鬼退治!その5 反転攻勢
翌朝、山の中で目覚めると何やら顔がスースーすることに気が付いた。何事かと周囲の様子をじっと観察していると、何か生温かいものが顔に触れた。
── なんだ、ライか。
「もう元気になったのかい、ライ公?」
警戒心が強いはずの山犬だが、子犬はそうでもないようだ。尻尾をブンブン振り回しながら俺の顔を舐め続けている。
「やめて〜くすぐったいよ。」
この世界に突然やってきて以来失われていた俺の平穏な日常が少しだけ垣間見えてなんだか切なくなってしまった。
── やっぱり犬はいいな。こうして触れ合っていると童心に返ることができる。
ライといちゃついている俺に呆れながら弥太郎がいう。
「龍彦、お前顔がつるっつるだぞ。」
◇◆◇◆◇
その日のうちに碓氷峠の関所まで戻ってくることができた。関所に滞在して夜を越し、翌朝関所近くの脇道にクソニンジンを数本植えてから定家のいる国衙へと向かった。
今は治療で使うため植えられるクソニンジンの数が少ないが、この近辺で栽培して増やすことができればこの臭いを有効に使うことができて一石二鳥なのだ。
この時代、関所の者達が目を光らせているとはいえ関所破りなど簡単にできてしまう。
この臭い草は最大で地上2mほどにまで成長するため、自然栽培して抜け道を塞いでしまえば通った者には漏れなくこの臭いが付くことになる。
つまり、不法出入国者をマーキングする効果が得られるはずだ。これだけでは心許ないので別途対策を考えないといけないが一旦はこの嫌がらせで様子をみる。
◇◆◇◆◇
上野の国衙は広大で、遠くからでもすぐにわかった。サッカーコート2,3面がすっぽり入ってしまうほどの敷地は周囲を木の柵で覆われており、その外側にはお堀がある。
── 信濃の国衙も立派だったけどこれは・・広すぎでは・・
「弥太郎、これってやっぱり大きいのかな?」
弥太郎は目を細めまじまじと周囲を眺めながら冷静に答える。
「そうだな・・。これは土御門殿(*1)くらいの広さはあるだろうな。」
「えっ土御門殿ってこんなに広いのっ!?」
「ああ、他にもいくつかこのくらいの広さの屋敷はあったぞ。」
土御門殿と言えば藤原道長が結婚して転がり込んだ邸宅だ。
── 京の上級貴族達は本当に大金持ちなんだなあ。
この時代、平安京には約12万人が暮らしていたと推計されており、その中でも上級貴族である公卿は20人前後しかいない。ほんの一握りの大富豪なのだ。
門番に定家の従者だと伝えると話が通っていたようですんなりと通してもらうことができた。
その際に定家の居場所を尋ねると正面の最も立派な建物を指し示された。
── この国のトップなんだから、そりゃあそうか。
「2人とももう戻ったのか。随分早かったではないか。」
「はい、この子のおかげで近場で薬草を手に入れることができました。」
俺は両腕で抱えていたライ公を定家に見せる。
すると、「わんっ」と元気よく吠えながらライ公は心なしかドヤ顔をしているように見える。 ── かわいいやつめ。
「ほう、犬を拾ってきたのか。その犬をどうするのだ?」
「ここで飼わせていただきたいのですが・・よろしいでしょうか?
この子には験を担いで鬼退治の英雄となってもらう予定です。名前はライといいますので、ぜひライ公とお呼びください。」
定家は俯いてしばし考えこんだ後、何か閃いたように顔をあげる。
「なるほど・・鬼退治で名高い大江山の白犬と頼光殿でライ公か。
験担ぎは大事だな。よかろう、しっかり面倒をみるのだぞ?」
この時代、京では犬を飼う貴族も多かったと聞いていたので当然と言えば当然だが、許可を得られてひと安心だ。
「ありがとうございます。もちろんですっ!キリッ」
口を挟む機会を失っていた弥太郎がここぞとばかりに尋ねる。
「ところで引継ぎは無事終わったのですか?」
「ああ、無事終わった。」
「そうでしたか。これで晴れて受領就任ですね。おめでとうございます。」
「うむ。」
そして定家はやれやれといった様子で肩を竦めながら告げる。
「前上野介は『いつ鬼の襲撃を受けるかわからないので失礼する』と言って早々に京へ出立したぞ。」
「龍彦よ。本当に鬼を退治できるのだな? 信じてよいのだな?」
「はい。ご安心ください。
それではすぐに鬼退治に取り掛かりますのでこれにて失礼します。」
◇◆◇◆◇ 治療薬作り ◇◆◇◆◇
治療薬と言っても、今の技術で有効成分のアルテミシニンを抽出することは不可能だ。さらに不幸なことにこの成分は水にも油にも溶けにくい。キニーネのようにトニックウォーターとして飲ませることはできないのだ。
一方で、クソニンジンは中国では古来より解熱作用を持つ漢方薬として利用されてきたのだ。生薬としてそのまま服用しても十分な効果が見込めるはずだ。
「それではみなさん、これからこの臭い葉を乾燥させます。適度な大きさに切って鍋でよく煎りましょう。」
籠いっぱいに採取してきたクソニンジンは1m以上もある立派なものだ。このままでは鍋に入らないので小さくする必要がある。
「しっかり水分を飛ばせたら次は茶碾きで細かくすり潰します。」
漢方で使われる船型の薬研(*2)と薬草をすり潰すための薬研車が国衙にはなかったのでお茶用の器具で代用することにした。
「すり潰したらそれぞれ小壺に入れて被害地の郷々に配りましょう!苦いだろうけど定期的に服用するよう徹底してください。」
現代であれば有効性も確認できぬまま患者に飲ませるなどもってのほかなのだが、今は仕方ない。悠長なことをしていて救えたはずの命が救えなくなってしまえば元も子もないのだ。
── さあ、反撃開始だ!
*1 土御門殿: 源雅信によって建設されたと言われる寝殿造の邸宅。雅信の娘倫子と藤原道長が結婚した際に道長の居所となり、雅信の死後に道長の邸宅となった。火災で何度か消失し、その度に再建された。
*2 薬研: 漢方薬を調合する際に使われる、薬草をすり潰す器具。中国から伝来した時期は不明とされているが、平安時代末期から鎌倉時代だと推定されている。
あけましておめでとうございます。(新年と同時の投稿になる予定です)
年末から連載を始めたばかりなのですが、少しでも気に入っていただけましたら本年も応援よろしくお願いいたします。
またまた小話と補足です。
現在の日本でも広く普及しているトニックウォーターですが、元々は滋養剤としてイギリス軍が飲んでいたものでした。キナの木の樹皮に含まれるキニーネがマラリアの治療・予防に有効だと判明し、キニーネ入りの水トニックウォーターが誕生したと言われています。
しかし、現在日本で販売されているトニックウォーターにはキニーネは入っていないようです。
上野の国衙は発掘によって前橋市元総社町という場所にあったということは判明しており、掘立柱建物や溝の跡が見つかっているのですが、国司館については不明なことが多いようです。そこで、物語内では隣の下野(現在の栃木県)の国衙跡を参考に描写しています。




