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第8話 ワケありは妥協が必須

ページをめくる音だけが規則的に響く静かな空間。


きりが良いところで俺が顔を上げると、視線を感じたのか隣で本を読んでいたリディアが顔を上げて俺に視線を合わせた。


2つの絡む視線……先に目を逸らせたのはリディアだった。


彼女は何事もなかった振りをしているが、さっきよりもページをめくるのが早いし、その指先も僅かに震えていた。


水曜日の夜、俺はリディアに与えた水の宮に来る。


花や菓子を持ってくることもあるが、飾る花瓶がもうないとか、夜に食べたら太ってしまいそうというリディアの言葉に俺は読みかけの本やボードゲームを持ってくるようにしている。


リディアの手元でページをめくる紙のこすれる音が大きくなり、リディアの眉間にシワが寄っていることから、リディアが読書に集中できなくなったことが分かる。俺を意識してくれるのは嬉しいが、俺の傍で安心してもらえないのは悲しい。


― 初恋の方の花嫁になれたのですから、私は幸せですわ ―


結婚した日、リディアは兄にそう言った。『初恋の方』と言われたことは嬉しかったが、リディアにとって俺は過去の恋である。


……リディアは好いた男がいると言ったじゃないか。


手を伸ばせば触れられる場所にいるのにリディアが遠く感じる。リディアが皇妃、つまり妻として夫の俺を拒絶していないことは分かっている。


リディアが入宮した日に花を贈ったからか、そんな俺の初めての行動に何かを察した王城の侍女たちは初夜の床にくるリディアの準備にそれはもう張り切ってくれた。


俺の瞳の色を溶かしたような海色の夜着を着て(後から聞くと男性が好むとの評判で人気の夜着だったらしい)、色っぽくほつれつつも結い上げられた髪に手を差し入れれば全てを計算尽くしたかのように彼女の髪が美しく舞い降りた。


侍女たちに下がるように命じつつも、侍女が下がりきるまで待ちきれず、俺は緊張で体を固くするリディアを抱きしめた。後から聞いた話だが、そんな俺の切羽詰まった様子に水の侯爵邸から一緒に来た侍女たちは「やっぱりリディア様が一番」といって祝杯をあげたらしい。


明け方までリディアを離せず、気を失うように眠りについたリディアを一人放っておけず、朝の会議を欠席する旨を伝えるために俺が侍従を呼ぶとなぜかテオが来た。


俺の教育係だった頃から変わらない片眼鏡姿だが年を取って涙脆くなったに違いない。テオは泣きながら「このままいけば御子も直ぐ」と顔を輝かせたが……正直、俺は躊躇している。


「御茶でもお飲みになりますか?」

「……もらおう」


俺の返事にリディアは手元にあった鈴を鳴らす。


初日の性急さが嘘のように、のんびりと夜を過ごす俺たちのためにリディアの侍女は鈴を用意した。鈴を鳴らせば侍女たちが茶の用意をし、場合によっては軽食さえ用意してくれる。


ただ……茶葉についてはテオの教育か願望か分からないが滋養強壮効果のある物が用意されているのには困ってはいるが。


リディアもその辺りは分かっているのか、茶葉をすくうと少し困ったような表情を見せる。それが羞恥なのか……それとも諦めなのか。


―――リディアは俺の向こうに誰かを見ているのかもしれない。


気にしても詮無いことだが気になって堪らず、俺はリディアが1つ目の茶碗に茶を注ぐのを見届けて、それを取り上げ飲み干した。ごくりと嚥下した後にリディアの「あ」と戸惑う短い声が聴こえた。


「……何だ?」

「御毒見をしようと思ったのですが……」


リディアの言葉は笑うしかない。いまこの国にとって俺を殺して得するものなどいないのだから毒見など……いや、一人はいるか。リディアは俺がいなくなれば望んだ男と一緒になれるのかもしれない。


「……苦いな」

「そちらの茶碗は私のためだったので砂糖を入れていましたが……苦い、ですか?」


首を傾げるリディアに俺はこみ上げてきた苦い笑いを噛み殺せず、何もなかった振りをする。俺は彼女を手に入れた……これ以上は望まない、望んではいけない。


「もっと甘くしたいな……次回は城下町で人気の菓子を持ってこよう」


 ***


茶を飲んで本を読み、時折視線を交わしながら時が過ぎ、静かな部屋の中にカーンと鐘の音が鳴る。騎士の交代の時間を報せる鐘の音は、いつの間にか俺たちの合図にもなっていた。


共に過ごした夜の回数は片手で数えるほど。気恥ずかしさの方が未だ勝るリディアの手から本をとり、机の上に置くと俺はリディアの手を取って立ち上がらせる。


「良いか?」

「……はい」


了承をする返事をしたくせに……顔を近づければリディアは俺から顔を背ける。そのつれない態度は俺の心をチクリと突き刺すと同時に狩猟本能も刺激する。


「背けるな」と呟いて、俺はリディアの頬に手を添える。リディアの顔は小さくて……俺の手から逃げられず瞳の中に俺だけを宿すリディアに独占欲が満足する。


ワケありだろうが何だろうが……と開き直れないのは、彼女の青い瞳が哀しげで


「約束」


なんて残酷な女なんだろう。


「分かっている……口付けは、しない……義務を果たすだけだ」


安堵の息を漏らすリディアに俺は傷つくけれど、男としての矜持で冷静を装い、リディアを抱き上げて、俺たち2人でも余裕で転げ回れるほど広い寝台にリディアをおろす。


「陛下」


海色の敷布、俺の世界の中にいるリディアに満足するしかないのだ。


リディアの方に体を倒し、彼女の両脇に手をついて腕で作った檻の中にリディアを閉じ込める。ほら、リディアの瞳の中、俺の顔をした男は満足気な顔をしているじゃないか。


そう、俺はたったひとつの願いを叶えるために、自分から望んで皇帝になったんだ。我慢は腐るほどした……妥協だってしてみせる。


俺は上から吊り下がる紐を引き、帳をおろして二人だけの世界を作る。理性では割りきっていても本能はそうはいかないのだろう、リディアの強張った顔に「怖いか?」と言葉をかけて気遣う。


「怖くはありません……ただ、緊張してしまいます」


リディアはこの状況に納得しているのだから、俺もそうあるべきなのだ。

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