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膨らむ理由


1180年9月10日


来王とは和算を通じてたった1日で普通に会話してもらえるようになった。

相手の興味を引くことでここまで劇的な関係改善が図られたのは俺にとって初めての経験だった。


彼女の存在は俺にとって大きな転機となった。

22世紀とこの時代の人間とでは体の大きさなど食習慣による違いがあるだけで、人間の脳自体に違いがないことを痛感したのだ。

そんなことは理解しているつもりだったが根底でどこか自分の方が優れているという傲慢(ごうまん)さがあったのだろう。


この時代の人々は単に「知らないだけ」だ。

俺の知る知識が正しいかはともかく、体系的な知識を与えれば彼女のように花ひらく人材はこの国にまだまだいるはずだ。


── 身分に関係なく優秀な頭脳を持った人材を有効に登用(とうよう)しないとなあ。


俺は仕事の(かたわ)ら、彼女に数学と理科を教えることにした。

教え始めて4日目の今日は十分率(じゅうぶんりつ)を教えたあと、実践として酒を使った理科の実験をしていた。

ちなみに酒はタダでもらったものだ。


上野でも酒を醸造(じょうぞう)しているものの、まだ「火入(ひい)れ(*1)」が伝わっていないようで火落(ひおち)菌によって生酒が白濁(はくだく)していたのだ。

この時代の貯蔵技術では本来生酒ではなく一度62~68℃に加熱して酵母や火落菌を失活(しっかつ)させなければならない。

俺はその情報を提供したお礼として酒蔵から白濁してしまった酒を大量にもらったのだ。


「では来王姫、この酒には先ほどお話したアルコールという成分が2割含まれているとします。すると残りは何割でしょうか?」


「8割じゃ。わしを見くびるでない。」

来王は少し不貞腐(ふてくさ)れた様子で答える。


「すみません。これは簡単すぎましたね。

では、この酒のアルコール濃度を8割にすることで鬼の息吹から守ってくれる液体になるのですが・・・この酒のアルコールの割合を増やすにはどうしたら良いと思いますか?」


「ふむ・・・。あるこーるだけを取り出して濃くする・・ということはわかるのじゃが・・どうやって・・」


来王はいつものようにぶつぶつ言いながら自分の世界に入る。

俺は教え始める時に自分で考える力を養ってもらうために必ず一定時間は自分で考えてもらおうと思っていたが、彼女にはそんな心配は不要だった。


この様子では日が暮れてしまうので、今回もタイムオーバーだ。そもそも火で沸騰させたお湯を見たことがない可能性もある。


「はい、時間切れです。

今回も意地悪な質問でした。来王姫は水が煮えているところを見たことはありますか?」


「うむ。湯あみの時に侍女が用意するのを見たことがある。」


「それなら頑張れば答えにたどり着けたかもしれませんね。」


そういうと来王はハッと何か思いついたようだ。


「熱を加えると・・・湯気に何か・・あるのか・・?」


「はい。アルコールは水よりも低い温度でも湯気になりやすいんです。

この性質の違いを利用して濃度を変える方法を蒸留(じょうりゅう)というのですが、酒を火にかけると先にアルコールが蒸発するのです。」


俺は来王に口と鼻をしっかり布で覆ってもらい実験を開始する。


「熱している酒にイノシシの(ちょう)を覆いかぶせてこの蒸気が漏れないようにすると・・・ほら、腸が膨らんでいきますね。」


腸のコラーゲン線維は65℃あたりから収縮を始めるため、鍋に接する部分をなめし革で覆い熱が伝わりにくくしている。

加熱は温度が正確にはわからないのでテキトーだが、調節目標はエタノールの沸点である78℃前後だ。


「ほんとじゃ。・・なぜ膨らむのじゃ?」


「それは今度詳しく説明しますが、液体を熱して蒸気になると(しょう)が大きくなると考えてください。アルコールの場合は約500倍、水の場合は約1700倍になります。

なので液体と蒸気の升の違いが腸を膨らませているのです。」


「そして、この腸の先は水に浸してあるので、こちらに達した蒸気は冷えます。

すると・・・ほら、液体に戻りましたね。

この液体には先ほどの酒よりもアルコールが多く含まれているのです。」


俺は来王に蒸留前と後の液体を舐め比べてもらう。

・・・舐めるだけならセーフのはずだ。


「ひゃっ!!? こちらは・・喉がヒリヒリするのう・・。」


── 可愛い・・わしっ子の来王でもびっくりするとこういう反応をするんだなあ。


「一度目の蒸留でアルコール濃度はおよそ3倍になります。なのでこれは大体6割の濃度ですね。」


これは日本酒を蒸留した米焼酎(こめしょうちゅう)というものだ。

もう一度蒸留すれば消毒に有効な数値に届くだろう。


「なぜじゃ・・? あるこーるの方が蒸発しやすいのであれば先に蒸発した分は全てあるこーるにはならんのか?」


「鋭いですね。それが、あくまでも水よりもアルコールの方が蒸発しやすいというだけで、この時に水も少し蒸発しているんです。

なので酒から完全なアルコールを取り出すことはすごく難しいのです。」


実際、水とエタノールは共沸(きょうふつ)が起きてしまうのでどんなに頑張っても96%までしか濃縮することはできない。


「なるほどのう・・。数学と違って理科は難しいのう。」


そんな蒸留実験をしていると定家の使いが慌てた様子で走ってきた。


「龍彦殿っ!! 定家殿がお呼びです!」


俺は使いの様子からただ事ではないことを悟り来王に復習しているよう言付けして定家のもとへ走って向かった。


「はぁっ・・はぁ・・て、定家殿、一体何が・・あったのですか?」


「足利俊綱(としつな)殿から『本日(ひつじ)初刻(しょこく)に国衙へ攻め入る』と宣戦布告があったのだ。

まったく、礼儀も知らぬようだ・・・。」


── っ!!? 例の新田義重の仇敵じゃないか・・なぜ国衙に・・・


未の初刻と言えば13時、つまり今からおよそ2時間後だ。

この時代の合戦では本来ならば両者で日程を協議した上で合戦を行うのだが、これから攻め入るなどと一方的に通告するのは確かにマナー違反だ。


「そ、そんな・・っ!! この事を義重殿は・・?」


「まず知らぬだろうな。

今しがた義重殿へは知らせを出したが・・・援軍が来るのはどう見積もっても早くて明朝になるだろう。

・・・国衙への出入り直後に義重殿が自立の立場を表明したために勘繰られたのやもしれぬな・・。」


── そうか。共闘されては困るからまずは国衙を急襲して名をあげると共に義重へ牽制しようって魂胆か・・


「・・・相手の軍勢は如何程なのでしょうか・・?」


「わからぬ。が、間違いなく国衙の軍勢の数倍の規模であろうな。」


この時代、国衙軍制(*2)が廃れたとはいえ受領には追捕使(ついぶし)(*3)による兵の動員権が与えられている。

しかし(じょう)の源朝光が追捕使を引き連れて頼朝のもとへ参じてしまったため現在の上野国は兵が手薄となっている。


もちろん、この1ヶ月で兵の増強も図ったがそれでも兵士はせいぜい200騎しかいない。

兵士達は交代で勤務しているし警備のため各地に散ってしまっているため、これからすぐという事であれば半数集まれば良い方だろう。


定家は深いため息をつく。そして俺に告げる。


「お主は鶴と来王姫を連れて避難するが良い。・・数名の護衛もつけよう。」


── 覚悟はしていたけれど・・いざこうなると・・・


俺はお鶴さんと来王の世話役なのでこうなるのは当然と言えば当然だ。

そもそも俺が残ったところで戦力にはならないだろう。

とは言えこの2ヶ月共に過ごしてきた国衙の仲間達を置いて自分だけ避難するというのは俺にとって辛い決断だった。


「・・お言葉ですが定家殿、この1週間で国衙の防衛力は格段に向上しております。」


俺は現在の情勢を勘案(かんあん)し堤防作りに割くはずだった人員の一部を国衙の外壁増強に当てていた。

物見櫓(ものみやぐら)を建て簡易的とはいえ木柵を軽量コンクリートで固め、壁に開けた穴からは弓も射ることができるようになっている。


弓の性能が悪く射程距離が短いので威嚇としては心許ないながらも最低限の籠城戦の準備はしてきたつもりだ。

明朝まで持ち堪えることさえできれば義重の援軍との挟撃(きょうげき)が可能なはずだ。


「私としましては避難する方が危険が大きいのではないかと存じ ── 」


しかし俺の言葉は定家によって遮られる。


「これは命令だ。

私は鶴に義重殿との縁あって国衙に来た以上安全を保証すると約束したのだ。万一もあってはならぬ。」


定家は聞く耳を持ってはくれなかった。

俺にとってもそうだが定家にとってもこれは初めての戦闘だ。

陣頭指揮を取った経験のある追捕使もいない中での戦闘ともなれば相当な不安があるのだろう。


俺は来王のもとへ戻ると慎重に緊急事態を伝える。

「来王姫、どうか落ち着いて聞いてください。どうやら ── 」


が、それは来王によって遮られる。

「よい。言われずともわかっておる。魑魅魍魎(ちみもうりょう)と闘うのであろう?」


── えっ? 魑魅魍魎って・・・妖怪のことだよな・・??

・・・まあ、緊急事態だとわかっているならなんでもいいか。


不安そうに返事を待っている来王に俺は努めて冷静に優しい口調で答える。


「そうなのです。これから国衙は防衛のため非常事態宣言を発出します。

そのため、来王姫とお鶴さんには今すぐ私と共に避難していただきます。」


俺は来王の不安を紛らわせたかったので実験に使用していたイノシシの腸を手に持つと、ある提案をした。

「そうだ、避難するついでに実験もしましょうか。」


不思議そうに首を傾げる来王に実験の説明を始める。


「私たちはこれから山へ入ります。

このイノシシの腸に空気を溜めてきつく縛ると・・ほら、空気袋が出来上がりました。

この空気袋を持って山に登るとどうなると思いますか?」


動物の腸や魚の浮き袋はゴムのない時代に伸縮性に富み空気を入れて膨らむため、古代より人類に重宝されてきた。

ある時は簡易船やソーセージの材料として、またある時は男性用の性感染症への予防具として。

俺はこの素晴らしい素材を使って来王に気圧変化を実感してもらうつもりだ。


「ふむ・・・。まず、山とはどんなところなのじゃ?」


── っ!! ・・・どうやら本物の箱入り娘のようだ。

・・・・っていうか、山って説明難しいな・・


「山は・・そうですね・・・まずは出立の準備を終えてしまいましょうか。」


準備が終わると俺と来王はお鶴さんら避難組と合流し山のある北を目指した。

義重のいる南は平野のため、見つかってしまえば逃げ場がない。見張られている可能性もある以上義重との合流を目指すのは得策ではないと判断したのだ。


「来王姫、先ほどの話の続きですが・・

山は地表の高くもり上がっているところです。あそこに見えるのも山です。

あの山の頂上は・・ここよりもおよそ6000尺ほど高い場所にあります。

(ちょう)(*4)だと・・大体17町ほどでしょうか。」


「まさかっ!? いや・・そんなはずはない。あんなに小さいではないか。」


── さっきも思ったけど・・この子は平野の中で育ち領地から出してもらったことがなかったんだ。山に近づいたことさえないのか。


「そう、周りに比較できるものがないので小さく見えますよね。

でもこれから近づいていくとどんどん大きく見えるようになってきますよ。それも楽しみにしていてください。

それで・・ここと高いところではどんな違いがあると思いますか?」


「大差があるようには思わぬが・・そうじゃのう・・。

ここより高いならばお日様に近いのじゃから・・ここよりも暑いのかのう?」


そして来王はハッと何かに気が付いた様子で誇らしげに告げる。


「そうか。袋の中の水分が湯気となり・・袋は膨らむのだな?」


── なるほど・・その発想はなかった・・・




*1 火入(ひい)れ: 醸造した酒を加熱して殺菌処理を施すこと。平安時代後期から畿内を中心に行われていたらしい。

*2 国衙軍制: 10世紀 - 12世紀に成立した国家軍事制度。朝廷から国衙へ行政権と共に軍事に関する権限も委任された。

*3 追捕使(ついぶし): 警察・軍事的な官職。初めは臨時の官職だったが、平安時代後期には諸国に常設されていた。

*4 ちょう: 約109m。尺貫法での長さまたは面積の単位。1町=360尺。長さを表す場合は丁とも書く。




ここまでご覧いただきましてありがとうございます。少しずつですが日々アクセス数が伸びており励みになっております。


お知らせです。

ストックが切れてしまいました。

そこで調査とストック確保のため、【1週間程度休載】させていただきます。ご了承ください。



史実の改変に関する補足です。

史実では新田義重が兵を集め立て篭もった直後に足利俊綱は国府の源氏を襲撃したそうです。

この時国府に住んでいた源氏方というのは国衙の役人ということになります。

この役人達は大半が頼朝の元へ参陣しているため戦力も手薄であっという間に焼き払われてしまったようです。


これは私の推測になってしまいますが、足利俊綱としてはやはり残っている源氏が義重に味方するのではないかという疑いと不安があったように思います。

作中ではそういった背景から国衙への襲撃と改変しています。


また、この時代の合戦マナーについては作中でも触れましたが、源平の合戦で最初にマナー違反をしたのは頼朝です。

頼朝は少ない戦力で伊豆国の国衙を攻めるために急襲したそうです。

その後平家方も富士川の合戦で「源氏は国賊」なので官軍の我々にはそのような慣習は適用されないとして源氏の使者を殺害したそうです。


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