ああ、もうちょっと先だよ。」
クルチャガがそう答えた瞬間、木の上から二人の男が飛び降りてきた。突然の出来事に、アンナとシロガネは息を呑む。
「よう! あんたたち! ここは俺たちの領域だぜ。」
「そこに入ったんだ。つまりお前らは俺たちの好きにしていいってことだよなぁ?」
横暴な態度でルールを押し付けてくる男たちに、アンナは腰の刀に手をかけ、鋭い声で問いかけた。
「あなたたち、何ものですか?」
「自分から正体を答えると思うか?」
「大方予想はつきます。神獣ハンターですね?」
「ははは!! 感のいい嬢ちゃんだな! 正解!!」
男の一人が笑いながら剣を生成し、もう一人が両拳に装甲を纏う。その動きを見て、アンナは冷静に指示を出す。
「シロガネ、クルチャガさん。下がっててください。こんな奴ら、私一人で――」
言葉を言い終える前に、アンナの体が突然地面に崩れ落ちた。
「(え……? 何で私……)」
自分の体が動かせないことに焦りが広がる。手にしていた刀も、霧のように消えてしまった。
「いや〜、二人同時に効くなんて仲良しだね〜?」
クルチャガの声が耳に届き、アンナの頭に閃きが走る。
「(二人同時? ……効く? ……あの時の果実……!)」
体が動かないのはクルチャガの仕業だと悟った瞬間、アンナの心に衝撃が走った。
だが、クルチャガとは一ヶ月ほど関わりがあった。その信頼がまだ裏切りを信じきれなくさせていた。
「(嘘です、こんな……シロガネは……!?)」
力を振り絞って視線を動かすと、シロガネも同じように地面に倒れているのが見えた。
「(私のせいだ……! 私がどうにかしないと……)」
責任を感じ、もがこうとするが、体は言うことを聞かない。絶望が彼女を包み込む。
「人とはとりあえず仲良くしておくもんだね……本当。」
クルチャガはそう呟いたが、その顔には喜びも悪意も浮かんでいなかった。ただ淡々と、事実を述べるような口調だった。
「流石クルチャガさん。これで神獣を安心して狩れるようになったってわけだ。」
「それだけじゃねぇ。この女、良い体してるぜ……? こりゃ高く売れるんじゃねぇか? 男は殺すか?」
「その前に俺たちで楽しもうぜ? ついでに男に見せつけてやるか! ははは!」
「あ〜、そこら辺は君たちに任せるよ。僕は興味ないし。それじゃあ僕は神獣を狩ってくるから。あっ、その前にバッグに入ってる神獣の幼体、ちゃんと確保しといてね。」
「はい! お任せください!」
男二人は下卑た笑みを浮かべ、儲けの算段を立て始めた。クルチャガは興味なさげに森の奥へと歩き出す。そして、男たちはアンナに手を伸ばしてきた。
「へへっ、でも先に女だぜ。」
「剥いちゃえ、剥いちゃえ。」
「(嫌だ……嫌だ……!)」
男がアンナの服を破こうとしたその瞬間。
「うなぁ!」
バッグから飛び出した子猫が男の手に噛み付いた。小さな牙が男の皮膚を切り裂く。
「イッテェ!? 何すんだ、このクソがっ!」
「うなっ……」
男は怒りに任せて子猫を地面に叩きつけ、さらに全力で踏みつけた。地面に小さな体が叩きつけられる音が森に響く。
「なー……」
踏みつけられた子猫は、今にも息絶えそうな弱々しい声を漏らした。
「なぁに熱くなってんだよ。さっさと女で楽しもうぜ。」
「剥製にしてやろうか!? あぁ!?」
怒りを剥き出しにした男が叫んだ瞬間、異変が起きた。
男の一人が突然体勢を崩し、倒れていく。その視界に、脚に装甲を纏ったシロガネの姿が映った。
「なっ!?」
シロガネは流れるような動きでもう一人の男の体勢を崩す。驚愕の声が森に響く。
「なん――」
倒れた男たちにとどめを刺すように、浮遊する盾が顔面に追撃を加えた。鈍い音と共に、二人は完全に沈黙した。
「どの世界も似たようなモンだな……」
男たちを制圧した後、シロガネは悲しげに呟き、アンナのもとへと駆け寄った。
「二人ともごめん。確実な隙を見せるまで動けなかった。」
冷静な声でアンナと子猫に謝るシロガネ。その瞳には、どこか遠くを見るような影が宿っていた。
「(シロガネ……なんで?)」
これまで見たことのないシロガネの表情が、アンナの瞳に映り込む。驚きと混乱が彼女の心を支配した。
「今すぐここから――っ!?」
シロガネが話し終える前に、何かが彼に向かって飛んできた。彼は即座に浮遊する盾を構え、それを防ぐ。
装甲同士がぶつかり合う鋭い音が響き渡った。盾に当たったのは、小型のチャクラムだった。
「何で動けるのかな〜? シロガネくん。」
森の奥から現れたクルチャガが、軽い口調で問いかける。
「危険な場所で知らない奴からもらったものを食べない癖があってね。」
シロガネの答えに、クルチャガは小さく笑った。
「意外だねぇ。君はもっと単純な奴かと思ってた。」
その言葉には、どこか探るような響きが含まれていた。




