生存戦略
来年日本が大飢饉に襲われることを思い出して言葉に詰まっていると定家が怪訝そうな顔で問いかけてくる。
「・・・なんだ? どうかしたのか?」
── いくら信頼している定家といえども、俺が未来を知っていることはまだ言えない。そもそも確実に飢饉が起こる保証もない。
だけど、何か対策を講じなければ。
「ああ・・すみません。少々嫌な事を思い出しておりました。
・・それで、名主に会って話を聞いたのですが、この地は水田に恵まれないそうですね。今年の稲の発育状況も順調とは言えないようでした。」
「そのようだな。解由状にもそのように記載されていた。」
「そこで提案なのですが・・官物(*1)状況を鑑みて今年は疫病が流行した事を理由に租税(*2)の免除を申し入れては如何でしょうか?」
「・・いや、それは無用だろう。お主が鬼を追い払ってくれたおかげで疫病も最小限に止めることができたのだ。
お主がみてきた水田の発育が悪かったとしても上野全体で不作との報告は受けていないのでな。」
── ぐぬぬ。正論だ。
こちらは国のトップに不正するよう申し入れているのだ。正論を言われると辛い。
そもそも生真面目な人だ。あからさまな不正など許さないだろう。
「・・そうですね、失礼しました。
もし来年不作になった場合に今の備蓄状況で上野は持ち堪えられないのではと心配のあまり余計な事を言ってしまいました。」
「来年不作の場合に今の不動穀(*3)ではまかないきれないのは確かだ。
しかし、着任早々免除の申し入れをしたのでは私の立場がないのでな。民には悪いが、今年は通常より多めに徴収することにしよう。」
── あれえ?! 民への負担が増えてしまったんですけど・・
話は以上だと言わんばかりの勢いにそれ以上何も言えなかった。これはとんだ失策だった。
この時代の国司には徴税に関する権限が与えられており、国例に定められた賦課を上回る官物が徴収されることも多かったという。
── まずい。大変まずい。今年農民から余分に徴収した上に来年不作となれば多めに備蓄したところでどう考えても国民全員を賄うことは不可能だ。
貧しい者から餓死してしまう。
彼らも生きるために必死だ。下手をすれば農作を放棄して逃げられてしまう。
当然ながら国民は国の宝だ。俺たち公務員が食べていけるのも国民のおかげなのだ。
◇◆◇◆◇
「う〜ん、困った。」
俺は定家のいる正殿から役人が事務仕事を行う建物、脇殿へ移動しながら頭をかかえていた。
脇殿へ入るとみな文書作成に追われていた。郡衙や豪族への通達書を書いているのだろう。
── 一番下っ端なのに仕事してなくてスミマセン。
「こっちはそれどころではない。もっと先々のことまで考えて思い悩んでいるのだ。」なんてことは口が避けても言えないし、言うべきでない。こんなセリフは周りが気を遣って言うならともかく当事者が偉そうに言って良いセリフではない。
俺は肩身が狭い思いを抱えながらそそくさと自分の作業机へと向かう。
が、そんな時に限って悪目立ちしてしまうものなのだ。
「わんっ!わんわんっ!!」
── ね。
いつも大人しいライ公が勢いよく鳴きだす。
犬は人間の感情に敏感だと言う。きっとこの場の雰囲気が重いことに気がついてしまったのだろう。── 全く、優しいやつめ。
みなの視線が俺とライ公へ注がれる中、俺は申し訳なさそうに席につく。
そして、ああでもないこうでもないと飢饉への対策を必死に考えたが、どれも朝廷、定家、農民の誰かが納得しない結果に行きつく。
末端の公務員として上の意向に背くことはできないが、そんな時に立場の弱い人間にしわ寄せを生じさせるなどあってはならない。
── 何かいい案、ないかなあ・・?
考えが煮詰まってしまったので気分転換のため顔を洗おうと水場へと向かった。するとそこには2人の女性がいて何やら会話に花が咲いていた。
「このセッケンって本当にすごい。汚れが落ちるし、臭いも気にならなくなるわね。」
「そうね、やっぱり京から来る品は素晴らしいわ。」
「これで服も洗いたいし、もっとたくさん欲しいわ。」
── ふっふっふ。それは京から来たものじゃないんだなあ。人類の叡智の結晶なのです!キリッ
などと内心大喜びしていたが、その時突如アイデアが降って来た。
── これだ!!! うまくいくかわからないけど、やってみる価値はある!
顔を洗うことなどすっかり忘れ、先ほど立ち寄った郷へ向かって一目散に駆けていく。国衙へ帰って来る途中、一面に咲く桔梗があったのだ。
俺は籠いっぱいに桔梗を摘みすぐさま国衙へ戻ると、今日もせっせと石鹸作りをしていた従者たちと合流し桔梗石鹸作りを開始した。
花の香りを抽出するには蒸留するのが一般的だが、今はその設備を用意する時間が惜しい。そのため、油脂吸着法で油に直接花の香りをつける。
油の中に花びらを入れ、高温にならないように温度を調節しながら熱して香りを油に移していく。熱することで爽やかな香りがふわっと辺りに漂う。
そうして完成した石鹸を一目散に定家の元へ持っていく。
「定家殿、宮廷のサロンに出入りする知人女性はいらっしゃいますか?」
定家は突然の突拍子もない質問に面食らっていたが、「こほん」と咳払いして答える。
「無論だ。私はこの若さで歌人として知られておるのだ。当然、サロンに出入りする女人にもたくさん知り合いがいる。」
「さすが定家殿!では、この石鹸を知り合いの女性達に贈呈していただけますか? 石鹸を改良して香り付けしてあります。」
「・・おお。これは良い香りになったのう。当然私の分もあるのであろうな?」
「勿論です。」
「ならば良い。明日にでも京に送るとしよう。しかし、何か理由があるのであろう?」
すると俺はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、答える。
「左様でございます。サロンの女性達はいわば京のインフルエンサー・・あ、いえ・・京の流行りごとに最も影響力のある方々ではございませんか?」
「私はその辺りには疎いのだが・・確かに彼女らは煌びやかな衣装を身に纏い競い合っているし、流行りの品には目が無いように思う。」
「私の狙いは、サロンの女性達にこの石鹸を話題にしてもらい、京に住む女性達に石鹸を欲しがらせることです。── 年頃の女性達が欲しがっていたら貴族の男性は当然、女性への贈り物として石鹸を欲しがりますよね?」
「・・なるほど。そうだな、間違いなく欲しがる。」
「ですが、その石鹸の出どころは上野国で作り方も上野国しか知りません。そして数も制限するのでなかなか出回りません。するとどうなるでしょうか?」
「もっとたくさん作れと要望が来るな。場合によっては製法の開示も要求されるかもしれん。」
「そうですよね。その頃には丁度収穫と徴税が終わっている時期です。
そんな時に上野国から財政が厳しいので租税を免除してもらいたい旨を申し上げたら、租税免除の代わりに調税として石鹸を要求してくる、もしくは上野国の租税を肩代わりしてでも石鹸を欲しがる方が現れないでしょうか?」
「う、うむ・・その可能性はある・・かもしれん。」
「その方法であれば慈悲ではなく交渉なので定家殿の面子も保たれるかと思いますが・・如何でしょうか?」
「それならば、まあ・・少なくともやってみる価値はあるな。」
「やってみましょう。うまく行けば租税が免除されて1年分の備蓄ができ、農民には稲収穫後の手隙の時期に仕事を与えることができます。」
手工業が盛んになるのは鎌倉時代中期以降だ。石鹸を皮切りに農民の間に副業として手工業を広めることができれば上野国のGDPは跳ね上がる。
時代を一気に1世紀は進めることができる。
「そうだな。やるだけやってみよう。」
── よかった。うまく行けば来年を乗り切れるだけでなく、大飢饉の際多めに税を納めて恩を売ることもできる。
源頼朝はこの大飢饉の際に税の納入を条件に東国支配権を獲得している。上野国としても交渉材料があるに越したことはない。
「それで、うまく行けば農民達は石鹸で豊かになり、文学の普及が可能になるのだな?」
「文学普及への一助になることは確かです。しかし、石鹸で豊かになるのはせいぜい数年だけです。
石鹸は製法さえ知っていれば簡単に作ることができるため、いずれすぐに他国も製造を始めるでしょう。すると石鹸の価値は暴落するので依存してしまうとかえって貧しくなりかねません。」
「そうか・・。あくまでも臨時収入なのだな・・・。
しかし、製法の流出を防ぐことができれば価値の低下は防げるのだろう?」
「左様でございます。」
「では、作り方を知る者を一部に限定することはできないのかのう?」
── 鋭い。そして、案外がめついようだ。だが、確かにこれは医学と違って製法を秘匿したからといってすぐさま誰かが被害を被ることはないな。
「それは・・可能ですね。分業体制をとりましょう。
全体の製造工程と材料を知る者を限定して農民には郷毎に石鹸の材料を1つだけ製造させます。
そして石鹸の製造は国衙内で厳密に管理し、流通量を適度に制限しましょう。」
── そうはいっても感染症を防ぐ必需品だ。一国では十分な供給量を得られないため、長いこと秘匿して庶民に届けられないのは辛い。富裕層からある程度稼いだら徐々に製造方法を開示していくべきだろう。
こうして俺は定家のコネを使い宮廷サロンを広告塔として活用できることになった。
あとはサロンの者達がどれだけ反響を示してくれるかにかかっているが・・きっとうまくいくだろう。
*1 官物: 律令制下で朝廷や国衙に納められた品物。
*2 租税: 米の税。律令制下で行われた税制度に租・庸・調があり、租は米、庸は労役、調は繊維製品や特産品をそれぞれ納めさせた。
*3 不動穀: 災害時用の備蓄米。