定家との邂逅
「待てー!」
俺は今、峠の中腹をパンツ一丁で疾走している。水浴びをしていた隙に装備品一式を野盗に持ち逃げされてしまったのだ。
「はぁ・・はあ・・・まってくれ〜。頼む〜!」
現代っ子の俺がアップダウンの激しい山道で精魂たくましい野盗に脚でかなうはずがなかった。息切れと共に徐々に離されていく。
「も、もう無理・・・」(ばたんっ)
ついに諦めて地べたに座り込む。
そして荒んだ呼吸を整えながら、改めてこの世界について考える。
── ここは本当にゲームの中なのか・・? そうだとしたらどんだけハードモードなんだ・・
ゲームをしていた記憶はあるものの、その記憶は曖昧かつ奇天烈で自信がなくなってくる。
覚えているのは、俺が2106年の日本で地方公務員として働いていた30歳男で独身だということ。プレイしていたゲームはVR型惑星創造シミュレーションゲーム「新緑のデイジー」。
確かそのゲームはこんなような話だったはずだ。
◇◆◇◆◇
コンピューターの処理速度が極限に達し、惑星の粒子1つ1つをシミュレーションすることさえも可能になった22世紀に入ってもなお宇宙の謎は解明が進んでいなかった。
科学者からは抜本的発想の転換が必要なのではないかという議論が巻き起こる中、様々な角度から惑星の成り立ちをシミュレーションしようという取り組みの一環で家庭用ゲームとして発売されたVR型シミュレーションゲーム、それが「新緑のデイジー」だ。
科学者と異なる視点を持ったプレイヤー達が造る様々な惑星のデータをゲーム会社が集計・分析することで新たな視点を得ようとする取り組みだったはずだ。科学者達はわらにもすがる思いで偶然の発見に期待したのだろう。
新緑のデイジーは自由度が高くてなんでもできる反面、惑星に生命を宿すことが極めて難しかった。そうしたシミュレーションによる観察の楽しさを見出せない人には向かないゲームだったため、発売当初は活況を見せたもののその後下降の一途を辿っていた。
俺はそのゲームを根気よくプレイし続けた一人で、手間隙かけて地球そっくりに作った惑星を100万年ずつ倍速再生しながら観測していた。
氷期と間氷期の周期を眺めつつ日本列島の卵がユーラシア大陸から離れていき、次々と巻き起こる火山の噴火によって列島が形成されていく様子を見守っていた。
1万年前あたりで倍速を緩め、拡大率を上げながら、京都周辺の森林が急速に消滅して都市が出来上がっていく様子を確認した時の胸の高なりを今も覚えている。
しかしその時突然操作不能に陥り、そのまま上空から落ちていくように京都周辺の山中に投げ出された。
◇◆◇◆◇
という記憶なのだ。自分を否定したくはないけれど、容易には信じられそうもない。
その後は、しばらく気絶していたようで気付いた時には木が生茂る山中にいた。自室でゲームをしていた時の服装のままだったが寒くはなくて、むしろ蒸し暑かった。
ログアウトを試みるも、そもそもコンソールが表示されない。
ここがどこなのかわからないまでも山道が整備されていることから人の存在だけはわかった。
その日は周辺を捜索して近くに人家がないらしいことがわかり仕方なく野宿した。翌日も山中を彷徨っていたらお腹が空いてふらふらしたせいか足を踏み外して数mほど転がり落ちてしまった。
草が生い茂っていたので怪我はなかったが、強烈な臭いがしたので地面をみたら生い茂っていたのはクソニンジンだった。項垂れながらも汚れを落とすために沢で服を洗い、水を浴びていたら干していた服を一式持っていかれてしまったという次第だ。
◇◆◇◆◇
「疲れた〜お腹すいた〜帰りたい〜」
座り込みながら喚いていると山道の正面から行列が歩いてくるのが見えた。みな大きな荷物を背負っていて牛や馬もいる。
── 参勤交代かな?いや、それにしては規模が小さい。多く見積もっても40人といったところだろう。
この世界の情報が何もない以上この集団に助けてもらう以外生きる道はなさそうだ。生活基盤を築かないとなあ。
山道の真ん中でじっと待っていると先頭の中年2人が近づいてきた。甲冑のようなものを纏い腰には剣、背中には弓矢を背負っている。
「やい、卑しい賎民!道の真ん中で何を呑気に突っ立っておるか!」
「そうだ!さっさとそこをどけ!」
背丈が俺よりも頭1つ分小さいためか2人とも侮蔑しながらも少し警戒している様子だ。
「お願いします、少しだけ話を聞いてください。気付いた時にはここにいて野盗に服を持ち去られてしまったのです。ここはどこですか?」
── そして今は西暦何年ですか・・
◇◆◇◆◇
全く話を聞いてもらえずに遂に抜刀されてしまいおずおずと引き下がりながらも必死に懇願していると、綺麗な服装の二十歳前後と思われる青年がこちらに歩いてきた。
「お前達、刀を納めなさい。私はこの者と話がしたい。」
どうやら主人のようだ。烏帽子をかぶっているから貴族なのだろうか。
武士風の2人は有無を言わせぬ主人の態度に渋々と引き下がる。
「私は位階正五位下 藤原定家である。この度受領の職を賜って赴任するところである。お前はここで何をしておるのだ?」
正五位下って西洋風に言えばギリ貴族の男爵って感じかな?この若さで爵位を持っている上に領地まで賜るのは相当な実力者だろう。
── って、ちょっと待った。今、藤原定家って言った・・?あの小倉百人一首で有名な定家!?いや、でも定家が赴任したなんて話は聞いたことがないぞ。
── とにかく領主であることには変わりない。なんとかして当面の生活を保護してもらいたい。
驚きを顔に出さないよう、平静を装いながら答える。
「私は龍彦と申します。何をしているかとのことですが・・自分でもわからないのです。気付いた時にはここにいて・・つい先ほど野盗に服を持ち去られてしまったのです。私にはここがどこなのか、今がいつの時代なのか、何もわからないのです。住む場所もなくて・・・」
決心して勢いよく土下座する。
「どうか定家様のお側においてはもらえないでしょうか?領地運営のお役に立ってみせます。」
必死に懇願しながら気配を伺う。
「・・・」
が、反応がない。チラッと顔を上げて定家の顔色を伺うと何やら考え込んでいる様子だ。時折ぶつぶつと言いながら待つこと数十秒。
「・・うむ。やはり陰陽師の言っていた通りだ。よかろう、ついて来るがよい」
「やっぱりダメですか・・って!え?いいんですか?」
あっさりOKされてしまい拍子抜けして思考がまとまらない。
── 陰陽師って安倍晴明で有名なあれだよな?陰陽師がなんだっていうんだ?すっごい気になる。。
「今日中に峠を超えねばならぬのだ。さっさとついて来い。」
そう言ってスタスタと歩いていくと従者に周知し、そして服を手配するようにと言伝して行ってしまった。
服を受け取りすぐに着て行列と共に歩き始める。そして考える。
── この定家って絶対あの藤原定家だと思うんだよなあ。従者が運んでいる書物の量が半端ないし。
と、いうことは今は平安時代末期、もしくは鎌倉時代ということになる。とにかく情報収集が必要だ。




