【幕間】入宮
リディアがカダルの皇妃となることを聞いた離れの使用人は歓声を上げ、すぐさまリディアの入宮の準備を整えた。
猪突猛進の勢いと粉骨砕身の持久力、離れの使用人とカダルが派遣した優秀な者たちが余すことなく能力を発揮したことで3日後の夜にはリディアの入宮の準備が整った。
流石に夜中に後宮入りはできないということで、優秀な彼らは祝宴をすることにした。
離れには家具以外何もなく、『飛ぶ鳥は後を濁してはいけない』という言葉を具現化したように床も壁もピカピカに輝く部屋の中央に全員が適当に座り、酒を酌み交わした。
「ううう…カダル様なら必ずお嬢様をお迎えに来て下さると思っていました」と言ってハンカチ片手に涙ぐむ者。「先代様の代わりに、私どもが婚姻衣装に身を包むお嬢様の姿を目に焼き付けましょう」という言葉にはその場にいる全員が「応」と答えた。
離れの使用人はリディアが幼い頃から傍にいたため、長くリディアの婚約者だったカダルを知る者は多い(水の侯爵邸に住んでいたこともあるし)。
カダルがレオノーラと婚約したときは多くの者が嘆き、レオノーラを皇妃にしたと聞いたときは「刺し違えてでも」と親族に縁切りの手紙を書いて別れを告げた……なんて過去をすっかり忘れ、いまのカダルは彼らにとって白馬の王子様扱いをされていた(王子どころか皇帝陛下だったが)。
恋愛小説が大好きだった先代侯爵リディアの母の影響でリディアの傍にいる昔からの使用人たちはロマンチストが多かった、
「はーはっはっ!意地悪な姉に正義の鉄槌が下されるのは物語の常!恋愛小説のスパイスたる悪役、レオノーラにカンパーイ!」
「ざまーみやがれ!!」
誰が何と言おうと彼らはロマンチストなのである。
***
酒宴の翌日、リディアを乗せた侯爵家の馬車は後宮に到着した。
寝具まですっかり荷造りされてしまっていたため、酒宴の夜は使用人部屋で侍女たちと寝ることになったリディアだが、パジャマパーティーのようだと思って中々眠ることができなかった。
夜空が少しだけ明るくなる頃にようやく眠りについて……も束の間、ニワトリが鳴き始めたから「朝になった」という使用人たちに急かされる形で水の侯爵邸の離れの使用人部屋から出発することになった。
水の侯爵邸から王城は目と鼻の先……未だニワトリが鳴いている間にリディアは後宮に到着した。
「入宮に大喜びしているみたいじゃないかしら」
「一日の計は早朝にありと思いましょう」
そんな格言ないでしょう、と呟くリディアは老齢の騎士のエスコートされて馬車を降りた。そんなリディアを片眼鏡をかけた男性が出迎える。未だニワトリが鳴く早朝だというのに彼の身だしなみには一分の隙もない。
「後宮の管理人を仰せつかっている『テオドール』と申します。どうぞ『テオ』と気軽にお呼びください」
「それでは、テオ。宮に向かう前にいま一度確認したいのだけど、私の使用人を全員連れてきて良かったのよね?その……かなり大所帯になるのだけれど」
リディアの質問にテオはにっこり笑って応える。
「リディア様が彼らを養えるなら全く問題ありません。もちろん後宮管理費のうちリディア様に当てられた分を彼らに渡しても構いません」
テオの言葉にリディアは「陛下の部下らしいわ」と感心してしまったが、その点についてリディアには問題はなかった。
「陛下との婚姻後、リディア様は正式に水の侯爵になられます。侯爵邸の管理はいかがなさいますか?」
「私の方で維持します……と言いたいですが、今回の婚姻は陛下の御子を次期水の侯爵とするためですから皇家もしくは陛下にも一部費用を負担していただきたいわ」
リディアの言葉にテオは楽しそうに笑った。
「リディア様ならそう仰るであろうと陛下から伺っておりました。陛下の個人資産で管理費の4割を負担するそうです」
4割という大きな割合にリディアが不可解な目線を向けると、テオは笑みを深くして
「4割を負担する条件として現在お住まいの侯爵(仮)の方に御退去願うとのことです。無一文で追い出すなんて無情なことはいたしません。現在皇室預かりとなっている西部の子爵家の領地を与えるそうです……いかがでしょうか?」
皇室預かりの西部にある子爵、これを聞いてリディアに思い浮かぶのは貴族とは名ばかりで領地はあるが領民はいないという家が思い浮かんだ。
「まあ……肥沃な土地だから働けば食べるに困らないでしょうね」
「屋敷はそのまま自由に使うこともできますし、陛下は彼らに服のみ持ち出しを許可するそうです。衣と住が何とかなれば、あとは努力次第です」
あんな娼婦然としたドレスを残されても困るとリディアは思っていたので、カダルの条件をリディアは全て受け入れた。
書類上は家族と言えど、侯爵(仮)一家にリディアは未練も何もなかった。
あの日、カダルが水の侯爵家を去った後の水の侯爵邸はレオノーラとその母親の癇癪が吹き荒れた。彼女たちは離れに行ってリディアに掴みかかろうとしたが、カダルが残した屈強な護衛によって未遂に終わり、「このままではリディア様が危険だから」という使用人たちの声に応えて2人はリディアが邸を出るまで営倉に閉じ込められることになった。
営倉の警護……という名の監視に当たった兵士によると、レオノーラの怨嗟の声は発情中の動物園よりも姦しかったらしい。
その後、本邸に残った侯爵(仮)と彼の息のかかった使用人たちの襲撃を防ぐため本邸と離れを繋ぐ通路には第一次防衛線が敷かれた。第二次防衛線は離れの前庭であり、これはリディアが邸を出た時点で解体されている。
***
「まるでここは1つの街のようね」
後宮の中に入ったリディアは、たくさんの男女が行き交う風景に素直な感想を述べた。男性の出入りがあることは知っていたが、実際に目にすると不思議でもあった。
「後宮というと隣国のハレムの印象が強いですからね。確かにここはハレムと同じ機能もありますが、私の感覚では1つの街ですね。定期的に市もひらかれますし、多少の手続きは必要ですが皇妃様が後宮の外に出ることも可能です。女性の自由を奪う行為は法律に反しますので」
女性の人権の大切さについて訴えた活動家に内心感謝をささげるリディアに、テオは数人の専属護衛騎士を紹介した。騎士というと男性のイメージが強かったがリディアにつけられた護衛騎士は全員が女性騎士だった。
「女性……なんですね」
男女平等とはいえ騎士になる者は男性が多い。そんな騎士団から女性だけを選ぶのは問題ではないかとリディアは思ったのだが、リディアの疑問を不安と勘違いしたテオは「陛下が自らお選びになった者たちなので彼女たちの実力に問題ありません」と一言添えた。
「後宮全体には皇帝の結界が敷いてありますが、皇妃様たちの御安全のため必ず護衛騎士と共に行動していただきます。皇妃様同士の交流は自由です。中央にサロンのご用意があるので、これまでの皇妃様たちはそこで交流をなさっておいででした」
交流ではなく戦闘の間違いではないでしょうか……と、今までレオノーラが他の皇妃に怪我をさせるために賠償金を払い続けたリディアは訊ねかけたが口を噤んだ。
「他の方の宮に行くことは可能なのでしょうか」
「可能ですが、その手続きは面倒ですよ?後宮の外に出る手続きにかかる時間は1週間ほどですが、他の宮に行く手続きにかかる時間は約1ヶ月間です」
テオの言葉から後宮の外よりも内の方が命の危険が大きいらしいとリディアは理解した。同時にレオノーラが火の宮を急襲して火の皇妃を害した事件を思い出し、改めてレオノーラのガッツに感心してしまった。
「水の宮の基本色は青です。建物はもちろん、女官から下人まで全員青色のものを身につけています。濃淡は問いませんので、今後リディア様が御連れになった方にも青色のものを身につけるようにお願いいたします。外から人を呼ぶ場合も、リディア様の客人と分かるように青色をつけていただくようにお願い申し上げます」
テオの説明を聞きながら青色の建物を歩いていると、庭の一角に建設中の建物があった。
「あの温室は皇帝陛下からで、結婚に際しての贈り物とでも思って下さい。リディア様は薬学に精通していると聞いております。一応御実家にあったものと同様のものを建てておりますが不備があれば私に遠慮なく言ってください」
リディアの中でカダルの評価が少し上がる。
リディアにとって薬草の研究は収入を得るための手段であるが、それ以上に趣味でもあった。
***
「皇帝の結婚については細かくルールが定められ、陛下には全ての皇妃様のところに週1回御渡りになる義務がございます。全てに公平であるため皇后様が決まるまではこれが続きます。カダル陛下は火曜は火の、水曜は水の、金曜は風の、土曜は土の御妃様の宮に御渡りになります。リディア様の婚姻式が次の水曜日なのもそういう理由からです」
そう言ってテオが退室すると入れ違いに、黄色の服を着た侍女が大きな花束を持ってきた。黄色は皇室、皇帝陛下直属の使用人の色である。
花束を持ってきた侍女は小柄で、まるで花束が歩いているような光景にリディアは驚いてしまった。
「ありがとう、花は侍女の誰かに渡してくれるかしら?」
「はい……あの、僭越ですが陛下がお花を贈られたのはリディア様が初めてでございます。陛下が即位されてからお傍に仕えておりますが……あんなに嬉しそうな陛下は初めて見ました」
不自然な擁護にリディアは苦笑する。
「……そんなに憂鬱そうな顔をしていたかしら」
「いえ……ただ今回の婚姻はワケがあるのだと陛下が仰っていたので……何かお困りならば私共もリディア様の御力になるよう陛下より言われております」
侍女が退室して一人になった部屋でリディアはぼんやりと花を眺め続けた。