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虫やこの世の鑑なるらむ

1181年2月4日


「朝夕に花待つ程は思ひ寝の 夢の中にぞ咲きはじめ ── 」


「はいっ!」

そう言って俺は勢いよく札を払った。


「また取られちゃいました。龍彦さんなかなかお強いですね・・」

滝姫は悔しそうに口を尖らせる。


俺は札を取りに走りながらたまたまですよと謙遜した。

実際、下の句をほとんど読み終えてから払っているのだから強いとは到底言えない。


俺が札を滝姫に送り準備が整ったことを確認すると定家は次の札を読み始める。

「夢の世になれこし契り朽ちずして さめむ(あした)にあふこともがな」


── これは空札(からふだ)だ。でもこの和歌って・・


「空札ですね。それにしても

『夢のような世の中で交わした約束を迷妄の夢から醒める朝に果たしたい』

なんて・・なんと儚い和歌なのでしょう。これはどなたの和歌でして?」


崇徳院(すとくいん)(*1)だ。その前も崇徳院の和歌であったな。」


俺も気になったことを定家に尋ねた。

「この和歌って春歌ではないですよね?」


俺は元日に向けて定家に春らしい和歌百首を選んでもらいお鶴さんにかるたを作成してもらっていた。

しかしこの歌は明らかに春の歌ではない。


「うむ。他の歌は全て久安百首(きゅうあんひゃくしゅ)(*2)の内 私の父 俊成(しゅんぜい)が部類した春歌から選んでいるが、この和歌だけは特別なのでな。選ばせてもらった。」


「特別というのは・・伺ってもよろしいでしょうか?」


「・・・まあ隠すことでもあるまい。これは崇徳院が父 俊成に贈った遺言歌だ。崇徳院は讃岐に配流となった後 崩御(ほうぎょ)されておる。」


「定家殿の父君(ふくん)は崇徳院と親交が厚かったのですね。」


「そうだな。崇徳院の知遇がなければ父上が正三位(しょうさんみ)まで昇進することはなかっただろう。父上は各国の受領(ずりょう)を歴任したが長らく従五位下のままだったのでな・・。そうであれば私もどうなっていたことか・・・。」


定家はそう言って黙り込んだ後 一度咳払いしかるたを再開した。


◇◆◇◆◇


俺は滝姫に圧勝したため 定家 対 お鶴さん の読み手は滝姫がすることとなった。決勝戦まで時間があるので竹丸と来王の元へと向かった。


竹丸と来王は木炭鉛筆で天道虫(てんとうむし)のデッサンをしている。物の本質を見る目、つまり観察力を養うためにデッサンはとても有効だ。

普段意識することのない光の陰影、比率や立体感をこれでもかというほど注意深く何度も確認しながら描くことでその能力は飛躍的に上昇する。

この先どんな絵を描くにしても必ず必要となる能力だ。


「2人とも調子はどうだい?」


「龍彦〜もう疲れた。普通 天道虫なんて丸描いて終わりだろ?」

竹丸は既に飽きてしまったようで手が動いていない。


「う〜ん。竹丸は全然『見て』ないよ。ここの模様こんな形してないだろ? 描く前にしっかり見て、こうやって親指で寸法を確認しないと。」


── って言っても竹丸にはちょっと早いのかもなあ。


来王は声をかけるのを躊躇うほど真剣そのものだったため、後ろから眺めるに留めた。


── なるほど、お鶴さんが「虫愛づる姫君」と表現したくなるのも頷ける。

来王は画力がないと思っていたけど、写生は得意なのかもしれないなあ。


俺はあまり他人にああだこうだ言える腕前でもないのだが、少なくとも美術とアニメーション学の成績は常にAだった。卒業制作で七福神が宝船に乗って旅立っていくアニメーションを作り優秀賞をもらったこともある。

アニメーション学は手塚治虫さんが1961年に「虫プロダクション」を発足してから100年後の2061年、中学校の必修科目となったのだ。


俺は飽きてごろごろしている竹丸に「月の兎」のパラパラ漫画を見せた。


「うわー! なんだこれ!! 兎が動いてる!!」


「面白いだろ? しっかり見て大きさや位置を揃えて描けるようになるとこういうこともできるんだ。」


「すごいな!! おら、もう少し頑張ってみるよ!」


── 頑張れ未来人。


戦後の日本で子どもに生きることの喜びと生命の尊厳を最期まで訴え続けた手塚さんは「子どもは未来人だ」と語っている。俺もできるだけ未来人に同じようにしてやりたい。


そのためには戦後以上にやるべきことがあるが、それでも、どんな時でも娯楽は必要だ。絵本や漫画は作る楽しみもあれば読み書きの能力を問わず見る者に希望を与えることができる道具としても優秀だ。

現状そういった作品は皆無に等しいため積極的に作品を作り発表してもらいたい。


「龍彦さん。決勝戦の相手はお鶴さんになりましたよ。」


振り向くと滝姫と定家、そしてお鶴さんがいた。


「僅差だったのだ。あと2枚取れておれば・・・」

定家は残念そうに下唇を噛んでいる。


そんな中 喜びなのか悲しみなのか判別が難しい甲高い声が上がった。

「まあ! 来王が虫を観察して・・っ!!」


「虫を愛でるのはとても良いことですよ。」

俺がそう言うとお鶴さんの目つきが鋭くなった。

「龍彦さん!」


「ああ、いや、他意はないんです。例えばこの天道虫の眼をよく見てみてください。」


俺はお鶴さんに虫眼鏡で天道虫の眼を観察してもらった。

これは定家にあげた虫眼鏡だ。1ヶ月間太陽の黒点観察をした後 天体観測に興味を示さなかった来王とは逆にそれに興味津々だった定家は虫眼鏡と望遠鏡を交換していた。

今や天体観測は定家の毎晩の日課だ。


「たくさん六角形があるのがわかりますよね? これ、それぞれが眼なんですよ。」


「ええ、見えます。・・虫眼鏡とはなんと便利なのでしょう。」


「他にも、足をよく見てみてください。細かい毛がたくさんついているでしょう? これ、なんのためだと思いますか?」


お鶴さんは答えることができなかった。

それを見かねた来王が代わりに答える。


「茎を登るためであろう? 天道虫はお天道様を目指して上に登って行くのじゃ。」


「大正解です。さすが来王姫。」

そう褒めると来王は得意顔だ。


「この足を顕微鏡でもっとよく見てみましょうか。足の部分によって役割が違うことがわかりますよ。」

この時期 天道虫はほとんど動かないため観察するのにうってつけだ。俺は硬直している天道虫を顕微鏡に乗せてピントを調節するとみんなに見るよう促した。


続いて天道虫を試験管の中に入れて試験管ごとぬるま湯に浸す。

試験管が温まってくると天道虫は動き出し硝子の壁をものともせずに上を目指して登り始めた。


これには滝姫が感嘆した。

「まあ! 天道虫は硝子のようなツルツルした壁を登ることができるのですね。」


「そう、この足の吸盤が硝子に吸い付くんですね。これを応用すれば滝姫の郷の者達ならば高い建物や崖も容易に登れるようになるかもしれません。

虫から学べることって思いの外多いのですよ。」


事実 虫は人類が誕生する遥か昔から地球で暮らしてきた大先輩達であり、彼らから学べることは山ほどある。種類で言えば虫は地球上の動植物の過半数を占めるほど存在しており多様性にも富んでいる。

20世紀から21世紀にかけて自然環境の劇的な悪化を引き起こしてしまった人類はそんな虫を始めとした様々な生物から生物模倣技術(バイオミミクリー)を見出し持続可能な世の中へと急ピッチで変遷してきたのだ。


そうこうしている内に天道虫はあっという間に試験管の頂上まで辿りつき羽ばたいていってしまった。

それを見た来王はすぐさま天道虫を追いかけていく。


「ああ〜! まだ観察してたのに、何してんだよ!!」


「あ・・・ごめん・・・」


天道虫は人類にとって「作物に甚大な被害を与える農業害虫」を捕食する益虫(えきちゅう)だ。しかし、虫の数としては人類に害なす虫の方が圧倒的に多い。

日本においては稲に被害を与える実盛虫(さねもりむし)がこれから深刻な問題となっていくだろう。けれどそれを防ぐのもまた、虫だ。

土壌にダメージを与えない持続可能な農業のためには蜘蛛(クモ)やトンボなどの益虫を積極的に誘致するしかない。


俺は竹丸に謝罪しパラパラ漫画をあげることで許してもらった。

しかし竹丸から題材を奪ってしまった以上代わりのものを用意してあげたい。


── 何か竹丸が好きそうなものはあったかなあ。


「そうだ、竹丸。源頼光公が退治した土蜘蛛(つちぐも)ってどんなだか知ってるか?」


「知らない。おら、蜘蛛には興味ないよ。」


「そうか〜残念だ。土蜘蛛は本当は鬼を退治してくれる神虫(しんちゅう)(*3)なんだけどなあ。

竹丸だったらそんな悪いこともしてないのに退治された可哀想な土蜘蛛を格好良い神虫として描いてくれるかと期待したんだけど・・悪かったな。」


「っ!! そういうことなら任せろ! おら、描いてみるよ!!」


── 竹丸はホント素直だなあ・・・


俺は多少の罪悪感を抱きつつ土蜘蛛について語り、お鶴さん達に待たせてしまったことを詫びて決勝戦のため母屋へと向かった。


◇◆◇◆◇


第一回上野国衙百首かるた大会 初代王者はお鶴さんで決着した。俺は2位となったが、手も足も出ずに完敗したことから実力的には定家の方が上だろう。


お鶴さんには定家秘蔵の崇徳院全集が、俺には大量の和紙が贈られた。

定家が受領となってから上野は和紙の大量生産に注力しており品質も徐々に向上してきていた。


大会がお開きになると俺はお鶴さんに呼び止められた。


「あの・・もし良かったら崇徳院全集と和紙を交換していただけませんか?」


── ・・まあ、気持ちはわかる。

お鶴さんは作家なので和紙の方が嬉しいのだろう。


「いいですよ。ただ、定家殿は気にすると思うので内緒にしましょう。」

そう言って俺たちは景品を交換した。


俺は帰りがてら崇徳院全集を眺めていると

『見る人に物のあはれをしらすれば 月やこの世の鑑なるらむ』

という和歌が目に付いた。


── 直訳すれば『眺める人に物の哀れとはどういうものかを知らせるので、月はこの世の鑑なのだろうか』ってところか。


崇徳院は日本三大怨霊の1人と言われてしまうほど不遇な人生を送った方だ。

そのためなのかは知らないが哀愁漂う和歌が多い。


── 不遇で鑑と言えば「武士の鑑」と言われた忠義の人 斎藤実盛(さねもり)を思い出さずにはいられないな・・


彼は頼朝の父 義朝と木曾義仲の父 義賢の対立で板挟みに遭いながら敗れた義賢の幼子 義仲を信濃国へと逃した。そして平治の乱にて義朝が戦死すると平家方に付き最後までそれを貫いた結果、義仲に討ち取られた人物だ。


彼の忠義は後世の人々の心を掴み、稲の切り株に躓いたせいで討ち取られたことから稲を食い荒らす害虫になったと怨霊扱いされ稲虫は「実盛虫」と呼ばれるようになった。


── 怨霊扱いするにしても・・もう少し何かあっただろうに・・・。



*1 崇徳院(すとくいん): 数え年5歳で第75代天皇に即位。退位した後に保元の乱にて同母弟 後白河天皇に敗れ讃岐に配流され1164年に46歳で崩御。菅原道真、平将門と共に「日本三大怨霊」の1人。


*2 久安百首(きゅうあんひゃくしゅ): 崇徳院(すとくいん)の命により14名の歌人が久安6年(1150年)までに100首ずつ詠進(えいしん)したもの。これら1400首を定家の父 俊成が春夏秋冬恋雑へと分類したものが部類本と呼ばれる。俊成は1153年に手直しを要求され再度部類している間に崇徳院が讃岐に配流となったため完成した部類本が崇徳院の手に渡ることはなかった。


*3 神虫(しんちゅう): 奈良国立博物館に所蔵されている絵巻「辟邪絵(へきじゃえ)」に描かれている、災厄・疫病を退散させるとされる虫のようなもの。甲虫のような胴体に8本の肢を持ち、災厄をもたらす鬼のようなものをつかんでいる。(Wikipedia より)




史実について補足です。

崇徳院について、1180-81年時点では本来 讃岐院の院号ですが作中では崇徳院で統一しています。


斎藤実盛を討ち取ったのは木曾義仲の家臣 手塚光盛とされています。実盛は老齢のため白髪だったのですが、「敵に舐められまい」「最後くらい若々しく戦いたい」などといった思いから髪を黒く染めて出陣していたそうです。

そのため、義仲は最初 首実検(くびじっけん)(敵の大将か判定する作業)で実盛本人と気付かなかったそうなのですが、池で首を洗わせたところ白髪へと変わりかつての恩人の姿に大泣きしたと伝わっています。


虫プロダクションは1962年に手塚プロダクションから改名された名前なので作中の表現は少し間違っています。

手塚治虫さんの命日2月9日に投稿したかったのですが間に合いませんでした。

余談ですが2月9日はあだち充さんの誕生日でもありまして、先生は手塚治虫さんの雑誌COMにて「虫と少年」という虫の命を題材とした作品で新人賞佳作を受賞しデビューしています。

みんな虫が好きなんですね。


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― 新着の感想 ―
[一言] 楽しい物語ですね。 しばらく更新がありませんが、お忙しいのでしょうか。 続きを楽しみにしていますね。
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