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第6話 浸みこむ悪意

「水の宮にご案内いたします」


 部屋に来てそういった神官に私は寄りたいところがあると言いました。

 『できるだけ早く』と言われた入宮ですが、半刻(一時間)ほどの寄り道ならば許されるでしょう。


 離宮は陛下の兄君、先代の皇帝陛下であるナディル様が育った場所。

 私も陛下も幼い頃からよく出入りしていました。


 皇族の婚姻式は王城の神殿で行われることが多い。

 それでも、ここで婚姻式をすると言ったのは陛下だそうです。


 もしかして覚えていた?


 何代か前の皇后様が余生を過ごされた離宮。

 陽当たりがよいこの神殿のステンドグラスから射しこむ彩り豊かな光がとてもきれいで、「ここでお嫁さんになる」といったのは遠い昔。


 陛下が? 



―――リディア、あなたはカダル殿下のお嫁さんになるのよ。


 あれは私が初めて陛下に会った日。

 この宮殿の中庭で私にお母様がそう言いました。


 あの日私は六歳になったばかり。

 誕生日にいただいたお気に入りのドレスを着て、初めて来るこの場所に緊張してお母様の少し後ろを歩いて。


 ずっとお母様の背中を見ていたから、自分がどうやって中庭まで行ったのか分からないほどでしたわ。


 中庭には黒い髪に青い瞳の男の子。

 前に立った私が見上げないと顔が見えなかったけれど、あの時の陛下はまだ十二歳。


 私も陛下もまだ子どもでした。


 まだ少年の陛下の「初めまして、リディア嬢」と高い声の挨拶、「瞳が澄んだ湖のように美しい青色ですね」と世辞に慣れない様子。


 それに対して私の返事はなんの捻りもない。

 「殿下の瞳も深い海のような青色で素敵です」なんて、でも恥ずかしかった。


 あんな緊張でそれだけ言えれば私的にはギリギリ及第点。


 年齢を重ねると俯瞰的にものを見られる。

 侍従の方に「殿下、それをお忘れです」と言われて受け取った陛下の差し出した花束はとても大きく、渡された勢いもあって私は少しよろめいてしまいました。


 不器用だけど純粋で。

 

 私たちはこの日『婚約者』となりましたが、六歳の私と十二歳の陛下では飯事(ままごと)の延長。


 「お兄様ができて嬉しい」くらいにしか感じていませんでした。


 兄と妹のような私たち。

 でも成長するにつれて、私は陛下を『兄』ではなく『男の子』と見るようになった。


 きっかけは分からない、きっと些細なこと。

 

 私は陛下に恋をした。

 初恋だったけど、このキッカケも分からない。


 始まりの分からない恋だけど、恋心はしっかりと大きくなった。


陛下はとてもきれいな方で、多くの御令嬢たちが陛下に恋慕の視線を向けていました。6歳年下の私は陛下と同年代の女性たちのライバルとなり得ず、陛下に対して甘い声で「好きです」といえる彼女たちを羨ましく思いました。


私が婚約者なのに変でしょうね……でも、陛下が私と婚約したのはこの婚姻と同様に「ワケあり」でしたの。だって陛下は私以外と婚約できなかったのですから。


 ***


「少し待っていただけますか?」


そう言って神官を呼び止めた私は1枚の肖像画の前で足をとめた。ここに描かれた方は先々代の皇帝陛下、ナディル様と陛下のお父君です。


この方が亡くなったのは私と陛下が婚約する少し前だったそうです。


私が物心ついた頃には病床にある方だったので実際にお会いしたことはありませんが、こうしてみるとナディル様にとても似ていらっしゃいます。


この方が亡くなった後はナディル様が皇帝に即位しました。この国は初代皇帝から長子相続を徹底しているので(法律にもある)、ナディル様が即位することに反対の声はなかったそうです。彼の聡明さは周知のことでしたし、ナディル様派皇太子としてずっと皇帝の業務を代行してきたそうです。


一部の方が不安視したのはナディル様の体の弱さでしたが、これについては弟の陛下が皇弟として支えていくことを表明されていたので問題にならなかったのに、おひとりだけナディル様が皇帝であることを反対される方がいました。


本来ならばたった1人の反対など問題にはなりませんが、反対の声をあげたのが兄弟の実母である皇太后様だったのが問題でした。


その後国は皇帝派と、皇帝の健康を理由に皇弟を推す皇太后派に分かれました。「皇弟派」ではなかったのは皇弟本人が皇帝派筆頭だったからです。


陛下は本来ならば皇帝にならない方でした。御本人がそれを望んでいないことを、当時傍にいた私は良く知っております。


皇太后派の方が圧倒的に不利であり、分裂の終息は直ぐに終わるだろうと思われていたのに、皇太后様はナディル様自主的な退位を諦めると彼の暗殺を謀るようになりました。


首謀者が皇太后様だったので暗殺者は内宮に易々と侵入、皇太后様に買収される侍女たちも多くナディル様の食べる物や飲む物に毒が混入することは日常茶飯事だったそうです。


私が陛下と婚約するとき、その背景をお母様は教えてくれました。皇太后さまが実子であるナディル様を殺したいほど疎む理由も。


その原因が今私の目の前に飾られた絵の中にいる方です。


ナディル様と瓜ふたつの先々帝と皇太后様は、皇族には珍しく大恋愛の末の結婚だったそうです。御二人はとても仲が良く、子宝にはなかなか恵まれませんでしたがナディル様と陛下が生まれるまで先々帝は皇后となった皇太后様だけを愛し、側妃である皇妃様もいなかったそうです。


皇后様一人だけを愛し抜く世紀のロマンス……このメッキがはがれてしまったのは誰にとっても不幸だったそうです。


実は先々帝は皇后様が立后して3年ほど経った頃からこっそり浮気をなさっていたそうです。御母様に言わせると彼は「若い美人が好きな好色家」だったそうですが、そんな方が本性を十数年隠したと聞くと呆れもしますが感心もしてしまいます。


先々帝は呆れることに『皇族に庶子が出来ない理由』をフル活用なさり、若い美人を何人もこっそり侍女として城内に囲って浮気を繰り返したそうです。彼女たちも自分が浮気相手なことを重々承知していたためお互いに擁護しあい、皇太后様が偶然浮気現場を目撃するまで先々帝の所業は公にならなかったそうです。


大恋愛の末の結婚、子ができなくても妾すら作らない(と思っていた)夫の誠実さを愛していた皇太后様は真実を知って先々帝を憎みましたが、その憎しみが薄れる間もなく病床につき数年後に他界……皇太后様の恨みや憎しみは、夫によく似た長男であるナディル様に向いてしまったのです。


同じ息子である陛下に恨みや憎しみが向かなかったのは、陛下は皇太后様似、正確には皇太后様が溺愛していた弟君にそっくりだったからだそうです。自分の感情に素直な皇太后様をお母様は「皇后になったのが不幸な女性」と仰っていました。


しかし、どんな理由があるとはいえ子どもが大人の都合に振り回される理由はない。しかも暗殺だなんて言語道断……そう言ってナディル様と陛下を守る盾となったのがお母様です。


皇太后様はお母様が苦手だったそうです。名門水の侯爵家の当主だったため無碍にできない存在であること、さらに遠慮があった息子たちと違って遠慮も温情もないのがお母様だったからです。


そんな母は貴族会議を開き、皇帝と皇弟の承諾の身で陛下の婚約者を自分の娘である私に決定。いずれ婿入りするからという理由で陛下を水の侯爵邸に住まわせました。


そこからは実に陰険なやりとり。ナディル様の執務室に暗殺者が入れば陛下が大けがを負ったという報告が皇太后様に入りました。ナディル様の食事に毒が盛られれば、陛下が毒に倒れて生死を彷徨っているという報告が皇太后様に入りました。


当然そんな事実はないのですが、お母様は情報を徹底管理したので皇太后様は陛下を守るためにナディル様への攻撃をおやめになりました。


母に狙われる兄と、母の凶行を抑えるために人質になった弟ですが、兄弟仲はとてもよく、ナディル様と陛下の結束は強いです。陛下はお互いしか家族とは思えないと仰ったことがあります。


皇太后様が皇家の避暑地にある宮殿に移られた後も、陛下は水の侯爵邸に住み続けました。いずれ自分は水の侯爵の夫になるのだからと言って。だから私も王宮に出仕する陛下について行きました、皇帝陛下の義妹になるのだからと言って。


陛下が私しか選べない状況だと知っていても、陛下が私との未来を望む言葉を仰るたびに心がときめいたものです。


 ***


「リディア様、ご無沙汰しております」


先々帝の肖像画を通り過ぎて、廊下の角を曲がると見覚えのある方がいた。ナディル様の側近のナセル様、恐らくナディル様と一緒に王都にいらっしゃったのでしょう。


「思わず水の侯爵様が化けて出られたのだと思いました……皇帝兄弟を叱れるのはあの方だけでしたからね」

「あら、ナディル様と陛下は何か悪いことをなさったの?」

「リディア様がそんな顔をしていらっしゃいますからね……愛娘を泣かせるなと御怒りになったはずですよ」


私と陛下が婚約して8年が過ぎた頃にお母様が亡くなった。病床についてたった3ヶ月、「げんこつを落とされた頭が未だ痛むのに」と言って陛下もナディル様も母の墓前で泣いてくださった。


お母様が亡くなって継父が邸を専横する中、皇太后様が王都に戻ってきたという連絡を受けた。皇太后様は自分を退けた皇帝を恨み、皇太后という地位を笠に着て粗暴な行いをするようになった。


皇太后を追いやったのは陛下も同じだったのだが、皇太后様の溺愛はなぜか健在であり、お母様に代わって陛下がナディル様を守るために母親の横行の防波堤となった。レオノーラ様のあからさまなアプローチにも辟易していたのでしょう、陛下は王宮で寝泊まりするようになりました。


私も継父を抑えなければいかないため水の侯爵邸を離れるわけにはいかず、放っておくと私財を食いつぶす恐れもあったので、寂しさはあるものの陛下に会えない日々を送りました。


私が水の侯爵邸にかかり切りになる一方で、レオノーラは連日王城に行っていました。どういう理由かわかりませんが皇太后様はレオノーラを気に入り、お茶会を開いては陛下に同席させました。


『カダル様はお元気そうだったわよ』とレオノーラから陛下のことを聞くことが増え、何も言えない私に気を良くしたのか『カダル様が下さったネックレスよ』など陛下と同じ青色をした宝飾品を見せびらかすようになりました。


裏に皇太后様がいるのだから、陛下はそんなことをしない……そう言って何度も自分を奮いおこそうとしましたが、私も未だ14歳の小娘、幼さに勝てませんでした。


陛下に会える数少ない機会だというのに終始可愛くない態度しか取れず、陛下から告げられる別れの挨拶にため息が混じっていたことも少なくありませんでした。


自己嫌悪に陥ると悪意が心にしみ込みやすくなるもので、


 『カダル様はあんたといても楽しそうじゃないわね』

 『カダル様はあんたの婚約者だけど、あんたを愛しているわけじゃないと思うの』

 『ねえ、カダル様に好きって言われたことある?』


レオノーラの言葉の毒は私を蝕みつづけ……私が15歳になった日の朝、私は毒に負けたのです。

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