暗闇を照らすモノ
「それで、だ。石鹸の製法を教えてもらおう。」
石臼のレンタルについての話がまとまると試食会はお開きとなり、俺は義重一行を石鹸製造の現場へ案内して定家によって極秘とされている製法を教えた。
ちなみに昨日から意図的に獣の油ではなく植物性の油を用いて作ってもらっている。
義重の領地は平野なので獣が少ないし、目先の利益に走って獣を狩り尽くされたのでは困るからだ。
「信じられん・・薪の残りカスと灯油、それとこの白い粉だけでこのようなものができるのか。」
「そうなんですよ。製法さえ知ってしまえば誰でも簡単に作れてしまうのです。最悪、この白い粉はなくても固まりが悪いだけで石鹸と同じ効果は得られますし。
なので・・・」
「製法はわしらだけの秘密ということであろう? 承知しておる。
石鹸製造を担当することになるこの者には製造を厳密に管理させるので安心せい。」
義重はそう言って郷長に視線を向ける。麦わら帽子がとても良く似合うこの男は郷長にしては比較的若く、50手前といった見立てだ。
しかしながらその落ち着いた雰囲気には貫禄がある。
肌がこんがり焼けていることからきっと働き者の良い郷長なのだろう。
「よろしくお願いします。」
「それにしても・・灯油が必要なのだな・・。」
俺は敢えて深刻そうに尋ねる。
「義重殿の領地では灯油はどのくらい作っているのですか?
油座(*1)などから急に灯油を購入されますと原材料が漏れてしまいかねませんが・・」
「うむ・・荘園主に納める分も含め20升(*2)ほどしか作っておらん。夜に灯す以外使い道がないと思っていたのでな・・。」
「そうでしたか・・。では、本格的な製造のためにまずは灯油作りからですね。」
「そうだな。秘匿を約束した以上は周囲に勘付かれぬよう材料の買い付けは避けねばならんな。・・残念だが本格的な石鹸作りは来年の秋からになりそうだ。」
「荏胡麻も胡麻も既に種まきの時期を過ぎて今はもう収穫の時期ですからね・・。」
それらを来春から数を増やし育てていたのでは石鹸作りは1年後になってしまうのだ。
この時代は灯油の原料としてシソ科に属する荏胡麻が主流のようなのだが、荏胡麻の油は熱に弱く酸化しやすいため石鹸に不向きだ。当然揚げ油にも適さない。
この時代に「油で揚げる」という調理法が生まれなかったのは灯油が希少な物だったこともさることながら、この「熱に弱い油」が主流だった点も理由としてあるのだろう。
一方で、ゴマ科の植物である胡麻の油は熱に強いので揚げ物にも石鹸にも向いている。栽培面でも、寒さには弱いがそれ以外にはさしたる欠点がなく、乾燥に強いし肥料がなくても栽培できるほど育てやすい作物だ。
収穫時期も荏胡麻と近いので荏胡麻から胡麻への転作を進めていきたいところだが・・それは自力で気付いてもらうとしよう。
義重は石鹸がすぐには作れないと知り落胆している様子だ。
そこで俺は希望の光となる存在の情報を提供する。
「そこで・・大豆と菘菜を育てては如何でしょうか?」
「なんと。大豆と菘菜からも灯油が採れるのか?」
「はい。大豆と菘菜からは荏胡麻よりも良質な油が採れます。
そして一番重要な点は大豆は秋から冬にかけても栽培が可能なのです。今すぐ種まきすれば冬には収穫できますよ。」
大豆は日本をはじめとした東アジアが原産の植物で、古来より食用としてのみ利用されてきた。が、20世紀に入り油が採れることがわかると急速に世界中で栽培されるようになり、その価値は一気に高まった。
日本では油菜の種から搾りとる菜種油が好まれるので流通は少ないが、世界的に見れば大豆油はパーム油に次ぐ生産量であり、21世紀には大豆需要の大半が搾油に利用され、その搾りカスを肥料としていた。
まあ、22世紀時点では食肉文化の衰退から「畑の肉」としての需要が急激に増加したため食用としての流通もかなり多いのだが。
「といっても稲作直後ですから土壌の養分が足りず発育はよくないかもしれません。
本来は稲よりも早く収穫できる麦の後に畑を耕し十分な肥料を与えた後に大豆を育てるのが理想です。」
「それから、菘菜の種からも良質な油が採れるため私の育った地域では『油菜』と呼ばれておりました。菜種の収穫時期は晩春から初夏にかけてなのでこれも荏胡麻や胡麻よりも早く灯油が手に入ることになります。」
油菜はこの時代菘菜と呼ばれ食用とされてきた。
菜種を原料とする搾油は江戸時代に入ってようやく始まるのだ。
植物性油は様々な植物から採取することができるが、使い勝手と搾油の効率が良いのは油菜、胡麻、大豆をバランス良く育てることだろう。
収穫時期で見れば大豆が初冬、菜種が晩春から初夏、胡麻が秋なのでこの3作物を育てれば常に搾りたての油が手に入る。
「そうなのか・・? 其方がそこまで推すのならばもちろんやってみるが・・そんなことまでよく知っているな?」
「もちろんです。これでも長年国衙の下っ端として働いておりますので ──」
そこまで言った時、義重が突如言葉を遮る。
「わしを謀るでない! ・・それだけでは説明がつかぬであろう。」
出会った時のように義重の鋭い目つきが俺を見据えている。
── この顔まじ怖い・・。仕方ない、プランBでいくか。
早速信用を失うわけにはいかない。
俺は迫真の演技でしばし葛藤する(フリをする)と、観念したように自分の出自を語り始める。
「・・本当は言いたくないのですが・・・実は私は隠れ郷の出身なのです。
・・・その郷は人が住むには適さないような山の中にあります。もちろん、場所は絶対に言いませんよ?
そこでは傾斜のために水田を作れず、麦を主食とした自給自足の生活を送っておりました。その中で先祖代々伝えられてきた品がうどんとパンです。
灯油も当然自作するしかないので、このような平野部では想像もつかないような過酷な環境の中で偉大なる私の御先祖さま方が長い年月をかけて発見したものなのです。
それこそ必死の思いで、暗闇の中でもがき続けた末に見つけた希望の灯火が大豆油と菜種油なのです。」
熱演してしまったが、もちろん嘘だ。
しかしこの時代隠れ郷と言えばなんでも通ってしまうほどには奥山には人の足が入っていない。なんとも都合の良い時代なのだ。
「そうだったのか・・。平野部とはいえわしも噴火によって荒廃した『空閑の郷々』を必死に耕してきたのだ。その心中、良くわかるぞ。
・・其方の先祖は高貴な出身なのだろうな。おそらく菅原道真公のように優秀過ぎるが故に京を追われたのだろう。・・なんとも残念なことだ。」
── この人も苦労人だったんだなあ。一から切り開くのって本当に大変だよなあ・・
俺には何にも関係のない作り話なのだが義重の眼差しは一転して同情的なものとなっている。
土地開発の苦労と重なり感傷に浸ってしまったのだろう。
── なんだか心が痛むけど・・こればっかりは・・ね。
「心中察していただきありがとうございます。ですが、暗くなってしまうのでこの話はもうやめましょう。」
俺は気持ちを切り替えるように元気よく告げる。
「そんなわけで、この2つの作物を新たに育てれば一年中灯油が作れますよ。」
「わかった。其方の御先祖を信じて大豆と菘菜も育てることとしよう。」
「そうしてください。
採れた油は義重殿に試食していただいた料理にも使われておりまして、その他の使い道もたくさんあるのですが・・その話は採れてからのお楽しみということで。
まずはお互い石鹸でひと儲けしましょう。
それと小麦は下手に広めて税が課せられると厄介なので気を付けてくださいね。」
「そうだな。京に小麦の価値が広まればたちまち税が課せられる。気を付けるとしよう。」
── よっし! 人参をぶら下げて原料の大規模栽培をしてもらう懐柔作戦、大成功だ!!
*1 油座: 照明に用いる灯油(燈油)などの油を製造・販売する商人たちによる座(同業者組合)。平安時代後期以降、寺社や朝廷の行事は夜行うことが多くなったため油の需要が増していく中で規模が拡大していった。
*2 升: 約1.8リットル。尺貫法の体積の単位。長さを尺、質量を貫、体積を升とした。




