紡がれしモノ
1181年1月1日
今日は新暦で元日だ。
が、旧暦ではそうではないため国衙は通常業務だ。
「多胡郡の視察、ですか・・。」
俺は定家に呼び出され木曾義仲が立て篭もっていた多胡郡への視察を任じられていた。
「うむ。義仲殿が多胡郡衙の者達を引き連れて信濃へ戻られた今、国衙としては状況を把握しておかねばなるまい。」
「それはそうですが・・・」
「お主には日頃から融通しておるであろう。つべこべ言わずに行ってくるのだ。」
定家は俺の嫌そうな態度には目もくれず問答無用と押し切った。
そもそも下っ端の俺に拒否権などないのだが。
「・・承知しました。行って参ります。
ところで定家殿、例の塩の件ですが・・如何でしょうか?」
俺は定家に塩を工面してもらえないか頼んでいた。
大豆の収穫が終わり味噌作りを開始しようと思ったのだが、塩が全然足りないのだ。・・これだから海無し国は辛い。
「一度きりならなんとかしてやれそうだが・・それ以降は無理だな。
なにせ上野国には馬くらいしか特産品がない上に今は合戦で馬にも余裕がないのでな。」
「そうですか・・。せめて昆布だけでも手に入れることができたら食事に使う塩の量を減らせるのですが、如何でしょうか・・?」
「それも難しいだろうな。昆布の産地は大半が蝦夷でその多くは調税として貢納されてしまうのでな。」
── なんてこった・・昆布すら手に入らないのか・・・
俺が絶望感に苛まれているとそれを聞いていたお鶴さんが口を挟む。
「昆布は採れませんが、紅い水雲なら新田荘で採れますよ。」
「えっ!?」
── どうして内陸で・・?
とはいえモズクにはグルタミン酸が少ないから昆布のようなうま味は出にくいなあ。・・でも試してみるかあ。
俺はお鶴さんに簡単に詳細を聞いてその場を後にした。
◇◆◇◆◇
俺は多胡郡へ向かいながら銭を稼ぐ上野の基幹産業について考えていた。
現在、平清盛が日宋貿易で宋銭を日本に持ち込んでくれたおかげで貨幣自体はそこそこ出回っているのだ。
しかし石鹸が税として貢納されてしまっている今の上野にはその貨幣を稼ぐ特産品がない。
そもそも石鹸は秘匿しているとは言え製法が知られればすぐに他国でも製造されてしまうため基幹産業にはなり得ない。脱穀用に作った千歯扱きも同様だ。
味噌と醤油は可能性がありそうだが、作るのに時間がかかるため早くて来年以降だし、そのための原資として大量の塩が必要だ。将来的には塩の輸送費が多くかかる分不利になる。
そしてマヨネーズは鶏卵を使っているためグレーゾーンなのである。
石臼は小麦の価値を広めて税が課せられると困るため食糧事情が改善されるまでは存在そのものを隠す必要があるし、自動車と火薬など論外だ。大量生産できない上に他国に渡してしまえば合戦における優位性が失われてしまう。
ジョーカーは持っていることに意味があるのであって、切ってはいけないのだ。
残る手札は鉄鋼製品とガラス製品だが・・これもすぐには難しい。
農民が技を身に付けるのに時間がかかるし今は自動車の開発を急ぎたいので職人に技を継承してもらう時間がない。そもそも滝姫がそれを許してくれるとは考えづらい。
もしも見様見真似でやろうものなら第二次世界大戦後の中国が行った大躍進政策の二の舞になってしまうだろう。
他国の技術支援を受けられぬまま無理に工業化を進めたため、大勢の技術を持たない農民が原始的な溶鉱炉で製鉄を行うことになり粗悪で役に立たない鉄を大量に生み出したのだ。その結果 農業が疎かになり大量の餓死者を出してしまった。
── 今まで俺が作ってきた物って思ってた以上にダメじゃん・・・
定家に言われるまで気付くことができなかった。
本来の技術開発は貨幣を稼ぐ産業があった上で、その利益の一部を未来への投資として回すものであっていきなり技術開発に注ぎ込んでしまったらジリ貧だ。
そうこうしている内に多胡郡郡衙のある郷に到着した。
俺は昨年8月に国衙の者達に内緒で一度ここを訪れているが、その時も直接郡衙へ赴いたためこの地のことはよく知らなかった。
そのため今回の視察にあたって定家から聞いた話だと多胡郡は元々 木曾義仲の父 源義賢が起こし立荘した荘園の地域だ。その後 義賢が頼朝の異母兄 源義平に討たれこの地は公領となっていた。
木曾義仲は今回の挙兵で父 義賢がこの地で紡いできた縁でやってきて援軍を得たのだ。
── っていうか・・・郡衙はもぬけの殻だし郷にもまるで活気がない。
もちろん冬ということもあるのだろうがここまで人の気配が感じられないのは妙だ。
俺は周辺を巡る事にして歩いていると、1人の少女が大きな石碑の前で手を合わせていた。少女の祈りが終わるのを待ち、少女が振り返ったところで俺は何か違和感を感じた。
── あれ、この顔どこかで見た気が・・・
が、思い出せない。
気を取り直して少女に声をかける。
「こんにちは。私は国衙の役人なのですが、なぜこの郷には人がいないのですか?」
少女は初め怪訝そうな顔をしていたが質問には応じてくれた。
「・・みぃんな義仲殿に連れられて合戦さ行きました。」
「女性も・・ですか?」
少女は頷く。
「母も父も姉も弟も、みぃんな行きました。」
── そんな・・っ!?
でも、そう言えば木曾義仲の側室 巴御前も女武将って言われていたんだっけ。女性が戦いに駆り出されることがあってもおかしな話ではないのか・・?
「では、この郷は今・・老人と子どもしかいないと・・?」
「若い女も残っている人さいます。だけんど14歳以上の男さ1人もいません。
・・・早く戻ってきてくれねえと蚕の孵化も羊の毛刈りも間に合いません。そんで、御先祖さまさ頼んでました。」
── 蚕と羊・・・?
それから俺は少女から詳しい話を聞いたところ、この郷は荒地で稲作に適さないため畑作と養蚕、養羊を生業としているのだそうだ。
今まで食糧事情にばかり気を取られていたがこの地域では生糸と羊毛、それらを加工した絹と毛織物が生産されていたのだ。そのため3月からは重労働な羊の毛刈りが、4月には蚕が孵化するので世話がそれぞれ始まり、蚕が2ヶ月ほどで成長して身体が透き通って来る頃には今度は繭を作らせるための準備で大忙しなのだそうだ。
俺は考えただけで腹が立った。挙兵は自由だし有志を募るのは構わないが、郷が郷として成り立たなくなるほどの人数を連れていくのはあまりに非常識だ。
── 父親縁の地だかなんだか知らないけど・・公領でなんてことをしてくれたんだ・・・
俺はこの少女 マユに案内してもらいこの郷で冬を越している蚕の休眠卵と飼育している羊の視察を行った。
そして必要な助っ人の人数を概算して国衙へと戻った。
◇◆◇◆◇
一大事ではあるが、これは上野にとって最強の基幹産業となるだろう。そのため、誰がなんと言おうとも全力で支援する。
養蚕技術はかつて歴代の中国王朝によって長いこと秘匿されほぼ独占されていたものだ。それは中国最大の稼ぎ頭であり、ヨーロッパと中国を結ぶ道が絹の道などと呼ばれたほどだ。
しかし日本には中国が秘匿を始めるよりも前に渡来人によってその技術が伝えられ、連綿と紡がれてきたのだ。
江戸時代には絹の大量輸入によって国内で産出される金銀が大量に流出するに至り、それを危惧した幕府によって養蚕が推奨された。そこから明治時代にかけて日本の基幹産業としての発展を迎え1900年には中国を追い抜き世界一の生糸輸出国にまで成長した。
それを牽引したのはユネスコの世界遺産にも登録されている富岡製糸場を有する群馬県、つまりここ上野国だ。
その歴史的事実から、養蚕に必須の蚕唯一の餌とも言える桑の栽培がこの地に適していることは自明だ。
水田志向が根強い石高制下にあって貧困に喘いでいた群馬県は、稲作に適さない地故にいち早く養蚕に舵を切り市場経済の時流に乗ったことで栄え、ひいては日本の富国強兵と文明開化に寄与したということなのだろう。
群馬県の救世主は間違いなくこの地に根付いてくれた渡来人達だ。
養蚕技術を伝え、紡いできてくれた渡来人とその子孫達には感謝してもしきれない。
ましてや史実では日本にはいないとされていた羊まで育ててくれていたのだ。これら動物質の天然繊維は容易には真似できないため必ず上野国の特産品になるだろう。
── マユの郷は渡来人の郷だったのか・・。どうりでマユの容姿に違和感があったわけだ。
史実改変について記載します。
◇◆◇◆◇ 多胡の古碑と羊について ◇◆◇◆◇
作中で登場した多胡の古碑は実在するもので、日本の渡来人文化を示す貴重な石碑です。
渡来した新羅人によって8世紀に建立されたものと考えられています。
碑文には「羊」という文字が書かれているのですが、この解釈について意見が分かれています。
1つは渡来人によって動物の羊がもたらされてこの地で飼っていたという説。もう1つはこの地を治めた郡司の氏姓、つまり人名を指しているとする説です。
定説は後者となっています。
理由としては当時日本に羊がいた形跡が見つかっていないため、この文字だけで羊がこの地にいたとするのには無理があるということです。
人名・羊のどちらにせよ、その他にも群馬県で「羊」という文字が書かれた遺物が複数見つかっているのは事実です。
そういった背景だったため、作中では羊がいたことにしてみようかなと思い改変(?)しました。
ちなみに多胡の古碑は日本三古碑の一つであると同時に上野三碑の一つでもあります。上野三碑はユネスコ「世界の記憶」に登録されており、2020年末時点では日本で登録されているものはわずか8件だそうで、歴史的に貴重な石碑のようです。
◇◆◇◆◇ 木曾義仲について ◇◆◇◆◇
源義賢が多胡に荘園を持っていたことと木曾義仲が多胡に立て篭り兵を募ったことは史実通りです。
ただし、実際に郡司達を引き連れて行ったかどうかは定かではありません(これについては単に調査不足です)。
また、巴御前が女武将だったという説も意見が分かれています。
作中ではそれらを改変して「木曾義仲が郡司を始めとした、女性も含めて多くの民を引き連れて信濃へ行ってしまった」としています。




