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深淵からの脱出




「ミノリ、早く馬車を出して……! 急いで!」


「え!? え? 分かりました!」


 ロウとヒノは慌てて馬車に飛び乗り、ロウがミノリを急かした。ミノリが手綱を引くと、馬車は軋むような音を立てて全速力でガーデンへと走り出した。

 車輪が地面を叩く音が響き、土煙が後方に舞い上がる。ヒノは馬車の縁に凭れ、ずっと森の方を振り返って確認していた。森の暗い輪郭が遠ざかっていくが、胸に残る不安が目を離させない。


「お、お嬢さま。ガーデンに戻る前に着替えた方が」


「うん……」


 ミノリが小心に促すと、ロウは小さく頷いた。確かに、今の彼女の服はボロボロで、ガーデンの人々に怪しまれるのは確実だった。破れた布が風に揺れ、肌寒さが身に染みる。

 ロウはちらりとヒノに視線を送った。それに気づいたヒノが軽く首をかしげる。


「ん? ああ、着替え終わるまで目を閉じてればいいか?」


「ありがと……」


 ヒノは目を閉じ、馬車の揺れに身を任せた。ロウは静かに着替えを始め、布ずれの音が小さく響く。

 ミノリが馬を操る手元に集中する中、馬車の中は一時的に穏やかな空気に包まれた。


「それにしてもお嬢様が何故そんなお姿に」


「手強い獣? と出会った。ヒノがきてなかったら大変なことになってたかもしれない。改めてありがとう。」


「一つ借りってことで。」


 ロウは着替えを終え、ヒノに感謝の言葉を述べた。声にほのかな安堵が滲む。ヒノは目を閉じたまま、軽く笑って返事を返す。

 そして、ふと思い出したように質問を投げかけた。


「そういえばあの森に向かった目的は何だったんだ?」


「ある薬草を採ってきてほしいと頼まれた。」


「薬草?」


「多くの病に効くと言われてる薬草なんだけど。」


「で、襲われてそれどころじゃなかったってところか。」


「いや、見つけて採取には成功したんだ。」


「は?」


 ロウはそう言うと、懐から土の入った小さな容器を取り出し、ヒノに見せた。

 容器の中には、白と黒のコントラストが美しい花が静かに収まっている。


「これがその?」


「うん。白黒草。」


「えぇー!? お嬢様それ大発見何じゃ!?!?」


「ミノリはちゃんと前見てて。」


「はい……」


「見たまんまな名前なんだな。」


 ヒノが呆れたように呟くと、ロウは小さく微笑んだ。


「だから見つけた時、直ぐ分かった。けど」


「けど?」


「これを採取してたらあの黒い塊が現れた。」


「……それ採ってきて大丈夫なのか?」


「多分……大丈夫。森の外に出てくる様子もないから。もしダメなら馬車に追いついている。」


「そうか? 時間をかけて夜に這い寄ってきたり」


「………」


 ヒノが冗談めかして言うと、ロウの顔が少し青ざめ、言葉を失った。馬車の揺れが、彼女の沈黙を際立たせる。


「それにしてもアレ。凍らせれなかったのか?」


「……何度も試したけど、異能自体が取り込まれてる感じがした。もしかしたら異能食種なのかも。」


「異能食種? なんだそれ。」


「一般的に知られてるのは異能を食う虫、異喰虫。その虫は異能使いを拘束する時に首輪に仕込んで使うことが多い。」


「虫以外にもいたって話?」


「分からない……そんな話聞いたこともないから。」


「……ま、あの黒い奴とはもう二度と出会いたくはないな。」


「うん。」


 二人の会話が途切れ、馬車はしばらく無言で進んだ。馬の蹄の音と車輪の軋みが、静寂を埋める唯一の音となる。

 やがて、ヒノが再び口を開いた。


「それでその薬草はどうするんだ?」


「依頼主に渡すつもり……」


「その話だけど」


「分かってる。陰で聞いてたから。」


「……(あの時聞かれてたのか)」


 ロウがあの二人組とヒノの会話を陰で聞いていたことを告白すると、ヒノは一瞬言葉に詰まり、黙り込んだ。

 彼女の視線が、どこか遠くを見つめているように見えた。


「お前を揶揄う目的で仕向けた奴らにそれ、渡すつもりなのか?」


「……うん。そもそもこれは私のやったことに対しての償いだから。」


「……へぇ、まっお前が獲ったんだから好きにするのはそっち次第だな」


 ロウの言葉に、ヒノは少し驚きつつも否定はしなかった。彼女の決意が、静かに伝わってくる。


「うん。」


 ヒノの思いもよらない言葉に、ロウは少し元気を取り戻したような素振りを見せた。唇の端がわずかに上がる。


「でも安全確認のために、今日くらいは私の元に置いとこうと思う。」


「安全確認?」


「ヒノの言った通り、あの黒い塊がガーデンまで追ってこないとは限らない。」


 あの異常な物体への警戒を怠らないロウは、とりあえず今夜は白黒草を内緒で自宅に置くことにした。

 馬車の窓から見える森の影が、遠くでじっとこちらを見つめているような錯覚を覚える。


「(冗談で言ったんだけどな)」


 ヒノは内心で苦笑しつつ、馬車の揺れに身を任せた。


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