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上州の狸親父

1180年閏8月10日


どうやら無事、京で石鹸が大きな話題となっているようだ。

連日、定家宛てに貴族から石鹸に関する問い合わせが届いている。

今日は閏8月10日なので手紙が届きだしてから既に4日目となる。


早馬が連日行き来することは ── 感染症への対策さえできていれば ── とても良いことだ。

これはつまり毎日京の情報が届くことを意味する。

そんな早馬によってもたらされた情報の中には当然刻々と変化する源氏と平氏の動向があった。


まずは頼朝の無事が伝えられた。

どうやら安房(あわ)国(*1)に脱出することに成功し、新たに支援者を募っているとのことだ。


その他、甲斐(かい)(*2)でも源氏が挙兵して甲斐国を制圧したというニュースや平清盛が頼朝へ追討軍を派遣する動きがあることなど多くの情報を得ることができた。


そんな中に上野国にとって不穏な情報が混じっていた。


── 源義重(よししげ)が帰ってくる。


清和源氏(せいわげんじ)については調べたことがあるため、この人物のことは後の有名人との関係だけ断片的に知っている。

()義重改め新田(にった)義重は足利尊氏で有名な一族の始祖 義康(よしやす)の異母兄で、清和源氏当代の嫡男(ちゃくなん)、つまりはこの時代に数いる源氏の中でも1,2を争う大物で、最長老だ。


足利尊氏と対立し敗北した新田義貞の始祖でもあり、後に家康に徳川の始祖と慕われ鎮守府(ちんじゅふ)将軍を贈官(ぞうかん)(*3)されたという話まである。

といっても家康は自分の血統の正当性を示すために家系を辿った先にいたのがこの人だったというだけだろう。


── そんな人がこのタイミングで京から帰ってくる理由は一つしかない。挙兵だ。


このニュースを聞きつけ慌てて大目(だいさかん)の貞行から仕入れた情報によればこの人の田畑は広大な上に全て平清盛に通じる荘園として寄進されているため、公領を管理する我々国衙の役人は手が出せない。

源氏のトップでありながら平氏に(へつら)えて今まで勢力を蓄えていたようだ。


現時点で言えば頼朝よりも遥かに勢力は大きく、この人の動向次第で局面は一変する。


── 果たして新田義重はどう出るのだろうか? そして、どうしてこのような人物が鎌倉幕府誕生の物語に登場しないんだ?


わからないことだらけだ。


◇◆◇◆◇


1180年閏8月12日


2日後、その新田義重が定家に謁見(えっけん)を求めてきた。

要は挨拶ついでに牽制にでも来たのだろう。


義重の位階は従五位下(じゅごいのげ)で定家よりも2つ下ながら定家の3倍近い年の功があるのだ。その圧は相当なものだろう。


── 定家には気の毒だがこれも国のトップの勤めだ。頑張ってくれ。


そんな他人事のように軽く考えていたのだ。


しかし今、俺はなぜかその会談の輪の中に立たされている・・・。


突然定家の使いに呼ばれ事情もわからず正殿に来たのだ。

それも、急に激しく降り出した雨でビショビショになりながら。


その場には国のトップである定家と現在次官となっている大目(だいさかん)の貞行、そして甲冑に身を包んだ老年の男性と20代と思われる男性がいた。この老年の男性が新田義重だろう。


── と、とりあえず挨拶だ。ビジネスは挨拶で全てが決まる。

「お初にお目にかかります。私は国書生の龍彦と申します。縁あって定家殿の下で働かせていただいて ──」


その時、ライ公が水気を嫌ってかそれとも場の雰囲気を嫌ってなのか、突如体をブルブルと震わせた。

そして、周囲に水が飛び散る。


すると義重の隣にいる若者が勢いよく立ち上がり怒号が響き渡る。

「無礼者っ!挨拶の心得もないのかっ!!

このような場に犬を同席させるなど論外ではないか!!!!」


雨に降られてしまったことは運が悪かったが、現代では犬の同席は無礼に当たらない。

それどころかビジネスの潤滑油(じゅんかつゆ)にもなり得る良いビジネスパートナーなのだ。

この世界に来て初めての「要人との会談の場」に突然呼ばれ、そのようなことを考える時間などなかった。


── あちゃー・・・犬、ダメなのか。最初が肝心(かんじん)なのに挨拶で大失敗・・・


「し、失礼しました・・」

俺はすぐさま無礼を詫びたがその声は今なお続いている怒鳴り声にかき消されてしまった。


そんな怒声の中、義重が柔らかな口調で若者に告げる。

「まあまあ、良いではないか。急に呼んだのはわしらだ。大目に見ようではないか・・なあ、義成(よしなり)よ。」


若者は納得はしていない様子だが、渋々と腰を下ろす。

しかしその場には重苦しい雰囲気が漂っている。定家など俺から目を背けて見ようともしない。


そんな沈黙の時間が続いた後、義重は立派な白髭を撫でながら沈黙を破る。

「わしらは京から本日上野に着いたばかりでな。わしは新田荘(にったしょう)荘官(しょうかん) 新田義重、この者は孫の里見(さとみ)義成と申す。

孫にも疲れが溜まっていたのじゃろう。許してやってくれ。」


「滅相もございません。無礼を働いたのは私の方ですので・・申し訳ございません。」


義重には謝罪の言葉などどうでもいいかのように受け流される。

「して・・京ではこの数日、石鹸とやらがひどく評判となっていてな。」


それだけ言ってまじまじと俺を見つめてくる。


── そういうことか・・定家め、俺に丸投げしたな。


「・・そのようですね。義重殿はその石鹸とやらをご使用になられたのですか?」


「いやいや、わしのような老齢な下級貴族では実物を見ることさえ叶わなかった。宮廷に仕える女人共が話題にしていたので小耳にはさんだ次第でな。」


「・・・」

じっと目を見て離してくれない。威圧感が溢れんばかりだ。


「・・なんでも出どころは上野介 藤原定家殿であるという話なのだ。そうですな、定家殿?」


定家は無言で頷く。


「定家殿に石鹸を献上したのは其方(そち)なのであろう?」


俺はもう観念するしかなかった。

この状況で言い逃れなどできるはずがない。とんだ北風と太陽だ。


「左様でございます。私が作りました。」


「やはりそうか。わしとしては是非製法を教えてもらいたい。」


── ど直球の要求が来たな・・


俺はチラッと定家の顔を伺う。

定家は申し訳なさそうに俺を見返す。


── 状況がわからない。どういう流れでこうなっているんだ??


そんな俺の心情を察したように義重が告げる。

「定家殿は其方からもらったと申しておってな。製法を聞いても知らぬの一点張り。」


「まあつまり、引き抜かないことを条件に其方から直接製法を聞く分には口を挟まないと言質(げんち)を取ってあるのじゃ。」


先日まで石鹸でひと儲けしようとしていた定家だ。どんなやりとりの末にそんな話になるのか。

きっとさっきのような飴と鞭で話術巧みに定家から譲歩を引き出したのだろう。

この時代、長く生きることこそが一族繁栄の秘訣だ。年の功は伊達じゃない。


── この狸親父め・・・


「なるほど・・ようやく状況が理解できました。」


俺はしばし考え込む。そして率直な質問をする。

「直接聞く分には構わないということですから、もちろん私に交渉の余地はあるのですよね・・?」


義重はガッハッハと大笑いしたかと思うとすぐに険しい顔になる。

「もちろんじゃ。要件を述べてみるがよい。」


── ひえええ・・・・威圧感やっば。


だがこちらも一国を代表する公務員の端くれである。こんな脅しに屈して国の利益を損ねることなどできない。

荘園は国内にあったところで治外法権の外国と何ら変わりないのだから。


「・・・では、小麦を作ってください。」


義重をはじめ、その場の俺以外全員が素っ頓狂(すっとんきょう)な顔になっている。

「・・今、何と?」


「ですから、義重殿の畑で小麦を作ってくださいと申しました。もうじき稲の収穫も終わりますよね? 水田の一部を畑に変えて小麦を作ってください。」


小麦をずっと作りたいと考えていたのだ。

俺の要求など最初から決まっている。


定家を納得させている時間がなく暗礁(あんしょう)に乗り上げていたところに急遽広大な農地を持つ、定家の権力の及ばない要人から要求を聞き入れると言ってもらえたのだ。この機会を逃すはずがない。


予想していなかったわけではないのだが、2人の顔に怒りが満ちていく様子がただ事ではないことに気付く。

「貴様!!再三にわたる無礼、もはや許してはおけぬっ!!!!」


義成が立ち上がり刀に手をかける。

外では雷鳴が轟いている。


── ひぇええええ き、斬られるっ!!!



*1 安房あわ国: 現在の千葉県南部に相当する。房州(ぼうしゅう)ともいう。

*2 甲斐かい国: 現在の山梨県。甲州(こうしゅう)ともいう。

*3 贈官ぞうかん: 生前の功績によって死後官位を贈ること。



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