綺麗な世界と知らないおっさん
「ヒノ・キョウヤ。シロガネ・ヤマト。共にバイタルチェック完了。戦闘装甲『迦具土神』『鳴神』装着開始。」
オペレーターの無機質な声が狭い室内に響いた後、2人の男に金属と電子機器が融合した装甲が、周りの壁に取り付けられた無骨なアームによって全身に装着されていく。
装甲は隙間一つない完全な機密性を確保し、冷たい感触が肌に伝わる。
薄暗い室内には機械音と微かな振動だけが満ち、まるで生き物の臓器に飲み込まれるような圧迫感があった。
「プラズマキャノン、プラズマミサイル、自立型プラズマブレード、その他近接武器、装備完了」
「電磁シールド10基、レールガン、迅雷ユニット、その他近接武器、装備完了」
2人の視界には幾つものUIが浮かび上がる。
緑と青の光が点滅し、装甲の状態や武器の稼働状況を示すデータが流れ込む。確認すると、全てが正常だと分かる。
「キョウヤ、ヤマト。今回の相手は絶対に保護するように。決して殺してはいけない」
白衣を着た女性がモニター越しから2人に指示を出した。
彼女の声は冷たく、どこか事務的で、モニターの光が白衣に反射して無機質な印象を強めていた。
「生身さらけ出した状態で戦闘装甲と渡りあう化け物相手に無茶な注文だな」
「彼女は脳内に制御チップを埋め込まれ操られてる。昔の君と同様でな」
「……」
ヒノ・キョウヤは軽口を叩くが、白衣の女性は表情を変えず自分の話を進めていく。
その言葉に、ヒノの脳裏に一瞬だけ過去の記憶がよぎったが、すぐに押し殺した。
「同じならハッキング機能でなんとかできるはずだ。やるぞキョウヤ」
ヒノのモニターに、もう1人の男、シロガネ・ヤマトの顔が映し出される。
彼の目は真剣で、装甲越しでも熱が伝わるような勢いがあった。今回の作戦を提案したのはヤマトだ。
ヒノはそれを聞き、自分の役割を提案する。
「相手は全てを停止させる絶対零度使いなら、俺が動きを止める。その後はお前がなんとかしろ、ヤマト」
「任せろ。あと少しの所なんだ、死ぬなよ」
「誰がこんなとこで死ぬかよ」
「こちらでも出来る限りのサポートはする。幸運を祈るよ、2人とも」
やる事が決まると、白衣の女とヤマトが映ったモニターが閉じた。
室内の静寂が一瞬戻り、次の行動を待つ緊張感が漂う。
装甲に包まれたヒノ・キョウヤは、今回の相手のことを呟いた。
「今回はちょっと苦労しそうだな」
目の前のハッチが開き、ヒノ・キョウヤは空へと射出された。
バリアを纏い、反重力装置を起動、バーニアを吹かして空を駆ける。
耳元で風が唸り、装甲の振動が全身に響き渡る中、彼の視界には灰色の空しかなかった。
これは失った記憶。
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晴れ渡る空の下、草原に一つぽつんと生えている小さな木の下で、二人の青年が寝ている。
風が草を揺らし、遠くで鳥の声が微かに聞こえる。見渡す限りの緑が、まるで別世界のような静けさを湛えていた。
「おい!」
誰かの声が青年の頭に響いた。
太く野太い声が、眠気を切り裂くように耳に飛び込んできた。
「なんだよ……まだ寝むいんだよアホ」
声をかけられたにもかかわらず、悪態をつきながら二度寝をしようとした青年の名前はヒノ・キョウヤ。
寝ぼけた頭で、どこか懐かしい苛立ちが込み上げる。
「何言ってんだ、こんなとこで寝てたら死ぬぞ」
呆れたような声で言われて、ようやくヒノは起き上がる。
体が重く、頭の奥に鈍い痛みが残っていた。
「何でだよ」
疑問を抱きながらヒノは目を開くと、そこには雲一つない青空と、緑一面の草原と、知らない筋骨隆々のおっさんがいる。
青空の鮮やかさに一瞬目がくらみ、元の世界の濁った空しか知らないヒノには異様な光景だった。
そのおっさんは中腰でヒノを覗いている。
汗と土で汚れた顔に、好奇心と警戒が混じった目が光っていた。
「誰だよあんた……? 俺達の空船は?」
状況が理解できず、険しい声でヒノは言った。
喉が乾き、声が掠れるのを感じながら、空船の不在に焦りが湧き上がる。
おっさんはやっと起きたヒノに対して質問し始める。
「やっと起きたか。俺はそこのガーデンに住んでるラルナーだ。お前ら何でこんなところで寝てる? 親はどうした?」
「ガーデン?」
知らない単語と質問攻めに、さらにヒノは混乱する。
頭の中が霧に包まれたようで、思考がまとまらない。
「そっちの奴は知り合いか?」
ヒノはラルナーに指さされた方を見た。
そこにはもう一人の青年、シロガネ・ヤマトがうつ伏せで気持ちよさそうにいびきをかいて寝ている。
草に顔を埋め、まるで戦いの疲れなど知らないような無防備さだった。
「ぐー……」
寝ている男は長い間ヒノと付き合いがあり、数多くの戦場を共に戦ってきた存在。いわば戦友である。
姿は何故か若い。
26歳のはずの顔が、10年近く若返ったような瑞々しさを持っていた。
「(なんでこいつ若返ってるんだ?俺も?)」
ヒノはシロガネの顔を見て少し安心すると、右手を振りかぶる。
「おい、起きろ」
そして強めにシロガネのケツを叩いた。
乾いた音が草原に響き、眠気を吹き飛ばすような衝撃が伝わる。
「イッテェ!? なにかあったのか?!」
勢いよくシロガネが飛び起き、ヒノの顔を睨みつけた。
目が覚めた瞬間、いつもの苛立ちが顔に浮かんだ。
「悪いな。緊急事態だ」
ヒノは目の前のおっさんに聞こえないよう小さな声で、シロガネに謝罪と状況を伝えた。
声のトーンを抑えつつ、目の前の異常さをどうにか共有しようとした。
「緊急!?」
シロガネはあたりを見渡し、おっさんと周囲の景色に気がつく。
青空と緑のコントラストに、目を細めて状況を飲み込もうとする。
「どうやら知り合い……みたいだな」
呆れた顔でため息をつきながら、中腰から立ち上がったラルナー。
その動きには、田舎暮らしの慣れと力強さが滲み出ていた。
「誰だこのおっさん!? というより俺達の空船は!」
シロガネも状況が理解できず、疑問をとりあえず口にするしかなかった。
声に焦りと苛立ちが混じり、空船の不在に不安が膨らむ。
「はぁ、二人揃っておっさん言いやがって。まぁいい、とりあえず俺の家があるホットガーデンに来い。ここじゃいつ獣に襲われるかわかんねぇからな。歳は? 16くらいか?」
「16?何言ってんだあんた? まさか俺達の仲間に何かしてないだろうな?」
シロガネは怒りの感情を剥き出しにして、目の前のおっさんを疑った。
拳を握り、いつでも飛びかかれるような緊張感が体に走る。
「(なんだコイツの気迫……?)」
シロガネの威圧を感じる男。
ラルナーの目が一瞬鋭くなり、未知の二人を値踏みするような空気が漂った。
2人にとってこの状況は何もかも異常事態だ。
空船がなく、記憶が曖昧で、見知らぬ男が目の前にいる。
そうなると、当然目の前の人物を疑うしかない。
「落ち着けよ。この青空見ろ。少なくとも俺達の知ってる世界じゃない」
「…え?あぁ…確かに……そうだな」
早とちりしそうになるシロガネをヒノは宥めた。
青空を見上げながら、元の世界の灰色の空との違いに現実感が薄れるのを感じた。
ヒノ達のいた世界は青空が存在しない世界だが、今いる世界には青空がある。
此処はまるで別世界だった。
空気の清涼さも、風の柔らかさも、すべてが異質で、頭が現実を拒むようだった。
「とりあえずここはこの人について行くぞ。現地人ぽいし、敵意も感じない」
「本気か?……まぁ確かに雰囲気的に悪人ではなさそうだけど」
覚悟を決めた二人はラルナーについていくことにした。
疑いは残るものの、他に頼るものがない状況に背中を押された。
ラルナーは馬車の操縦席に座り、手綱を握ると、二人は渋々後ろの荷台に乗り込む。
木製の荷台は軋み、埃っぽい匂いが鼻をついた。
「よし、出発するぞー」
「なんだこの生き物」
「さぁ?」
ヒノとシロガネが馬車の後席から、珍しい物を見るように馬を見ていた。
二人のいた世界にはいなかった生き物だからである。
馬の筋肉が動くたび、未知の生命力に目を奪われた。
「!?」
「!?」
走り出した馬は予想外なスピードを出した。
その勢いに、荷台が揺れ、風が顔を叩く。
驚きで2人は思わず周りの物にしがみつく。
「なんだこれ!?」
シロガネがヒノに疑問をぶつけるが、ヒノが答えを知るはずもなく返事を返す。
「知らねえよ!」
錯乱する二人、それでも馬車の速度は変わらず爆進した。
草原が視界から流れ去り、未知の世界への突入が現実を突きつけてくる。
周りの景色も確認しながら進んでると、大きな壁に囲まれた街と巨大な門のような物が見えてきた。
壁は古びた石でできており、苔がところどころに生え、長い年月を感じさせた。
そのまま門まで進む馬車。
「おーい、開けてくれ!」
門の前でラルナーがそう言うと、壁の少し上にある窓が開き、人の顔が現れた。
「ラルナーさん、お疲れ様です。依頼はどうでした?」
タンクトップ姿の男が、壁についている窓から顔を出してラルナーに質問した。
その声には、気さくな田舎者の温かさが混じっていた。
「まぁまぁだな」
「そりゃ良かった! ちょっと待っててくださいよー」
嬉しそうに門番がそう言うと、門が上がり始める。
鎖の軋む音が響き、ゆっくりと開く門の下を抜け、馬車が進む。
その隙間から見える街の喧騒が、遠くから聞こえてきた。
「すごい原始的だな。俺らが通ってる最中に扉が落ちてきたらどうすんだよ」
鎖で引っ張られて門が上に上がる仕組みに、少し恐怖を感じたヒノは呟いた。
元の世界の高精度な機械に慣れた目には、不安定さが際立った。
「おい、キョウヤ見てみろよ」
「ん?」
シロガネに言われて真正面を見るヒノ。
そこにはヒノ達がいた世界ではありえない街並みが広がっていた。
レンガや木でできた家、水が流れる水路、家に絡みつくツタ。
汚染された廃墟しか知らない二人にとって、まるで絵本の中のような光景だった。
「なんだここ……」
見た事ない景色に対して、ヒノは不安と感動が混じった声を思わず出し、辺りを見渡す。
心のどこかで、この美しさが現実とは思えない感覚が疼いた。
街並みに圧倒されていたヒノとシロガネ。
気づいたらラルナーの家に着いていた。
木造の家は素朴で、煙突から薄い煙が上がる温かみのある佇まいだった。
「降りて入ってていいぞ。俺は馬車置いてくる」
馬車から降りると、ラルナーはどこかへ行ってしまった。
とりあえず木造の家に入る二人。
慣れない雰囲気に二人はソワソワする。
木の香りと、どこか懐かしい生活の匂いが鼻をくすぐった。
「不用心すぎるだろ」
「確かに」
ヒノとシロガネはそう口にするが、大人しく椅子に座ってラルナーの帰りを待っていた。
粗末な木の椅子が軋む音が、静かな室内に響いた。
ラルナーが帰ってきた後、「少し休んだほうがいい」と言われて、2人は空き部屋に案内された。
空き部屋にはベッドが二つあり、窓からは外の景色がよく見える。
外では、夕陽が草原をオレンジに染め、穏やかな時間が流れていた。
「なんかさ、凄いな」
窓の外を悟った顔つきで眺めるシロガネ。
彼は見た事ない物のオンパレードで、思考回路が動かなくなっていた。
その瞳には、驚きと好奇心が混じり合っていた。
「お前、あそこで寝ていた前の記憶はどこまである? それにこの体」
ヒノは冷静に自分の体を確認しながら、シロガネに質問する。
記憶が正しければ歳は26になったくらいだと思うが、今のヒノとシロガネの姿は16くらいに見えた。
腕を動かすたび、若返った体に違和感が募る。
「マイナス10歳ってとこかな? 昨日はお前とガラクタ漁りしてたよな? そこから先が……」
「そのあと使えそうなガラクタ集めて売りに行ったろ」
「そうだっけ?」
シロガネは昨日という感覚の記憶を語った。
その感覚はヒノも同様だった。
頭の中の霧が晴れず、二人の記憶が同じ地点で途切れていることに気づく。
同じくらいの間の記憶が飛んでいる事を認識する2人。
「これからどうする?」
ヒノがベッドに横たわりながら、シロガネに問いかけた。
柔らかいベッドの感触が、疲れた体に染み込む。
「空船のみんなは無事なのか……?」
「俺らがここに居るなら、あいつらもきてるんじゃないか?」
シロガネは仲間の心配をし、ヒノは仮説を立てた。
声には不安が滲み、どこか遠くを見ているような目だった。
「みんな若返ってか? そうなるとメイなんかは赤ちゃんになってるぞ」
冗談混じりにシロガネがヒノに言うと、ヒノは一つ行動を起こす決意をする。
「あのラルナーって奴に聞いてみるか」
ヒノが呟くと、丁度ラルナーが扉越しに声をかけてくれた。
そのタイミングに、運命めいたものを感じた。
「おーい、飯作ったからお前らもどうだ?」
「どうする?」
ご飯を作ってくれたラルナーが2人を誘ってくれるが、信用していないシロガネはヒノの判断を煽った。
その声には、警戒と空腹が混じっていた。
「とりあえず行くしかないだろ。腹減ってるし」
とりあえず二人ともお腹が減っていたので、ご馳走されることにした。
腹の虫が鳴る音が、決断を後押しした。
合成食品ばかり食べていたヒノとシロガネは、美味しさに感動した。
温かいスープと焼きたてのパンの香りが、二人を包み込む。
もはや毒が盛られてるなど考えはしなかった。
「どうも」
「助かりました」
あまりの美味しさに感謝を言葉にしたヒノとシロガネ。
口の中で広がる味に、元の世界では味わえない豊かさを感じた。
「それでお前ら、どこからきた?」
ラルナーは優しい口調で改めて2人に質問をした。
その声には、好奇心と少しの同情が混じっていた。
2人は今まで気にしてなかったが、言葉が通じることに疑問を覚える。
自分達の言語が、この世界で通用する理由が分からない。
言葉は通じるが、2人の経緯は通じない。
そう考えたヒノは、嘘を交えて話し始める。
「何も覚えてなくて。最後に覚えてるのは、えーと……そうだ、俺たちの寝てたところにデカイ船なかったですか?」
「船って海にあるもんだろ? 陸地にあるわけねぇだろ」
「いや、空飛ぶ奴なんですけど」
ヒノの話を聞いたラルナーは少し沈黙し、その後ヒノを哀れむような視線と言葉を送る。
その目には、狂気を語る者を労わるような柔らかさがあった。
「そうか……まぁ詮索はしないでおく。色々大変なことがあったんだろうな」
「(このおっさん、俺のこと頭おかしくなった奴だと思ってるだろ)」
ヒノはシロガネに視線を送り、別の作戦に切り替える。
その作戦とは、ズバリ一旦諦めて、とりあえずここの世界に馴染むだった。
ヒノの仲間達も自力で何とかする力はあるはずだと考えた結果である。
「あの――」
「お前――」
「どうぞ」
ヒノが話を切り出そうとした瞬間、ラルナーの声も被さり、ヒノは話を中断し譲ることにした。
「お前らしばらくここに泊まっていくか?」
「え?」
「へ?」
突然ラルナーから、2人にとっては最高の提案が放たれた。
あまりの美味しい話に、2人は少しの間フリーズする。
頭の中が空白になり、目の前の現実を疑った。
フリーズを先に解除し、質問するシロガネ。
「いいんですか? 俺ら何も持ってないですけど」
「かまわねぇよ? ……部屋は空いてるからな」
「おぉ! ありがとうございます! やったな、キョウヤ!」
「そうだな(あまりにも話が美味すぎる。お人好しなのか……それとも)」
なんにしても、この世界に精通した信頼できる人が必要だった。
ラルナーの穏やかな態度が、二人の警戒心を少しずつ解いていく。
とりあえずこの人は悪い人ではない。
ヒノとシロガネはそう判断した。
「ただし、雑用とかはやってもらうからな」
両腕を組んで、ラルナーはそう言った。
その声には、田舎暮らしの厳しさと優しさが同居していた。
「大丈夫です。何もしないなんて逆に気持ち悪くなる」
「泊めてもらうんだから、それくらいは当然だよな」