番外編 虫愛づる姫君と譚狂いの貴腐人
もしかしたら少し「耐性」が必要な話かもしれません。ご注意ください。
1180年9月16日
── これは焼べてしまおう。そうしなければいけない。
私はなんというものを書いてしまったのでしょう。
このところ不調で良い題材が思いつかなかったとはいえ、愛する来王を題材に「虫愛づる姫君」などとおもしろおかしく書いてしまうなんて・・。
崇拝する紫式部さまのようになりたいとは言え、このような行いは母として恥ずべきことでした。
── けれど、書いている時は楽しかった・・・
これは私の過ち。
平民で読み書きができなかった私には、幼い我が子の退屈を紛らわせてあげるため虫や植物について教えてあげることしかできませんでした。
それが間違いだったのです。
私があの方から文学を勧められ読み書きができるようになってからも、あの子はひたすらに虫を愛で続け、周囲の者達から奇異な目で見られるようになってしまいました。
── にもかかわらず国衙へ来てあの子はあっという間に変わった。
あれほど熱中していた虫の観察をしなくなったのです。それは私としてはとても喜ばしいことでしたが、同時にどんどん得体のしれない学問にのめり込んでいくあの子の姿を見ていると私だけが取り残されていくようで不安も募っていきました。
そのような中でふと昔を思い出し着想を得たのがあの話だったのです。今思えばそれは正に悪霊の囁きでした。
来王、どうかこのような心弱き母を許してください・・。
私は侍女に焚き火を起こしてもらい今まで書きためた物語を全て焼べることにしました。
けれど、未練など断ち切ったはずなのに手の震えが止まりません。
ようやく決心して焚き火に投げ込もうと手を離したその刹那、突風に見舞われ私の物語はひらひらと散乱して行きました。
私は慌てて飛んで行ってしまった紙を1枚ずつ拾い集めました。ですが、枚数が足りません。
── 残りは何処へ・・・
一生懸命探した後、私は絶句しました。
龍彦さんがそれを拾い、読んでいたのです。私は慌てて龍彦さんから紙を取り上げ、紙に書かれた話を確認しました。
運命とはいつも皮肉なものです。
まさかよりにもよって「虫愛づる姫君」を読まれてしまうなんて・・・。
この者ならばこの話が来王に基づいていることに気が付いているでしょう。私は恐る恐る尋ねました。
「龍彦さん・・これを・・・読んだのですか?」
「えっと、その・・・はい。すみません。」
── 終わった。
私は直感的にそう悟りました。
この者はすけべえです。このような重大な出来事に際してへらへらと笑っている事実が全てを物語っています。私と来王が国衙へ参った折にも私達を舐め回すようないやらしい目つきで見ていたことに気が付かないほど私は愚かではありません。
ましてや・・この者は先日、私の愛する来王に・・破廉恥なことをしたのです・・。
私の弱みを握ったこの者が私にどんな仕打ちを行うのか、考えるまでもありませんでした。
私は・・この者が飽きるまで・・弄ばれるのでしょう・・・。
── ああ、義重殿・・どうかお許しください・・・
「あの・・・鶴・ん・・聞い・・・ます・・?」
数多の物語に精通する私にはわかります。
人は突如上下関係が生じた時、それまでとは表情を一変させるものなのです。
実体験もそれを証明しています。私が義重殿に召抱えられた際、郷の者達は私のことを売女と罵りました。それまであれほど仲良くしていた者達でさえ、私から離れていったのです。
義重殿の子らも同様です。私が色仕掛けで義重殿を籠絡し愛妾の座を手に入れた卑しい娘だと、顔を合わせる度に嬲ってきます。
── 私は何も変わってなどいないのに・・・
けれど、私にはこの身を犠牲にしてでも来王を守る責任があります。
来王に知られ傷付けるくらいなら・・・
「お願いします・・どうか来王には黙っていてください・・なんでもしますから・・・。」
私は悔しさを堪え頭を下げました。
「ですが覚えておきなさい。たとえこの身は捧げても心までは・・私の心までは決してあなたになど・・!!」
私は頭を上げるとこの者をキッと睨みつけ心の潔白を訴えたのです。
「えっ ちょ、ちょっと待ってください。一体なんの話をしているのですか・・?」
── なんと白々しい。・・私にみなまで言わせ、とことん追い詰めるつもりなのですね。
それは自分で言葉にするにはあまりに過酷でした。
覚悟を決めたつもりでしたのに、それを想像しただけで頬に涙が伝いました。
「ですから・・私のことは龍彦さんの好きなようにしていただいて構いませんから、その物語のことは黙っていてください・・と、頼んでいるのです。」
「ええっ!? ああ・・そういうことか・・・。
どうか泣かないでください。別に他言したりしませんから。」
── っ!!
龍彦さんはあっけらかんと私の頼みを聞いてくれました。
ですが私は騙されません。この後に続く言葉こそ重要です。
いやらしい人間は一度期待させておいてそこから突き落とすものなのです。
さあ、言ってみなさい。私はどんなことを言われようとも狼狽たりなどしません。
私は龍彦さんの一挙手一投足を見逃すまいとじっと見つめました。
「・・・」
「あのう・・お鶴さん? 聞いてますか?
他言などしませんから安心してください。」
「・・私をみくびらないで早く条件を申しなさい。
私の弱みを握っておいて何もなしにあなたがそれを守る道理がないではありませんか。」
龍彦さんは困ったような顔で頭をぽりぽりとかき始めました。
「困ったなあ・・・・。そうだ、では・・私の秘密を教えましょう。」
── っ!? 何故・・? 何故そうなるのです・・??
「実は・・・・・私は流転者なのです。こことは違う、遠い世界から輪廻を転生して来たのです。
これ、定家殿しか知らないことなので3人だけの秘密ですよ?」
訳がわかりません。
何故この者はこのような嘘をついてまで私と秘密を共有しようとするのでしょう。
── まさか・・私を守るため・・?
そういえば義重殿は「わしに何かあったら龍彦を頼れ」と、そう申していました。その時は受け流していましたが、あれは一体どのような意味だったのでしょう・・。
それではまるで・・この者と再婚なさいとおっしゃっているようではありませんか。
「お鶴さ・・・おー・・・聞・・ます・・・?」
── いいえ、落ち着きなさい。
そうであれば尚更この者が私に手を出さない道理がないではありませんか。
考えるのです。何故義重殿は龍彦さんをそのように信頼しているのかを。
どうすればあのような短時間で深い信頼関係を結ぶことができるのかを。
── っ!!!?? そんな・・・まさか・・・
少し考えればすぐにわかることでした。
義重殿と龍彦さんは・・そういう仲なのですね・・・。多様な物語に精通する私としたことが今頃気付くなんて・・・。
だから龍彦さんは私には興味がない、そういうことなのですね。
『おーい!! 聞いてますか!?』
「えっ? ・・な、なんでしょう??」
── いけない。平静を保たないと。
2人の関係に気付いてしまった以上今までのように接することは困難です。
ですが、2人が私に隠しているのですから私も精一杯気付かぬふりをしなければなりません。
「なんでしょうじゃありませんよぉ・・。決死の覚悟で秘密を打ち明けたのにお鶴さんてば固まっちゃうからびっくりしました。」
「ああ・・そうでした。これは・・3人だけの秘密にしましょう。そうしましょう。
・・・それでは失礼します。」
私はそそくさとお暇しました。今はこれ以上龍彦さんの顔を見ていられませんでしたので・・。
◇◆◇◆◇
私は胸の高鳴りを鎮めると、今度こそ慎重に全ての物語を焼べました。
それから、定家殿を訪ねました。落ち着いて考えてみたら龍彦さんの言っていたことが気になってしまったのです。
── あれは・・どういうことなのでしょう?
「定家殿、少しよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない。どうかしたのか?」
「実は先ほど、龍彦さんから輪廻転生について伺ったのですが・・この世とは別の世というものはあるのでしょうか?」
「・・そうか。お主も聞いたのか。正直、私にもわからぬ。
龍彦は・・もしかしたら唐から来たのやもしれぬな。いや、今は宋か。
訳あってそれを隠しているのではないか、私はそのように考えている。」
「唐は私も聞いたことがあります。かつて朝廷は遣唐使を派遣していたのでしたね・・・」
── っ!! これです!!!
これ以上ない最高の題材が決まりました。
主人公はこの世に妻子と未練を残し亡くなったため、前世の記憶を残したまま唐に転生してしまうのです。ですが、正妻は早々に別の男と再婚してしまう。
息子はそれが許せずに亡き父への想いは募るばかり。そのような折に息子が夢の中で父が唐に転生し、今も生きているというお告げを聞き遣唐使に ── 。
「・・どうかしたのか?」
「定家殿、よろしければ私に唐に関する書物を貸していただけませんか?
唐について・・少々興味が湧きましたので。」
「女人が唐に興味を持つなど珍しい。よかろう。
すぐに持って参るので少し待っておるがよい。」
「感謝します。」
定家殿は正五位下の貴族でありながら私にも優しくしてくださいます。義重殿の子らとは大違いです。
私はずっと漢文に興味がありました。
紫式部さまは漢文を嗜み、周囲から「男でも苦労する漢文を読もうとするなど、男と張り合うような生き方をしているからあなたはいつまでも幸せになれないのです。」と言われたと悔しさを書き記しています。
けれど、彼女は結婚生活こそ短かったですが・・きっと幸せを掴んだのだと思います。
人の幸せなど他人にはわからぬものです。
なのに・・・清少納言はそんな紫式部さまの気持ちを踏み躙ったのです。あの女は・・紫式部さまの夫 藤原宣孝殿の亡くなった年に枕草子を完成させ、その中で信孝殿を酷評したのです。
夫の亡くなった年にそのようなものを目にした紫式部さまの気持ちを思うと涙が・・。
── 思い出しただけでも怒りが込み上げてきます。
それでも、清少納言も女の働き方について「女は結婚しても働いて上を目指しなさい。世の中の有様を見てまわりなさい。」など、少しは良いことも申しています。
私はずっと2人のように宮廷で働くことを夢見ていましたが、それは叶わぬものと諦めておりました。
そのような私の夢を形は違えど叶えて下さったのが龍彦さんと定家殿・・。
龍彦さんから提案された折にはまさかこのような棚からぼた餅があるのだろうかと疑ったものでした。
今の幸せを手放してはいけません。義重殿が誰を愛していようが、私は私らしく生きるのです。
立派に働き、素敵な物語を後世に残すのです。これから益々忙しくなります。
── ああ、人生はなんと・・楽しいのでしょう。
お鶴さんが書こうとしていた物語は「浜松中納言物語」をモデルとした作品です。この作品は輪廻転生を題材とした超常現象を扱っており、平安時代に転生小説を書いていた人がいたことに驚くばかりです。
登場までに30話以上もかかってしまいましたが、絶対に取り入れたいと思っていた話の1つでした。
この作品の作者はわかっていませんが、「更級日記」の作者である菅原孝標女とする説が有力そうです。史実で藤原定家はこの作品について評価していることから、作中では定家の秘書として働くお鶴さんこそこの作品の著者がふさわしいかなと思いました。
ちなみに菅原孝標女は日本文学史上初のオタクとしても有名で、日記に数々の名言を残しています。
清少納言と紫式部は女性のキャリアについてとても悩んでいたように思います。
清少納言は枕草子にこのように書き記しています。
「生ひ先なく、まめやかに、えせざいはひなど見てゐたらむ人は、いぶせくあなづらはしく思ひやられて。」
(意訳: 将来に確かな可能性も持たず、家庭でのうのうと生きる女の人生は、ニセモノの幸せ。鬱陶しく、軽蔑すべきことのように思う。)
紫式部は女房からこのように言われたと自身の日記に書き記しています。
「おまへはかくおはすれば、御幸少なきなり。なでふ女が真名書は讀む」
(意訳: 男でも苦労する漢文を読もうとするなんて。男に張り合うような生き方をしているから、いつまでもあなたは幸せになれないの。)
意訳は人によって様々ですので興味があればご自身で調べてみてください。




