番外編 パパンのその後
蒸気機関について書いておきたい気持ちと物語進行のバランスを勘案し本編とは切り離しました。
主に仕組みについての話になりますのでお好みで読み飛ばしてください。
1180年10月22日
── 困った。これは今までとは比べ物にならないほどの難題じゃ。
父上らへの試作品お披露目の後、わしは龍彦から湯気を効率よく動力に変換する構造を考えるよう言い渡された。
が、大した案も浮かばぬまま既に10日以上が経過しておる。
水から湯気になると升が1700倍になることは以前教えてもらい実際に袋が膨らむ様を見たので実感はあるのじゃが・・それが果たして本当に大きな車を動かせるほどの力を出せるのじゃろうか。
わしは龍彦のことは信頼しておるが、事実として試作品は地面を駆けなかったのじゃ。
あやつが余りに悄げておったので元気付けようと父上には自信があるよう振る舞ったが、実のところわしも湯気で車を動かすことには懐疑的じゃ。
その一方で、あやつにもできぬことがあると知り嬉しくもあった。
わしは龍彦の知識を全て吸収すると意気込んだものの、あやつの知識は底無し沼かと思うほどにわしのそれとはかけ離れておった。しかし、ようやく底が見えたのじゃ。
わしならばきっと追いつくことができる。
そのようなことを考えながら廊下を歩いていると侍女がどこからか大きな力み声を上げておった。
何事かと見に行くと竃の前で何やら困り果てた様子で立ち尽くしておった。この者は昨日から新たに国衙へ奉公に来ており、わしと大して年の離れておらぬ若い娘じゃ。
「これ、一体何を騒いでおるのじゃ?」
「っ!? 来王姫!! 気を煩わせてしまい申し訳ございません。
それが、どうしても鍋の蓋が開かないのです。朝は確かに開いたのですが・・・」
どうやら鍋蓋が開かなくて困っておるらしい。新米とはいえなんと愚かな。
「そんなわけがなかろう。木の蓋なぞわしでも3つは持てるほどの重さじゃ。」
わしは蓋に手を伸ばす。
が、本当に開かない。
さらに力をいれるために両手で掴み上へ引っ張る。すると、重たい鍋が僅かではあるが浮いてしまった。
── っ!? 何故開かぬのじゃ・・?
わしは新米の侍女と共に竃の前で呆然と立ち尽くした。
どのくらいそうしておったのか定かではないが、気が付くといつもわしの世話をしておる老婆の侍女がおった。
「おや、来王姫、このような場所でどうされたのですか?」
「なに、偶然通りかかった折にこの者が蓋が開かぬと騒いでおったのでな。
そんなわけがなかろうとわしも試したのじゃが、本当に開かぬのじゃ。」
わしは事の重大さを老婆にも分かりやすく説明したつもりじゃったが、老婆はわしを見て笑った。
笑ったのじゃ。なんとけしからん。
「来王姫のお手を煩わせてしまい申し訳ございません。この者は昨日から出仕し始めたばかりで竃仕事に疎いのです。」
そう言いながら老婆は慣れた手つきで竃に火を焼べた。
「朝晩が冷え始めるこの時期になると何故だか分かりませんが、夕暮れ時に蓋が開かなくなるのです。ですがご安心ください。
そういった際にはこのように温めますと開くようになります。」
老婆はしばらく待った後「そろそろいいかしら」などと呟きながら蓋へ手を伸ばす。
そして・・・いとも簡単に蓋を開けてしまった。
「ほら、不思議でしょう?」
── っ!!・・・そうか。
鍋を温めると湯気が出て蓋が開く。更に温めて沸騰させれば増え過ぎた湯気で蓋が動く。つまり蓋を抑え付けておったのは大気圧で、この現象は湯気が減ったことが原因で生じておるのじゃ。
湯気で満たした袋を冷やせば袋は萎む。じゃが、鉄の鍋では縮まぬ代わりに圧力に抑えこまれるのじゃ。
それからのことはよう覚えてはおらぬ。
わしはすぐに部屋へ戻ると筆を取り湯気を動力とする構造を描いた。
要は圧力で縮まぬ鉄を使って筒を作り内部に水を入れ、熱して湯気で満ちたら動く仕切りを仕込めば良いのじゃ。それを冷やせば蒸気が消えた分だけ仕切りが移動し熱すればまた筒いっぱいに広がる。
── これならば・・・本当に車を動かすことができるやも知れぬ。
◇◆◇◆◇
翌日、龍彦はなにやら嬉しそうに気圧計とやらを見せてきた。
これが以前申しておった、空気の重さを測る道具なのだそうだ。
じゃがわしは既に昨日空気の重さを実感したのじゃ。
今さらそのような物は不要じゃ。
・・・と思っておったが、どうやらこれは天気を予測することができる優れた道具らしい。
些かこの世の理を凌駕しておる気もするが・・確かに気圧のことを知れば天気の説明がつくようじゃ。
わしは満を持して龍彦に昨日描いた構造を見せようと声をかける。
が、こやつは上の空であろうことかわしのことを無視しおった。
わしは再度問いかける。
「龍彦よ、聞いておるのか?」
「へっ?」
なんとも間抜けそうな顔じゃ。
「なんじゃ、寝ぼけおって。
其方が先日出題した湯気を使った動力について考えてきたから見てくれと申しておるのじゃ。」
「ああ、すみません。どれどれ・・・」
龍彦は一転して鋭い眼差しでわしの描いた図を見ておる。
── ふふっ 場合によってはこやつにはこの構造のすごさが理解できぬやもしれぬな。
「・・素晴らしいです。これはパパンの真空エンジンと同じ構造ですね。」
── っ!? わしの考えた構造を知っておる・・・?
「ぱぱんの心食う猿人・・?」
「ああ、すみません。それは忘れてください。
・・この構造なら確かに十分な動力が得られます。」
「っ!! そうであろう? わしもこれには自信があるのじゃ!」
「ですが・・・これには致命的な欠点があります。」
── っ!?
「これでは冷やした後に再度熱して蒸気を満たすまでにとても時間がかかってしまうのです。・・車を動かせたとしても、走らせることはできません。」
言われてハッとした。その通りじゃ。
大きな力が出せることに気が行って繰り返す際の速さについて失念しておった。
「・・其方はこれを知っておったのか・・?」
龍彦は困ったような顔で渋々認めた。
── やはり・・まだまだ遠いのじゃ。手が届きそうなどと・・なんと浅はかな・・・
「ですが、この構造を少し変えるだけで時間がかかってしまう問題は解決できます。
今問題になっているのはどの部分でしょう?」
「それは其方の申したように鉄筒が毎度冷えてしまうことによって都度温めるのに時間を要することじゃ。」
「その通りです。そこまでわかっている来王姫ならすぐにこの欠点は克服できますね。
何のために熱し、何のために冷ますのかを考えれば自ずと見えてくるかもしれません。」
「・・・そうか、筒を直接熱したり冷やしたりする必要はなく、湯気を別の場所で冷やせば良いのじゃな!?
更に別の場所で常に湯を沸かしその湯気を筒へ流せば時間もかからぬ。」
「お見事です。そう、燃焼室と冷却室を別途用意すればこの問題は簡単に解決できるのです。
ただ・・・」
龍彦はまだ何か言いたげじゃ。
「なんじゃ? まだ何か足りぬのか・・?」
「足りないと言うより、この構造って・・もったいなくないですか?」
「もったいない・・? それは何か無駄があるということなのか?」
「ええ。だって蒸気を満たした後冷やす間は蒸気が無駄になってますよね?
これを有効活用できないでしょうか?」
── っ!? ・・まったく、白々しいやつよ。
わかっておる。わしは問答でいいように導かれておるのじゃ。
── ああ、悔しいのう。
「・・そうじゃな。仕切りの両面から交互に湯気を入れれば縮む力と膨らむ力でそれぞれ2倍、つまり両面で4倍の効率になる、と言いたいのであろう?」
「おっしゃる通りです。これが私の思いつく最も効率の良い蒸気の使い方です。」
「なるほど。これならば・・確実に車を動かすほどの力が作れるのう。
ようやく確信することができた。」
「ええっ? 来王姫も信じてくれてなかったんですか!? ひどいなあ。」
「たわけ。最初からこれを聞いておればわしだってすぐに信じたわ!
・・・じゃが、自分で辿り着くのは気持ちが良いのう。」
これは本心じゃ。悔しさもあるが、達成感の方が勝っておる。
思えばここ数日これが頭から離れず碌に眠れておらなんだ。
きっと今夜はぐっすり眠れるじゃろう。
「あれ、もしかしてもう終わった気でいます・・?
作り終えて動作を確認した上で実用化するまでがものつくりですからね。私たちは今、ようやく出発地点に立ったにすぎません。」
「そうじゃったな。・・聞いておったか、滝姫よ。
あとは其方らの腕にかかっておる。よろしく頼むのじゃ。」
わしは滝姫へと向き直り激励の言葉をかけた。
「もう、私の存在忘れ去られているのかと思ってました。
もちろん聞いてましたけど・・私にはさっぱり分かりませんでした。
そもそも龍彦さんはよくこの落書きを読み取れましたね・・・」
「それはもう必死に目を凝らしてがんばりました。」
「なっ!? なんじゃと!?」
── まったく、この2人はつくづく意地悪じゃ。
じゃが・・龍彦の言うようにまだ出発点に立ったばかり。嫌でも長い付き合いになるのじゃろう。




