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公務員のお仕事


宮廷サロンへ石鹸を贈って5日が経った。今日から9月だ。

早ければ今頃到着していることだろう。

その間に源頼朝が相模国へ進軍して大敗、安否は不明というニュースが届き世間は大騒ぎだ。


だがしかし我々公務員に騒いでいる暇はない。仕事が山積みなのだ。


俺はこの数日間で追加の(感染症)対策として各郷に糞と尿のための場所をそれぞれ定め、尿は畑の肥料として使うので収穫後の堆肥作りに利用するよう指示した。そして人糞は寄生虫が土を介して蔓延する可能性が高いため一定量溜まったら都度深く埋め立てるように伝えた。


かつて日本では鎌倉時代から室町時代にかけて人の糞尿が肥料として有効だと認識されて以降普及が進んだ結果、回虫(かいちゅう)鞭虫(べんちゅう)などの寄生虫が日本国内に急速に蔓延してしまった。戦後GHQに使用を禁止されるまで利用が続いたため多くの日本人が寄生虫に悩まされ、生野菜を食べることができなかったという。

寄生虫は人の体の中を移動しながら成長し、脳に進入するなどした場合危篤(きとく)な症状を引き起こすため、人糞の利用は絶対に避けなければならない。


それから、マラリア発生の原因を調査していた。


といってもただ聞き込み調査を行っただけだ。

どうやら俺が定家と共に上野国に訪れる1ヶ月ほど前に陸奥(むつ)国(*1)の(かみ)一行が国衙を訪れ、発熱していたようだ。確証はないがその者達の中に感染者がいたのだろう。


今まさに早馬で陸奥に被害が出ていないか確認に向かわせている。余った生薬(しょうやく)を持たせてあるので足りると良いのだが・・


さらに、これは今定家に進言中なのだが、関所に予算を割いて入国時の隔離施設を整備しようとしている。

感染症は外部、特に西からやってくるため、最低限長野との国境には隔離施設を設置して1週間ほど待機させたいと考えているが、早馬にそんなことはさせられないため、ルールを詰めないといけない。


ちなみに定家は着任の挨拶回りで国内の神社に参拝したり、郡司が面会に来たりと忙しそうだ。


さらにさらに、目玉事業である水害対策だ。

稲の収穫が終わると同時に民を労役で徴集するため、それまでの短期間で工事の立案を行わなければならない。


日本は明治時代に外国人技術者を招いて指導してもらうまで水害が絶えなかったという。俺はそんな技術は持っていない。ただ単に最終形態を知っているだけだ。そんな状態でどこまでのことができるのやら不安は大きい。


後々船で荷物運搬ができるように川底を整え、水位が保たれる範囲で川幅の拡張を行いたいし、せっかく掘った川底が砂で埋まらないよう防砂(ぼうさ)も行う必要があるだろう。しかし、今はまだその段階にない。


まずは何より洪水対策の堤防(ていぼう)作りが最優先だ。

ひとたび洪水が発生すれば作物への被害だけでなく水に起因する感染症が蔓延し、人々に甚大な被害を与えることになる。

上野にはなんといっても日本最大の流域面積を誇る利根川(とねがわ)があるのだから。


「まったく大忙しだな。これでは労働基準法違反だ。」


などと呟きながら脇殿へ行き席につく。

隣には文書作成が主な仕事である国司の少目(しょうさかん)(*2)小野真丘(まおか)がいる。真丘は俺より少し若そうだが(れっき)とした貴族で、定家と違ってチャランポランなやつだ。イケメンなので日頃から国衙の女性達からは熱い視線が注がれている。


「ライ公おはよう。今日もかわいいねえー。よしよし。」

ライ公はどうもこいつが気に入っているようで満更でもない様子なのだ。少し嫉妬してしまう。


このような様々な感情により俺はこいつには敬称など付けない。こいつも別に気にしていないようだ。


── だけど、ライ公が気に入っているように根はいいやつなんだよなあ。


「あ、それでさ龍彦〜、通達書書いたんだけどこれでいいかな?」


最近俺はこいつに気に入られてしまったようで何かと仕事の面倒を見させられている。俺よりも圧倒的に高給取りなのに、だ。


・・といっても、全く恩恵がないわけではない。

俺のような国衙内で一番下っ端の新人がある程度自由に仕事ができるのは定家の口添えもさることながら、こいつの存在が大きい。どうやら「貴族にタメ口で話す新人なのだから官職はともかくきっとこいつも高貴な家柄なのだろう」と周囲から勘違いされているようなのだ。


そんな恩恵に感謝しつつ通達書に粗相(そそう)があると困るので俺は渋々書類を確認する。

「どれどれ・・・ん? 真丘、日付間違ってるよ。今日は9月1日でしょ。

危うく夏休みもう一周できる!ラッキーとか考えちゃったじゃん。」


もちろん、ここに来る以前の俺は学生ではなかったわけだが。


「え、夏休みって何?? 龍彦って普段は賢いくせに一般常識が欠けてるよな。今日は間違いなく(うるう)8月1日だよー。」


── ん? 閏8月ってなんだ???


「・・・何それ? だって昨日は8月30日だったじゃないか。そしたら今日は9月でしょ。」


── あれ?そう言えば8月って31日までなかったっけ・・?


「だから、今年は太陰暦(たいいんれき)で閏年なんだよ。それで今月が閏月。常識じゃん。」


── そうだ。すっかり忘れていたけど、この時代は旧暦の太陰暦なんだ。・・で、太陰暦ってなんだ??


「あ、ああ、そうだったね。忘れてたよ。

それで、俺よりも一般常識の豊富な真丘殿()に聞きたいのだけど、太陰暦って何?」


「ええーそんなの知らないよ。太陰暦は太陰暦でしょ。」


俺は拳を握り締めて怒りをグッと堪える。


── なぜ俺はこんなやつに一般常識がないなどと言われているのか・・自分が情けない。


そんなやりとりを聞いていたようで大目(だいさかん)の藤原貞行(さだゆき)が話に割り込んできた。官職名の通り、少目である真丘の1つ上の官職で、しっかり者の国司内最年長だ。


「まったくあなた方は・・・。いいですか、太陰暦、正しくは太陰太陽暦(たいいんたいようれき)では月の満ち欠けを基準にしているため1ヶ月は29日の小の月と30日の大の月に分かれています。

しかし、これだと1年を通して10日ほどずれていくので2,3年に一度閏月を設けてひと月増やしているんですよ。

それで今年は閏年のある年で、今月がその閏月です。」


── なんてこった。これじゃあ日付から正しい季節を認識できないじゃないか。


だけど実際問題、太陰暦がどんなものか知らなかったくらいなので旧暦から新暦への換算などできるはずもない。

正確な日付を調べる必要がある。


「ああ、そうでした。貞行殿のおかげで思い出しました。ありがとうございます。」


俺はそう言って通達書のチェックを放り出してそそくさと退室する。後ろでは真丘が何か叫んでいるがそれどころではない。


俺は国衙の端の資材置き場から適当な木材を集め日当たりの良い場所に人避けの小さな柵を建てた。そして、柵の真ん中に穴を掘り倒れないようにしっかりと棒を立てた。


── 日付を調べるには夏至か冬至を調べるしかない。今日から毎日太陽の観察だ。


日中に太陽が一番高く昇るのが夏至で、一番低くなるのが冬至だ。角度が正確に測れない以上、太陽が作る影の長さを毎日観察するしかない。多少の変動はあれど通常日本の夏至は6月21,22日、冬至は12月21,22日のどちらかだ。1日くらいの誤差はこの際どうでもいい。


── 今年中に上野国に新暦を導入するぞ。


こうしてまた一つ公務員のお仕事が増えたのであった。



*1 陸奥むつ国: ほぼ現在の東北地方に相当する。青森、岩手、宮城、福島の全域と秋田の一部。

*2 少目しょうさかん: 律令制下の四等官制(守、介、(じょう)(さかん))において、国司の第四等官が目。大国には目をさらに2つに分けて大目(だいさかん)と少目があった。目の仕事は主に官事の記録及び公文の草案作成だった。




作中での史実改変について記載します。


実際には1180年に閏月はありません。1180年の前後の閏月は1178年閏6月と1181年閏2月です。季節や収穫時期など、物語の都合上早く新暦にしたかったので改変しました。

後の話では史実で9月に起こったことは閏8月に起こったことと換算して進みますが、新暦導入以降は混乱してしまうので史実の出来事が都合よく新暦として換算されるようになります。わかりづらいかもしれませんが・・ご了承ください。


また、(さかん)の2人の名前はフィクションです。実際に上野にいた国司の姓名を入れ替えて作成しています。

ちなみに書いていませんでしたが弥太郎も架空の人物です。基本的に有名な人物以外は架空の人物の予定です。


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― 新着の感想 ―
[一言] こんばんわ、鎌倉時代前後の歴史チートは珍しいので楽しく読ませています。女性の情報源を利用するのでしたら石鹸だけでなく化粧品や化粧道具やリップクリームやハンドクリームなどの女性が喜ぶ物を作って…
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