鬼退治!その6 新たな英雄
生薬を配布してから2週間が経ち、マラリア発生地にも平穏が戻りつつあった。効果があってひと安心だ。
とはいえ油断は禁物だ。蚊が活発化するのは夏の終わりなのだ。今日は8月26日、蚊はこれから益々活発化するのだ。
俺はこの2週間鬼退治と称して国衙を出立し、国衙の者にバレないように国書生として各郡衙を廻り各郡の財務状況や土地の特徴、田畑の数、収穫量の確認などをしていた。
やはりこの地は70年ほど前に浅間山の大噴火に見舞われて大損害を受けていた。
この数十年間、郡司達をはじめとして上野土着(*1)の豪族達は必死に田畑を耕し、ようやく持ち直してきたところなのだそうだ。それでも、火山灰に侵された大地は痩せ細っており他国に比べて収穫量は芳しくない。
役人達は誰も知らないようだが、それは当然だ。なにせこの地は4世紀と6世紀にも榛名山の大噴火で被災している。6世紀の噴火は特に凄まじく、「日本のポンペイ(*2)」と言われているほどだ。
── 俺はこの地で何ができるだろうか?
まずは当然、麦の栽培だ。水田に恵まれない以上、畑作に依存せざるをえない。
当然、現在も麦は栽培されているが、それでも畑作のメインは粟と稗、それに野菜だ。粟や稗は栄養価も高く、これらの栽培が決して悪い訳ではない。
日本では古来より粟、稗、稲、豆、麦の五穀が主なエネルギー源とされてきたのだ。
しかし、使い勝手の良さ、汎用性の高さに関して言えば圧倒的に麦が勝る。
まずは小麦の価値を高めて、米と同等の価値があることに気付いてもらうことが最優先だ。
説得する相手は農民だけではない。むしろ定家の説得が大変なはずだ。
富の象徴である水田をわざわざ畑に変えることは上野のトップである定家にとっては痛手だ。
── 絶対嫌がられるだろうなあ。ただでさえ少ない米が更に減るわけだもんなあ。
うまく説得できるといいのだけれど。
2週間の視察を終え、そんなことを考えながら国府への道を走っている。馬の扱いにも随分慣れた。
野山を進んでいるとそこには紫の綺麗な花が一面に咲いていた。これは桔梗だろうか。秋の七草の一つだ。
この世界に来てからというもの、やたら花に目がいくようになった。どこに行っても同じように草木ばかりの風景の中、凛と咲く花はこの時代の癒しだ。
── そういえば桔梗って十数年前まで絶滅危惧種だったんだよな。復興のために尽力してくれた人々のおかげで今ではそこら中に自生する花となったけど。
道の先に郷が見えてきた。
── ここは最初にマラリアの発生地として訪れた郷だな。ちょっと様子を見ていくか。
◇◆◇◆◇
郷へ入るとみなせっせと働いていた。どうやらここももう大丈夫なようだ。
働く者達の中に見覚えのある顔があった。相手もこちらに気付いたようで駆け寄ってくる。
一番最初に会った15,6歳ほどの少女だ。
「役人さん、こんにちは。」
衣服は泥だらけだが、以前会った時よりも元気そうだ。
「こんにちは。そう言えば名を名乗っていなかったね。私は国書生の龍彦といいます。君の名は?」
「私はリンといいます。それで、今日はどうしたんですか?」
「私達は鬼退治を終えてこれから国衙へ戻るところなんだ。」
「っ!!あなたが鬼を退治してくれたんですか!?」
その声があまりに大きかったため、周囲で働いていた者達も一斉にこちらに寄ってきてしまった。
── が、これは好都合だ。
「半分正解で半分間違いかな。鬼を退治したのはこの子なんだ。」
そういって俺は胸元からひょっこり顔を出すライ公へ視線を向ける。
心なしか皆に見られて照れているようだ。 ── 恥ずかしがり屋さんめ。
「ええー? この子犬が・・??」
── 何百年も昔の関西の鬼退治伝説などこの地方の人々が知っているはずないか。
「そう。この子はライ公と言ってね。神の使いなんだ。
私はただこの子の導きのままに行動したに過ぎないんだよ。」
周囲がざわつく中、気にせず話を続ける。
「だからどうか皆さんもライ公を大切に扱ってくださいね。」
ライ公には鬼退治の英雄になってもらう予定なので今後も布教活動に務めるつもりだ。そしてこの子にはもう一つ、人々に慈愛の心を芽生えさせるという大事な仕事をしてもらう。
かつて江戸幕府 第五代将軍 徳川綱吉が行った生類憐みの令のようにトップダウンで上から押し付けても効果は薄い。それどころか本来の狙いからかけ離れて伝わってしまう。
あれは本来、人や動物の命が軽んじられている風潮を是正し命の尊さを知ってもらい、捨て子や病人、老人、動物への慈愛の心を育んでもらいたいという思いで発布されたものだ。
その教訓を活かしてまずは小さなムーブメントを作っていく。みながライ公を慕い、敬うことで少しずつ変化が起きることを願う。 ── そのためにはもちろん生活の質向上も欠かせないのだが。
「ところでリン、君の主人は畑で何を作ってるの?」
「えっと・・稗と粟、それから麦、ねぎ、にら、菘菜、それから・・・」
さすが有力農民だ。畑もたくさん持っているのだろう。
「随分たくさん育てているんだね。少し話がしたいから会わせてもらえないかな?」
リンに案内してもらい、名主の下へ赴いた。麦を見てみたいのだ。
麦の収穫時期は米よりも早いため、既に終えているはずだ。
「これはこれはお役人さん。リンから話は聞きました。
此度の鬼退治ありがとうございました。」
名主は決して太っている訳ではないが、他の農民に比べて肉付きがいい老年の男だった。
「いえ。この度はご愁傷さまでした。」
「それでしたらうちは下人3人が亡くなっただけなんで大したことはないんですよ。お気になさらず。」
・・・やはり人の命は軽い。
── 隷属民(*3)の解放も手立てを考えないとな。本当にやることは山のようにある。
「今日は収穫した麦について話を伺いたくて参りました。」
話を聞いたところ、どうやら普段は麦飯として米に混ぜて食べているそうだ。栽培しているのは大麦で、小麦は作っていなかった。
小麦を作って欲しいという話をしてみたものの渋い反応をされたため、今日のところは一旦引き下がった。代わりに有用な人間だと認めてもらうため、大麦を麦茶にして飲むことを勧めておいた。貴族の間で流行っていると言ったら食いついていた。
麦茶は美味しいだけでなく体温を下げる、血流を改善するなどの効果に加え、さらにはむし歯や歯周病の予防にもなるのできっと気に入ってくれるはずだ。 ── 日頃から大麦を食べている人々にどこまで追加の効果があるのかは不明だが。
◇◆◇◆◇
マラリア禍の収束を実感することができたため、国衙内でもライ公の布教活動が捗るなあなどと意気揚々と国衙へ向かった。
しかし、国衙に戻るとそこは騒然としていた。
── 源頼朝が挙兵した。
*1 土着: その地に長く住みついていること。
*2 ポンペイ: イタリア南部にあった古代都市。西暦79年にベスビオ山の噴火によって埋没し、1748年に発見された。
*3 隷属民: 下人のこと。奴婢雑人とも称される。売買、譲渡、相続の対象であり、子孫もまた代々主家に仕えた。耕作、雑務の他、合戦にも駆り出された。




