上野騒然
国衙に着くと異様な雰囲気が漂っていた。
── 様子がおかしい。何かあったのかな。
定家の元へ赴くと驚きのニュースが飛び込んできた。
「先日源頼朝殿が挙兵して伊豆国(*1)を制圧したようだ。先ほど上野にも協力要請が届いた。」
── っ!! なんてこった。・・今年が1180年だったのか。
しかし・・・後白河法皇の皇子 以仁王が平家追討の令旨(*2)を出したのは4月のはずじゃないか。どうして誰も知らなかったんだ・・
歴史として俯瞰して見れば当然のことも現実はそうではない。以仁王は諸国の源氏に内密に令旨を出したはずだ。藤原氏である定家とその従者が知らなかったのはそういうことだろう。
歴史を学ぶ上での思慮が足りなかったことを嘆きつつ思考を巡らせる。
── いつかこの日が来ることを想定はしていたが・・今年ではないだろうとたかを括っていた。
「・・それで、頼朝殿はなんと仰っているのですか?」
「この地は古くから源氏の血族が多いのだそうだ。だから上野介として国内の源氏をまとめ、傘下に入れとのことだ。」
今一番気になるのは上野国内の動向だ。この騒動で上野は頼朝派、平氏派をはじめとした様々な勢力に分断され混乱を極めたために歴史教育では多くを語られず、俺には動向がわからない。
しかし国内がバラバラになってしまってはこれから進めようとしていることが何もできなくなってしまう。できるだけ分断は避けたい。
「・・定家殿は如何するおつもりなのですか?」
もちろん、それに悩んでいるから国衙が騒然としているのだろう。
定家は立場を決めかねている様子だ。
「・・・わからない。他の国司達の話では平氏の圧政に耐えかね奮起する源氏は多いだろうという予測だが、実際頼朝殿の勢力がいかほどなのか、検討がつかないのだ。
それに引き換え平氏の勢力は絶大だ。」
それはそうだ。伊豆を制圧した後 ── おそらく今頃だろう ── 頼朝はわずか3百の軍勢で相模国(*3)に進軍し、悪天候のために援軍と合流できず自軍の10倍の軍勢に破れ命辛々敗走している。この時点ではみな決めかねていて当然だ。
「そうでしたか。それで、今国衙が慌ただしいのは国内の豪族の動向を探ろうとしているためでしょうか?」
「その通りだ。豪族どもには大勢が決するまで国内に留まるよう指示しているが、平家方に荘園(*4)として寄進している者も多い上にやつらは自由奔放な者達だからな。誰がどう出るのか情報を揃える必要がある。」
── なるほど。荘園は時の権力者に通じている。今の権力者は平氏なのだから荘園の荘官(*5)として平氏に付く者もいるだろうし、かと言って源氏が多いのだからそちらに協力する者も出てくるだろう。
この国に荘園が多いのは浅間山の噴火が大きく関わっているそうだ。被災した田畑を復興するために中央貴族の支援を受けた結果荘園が多くなったらしい。
郡衙を廻っている時にやたら荘園が多いことが気になり聞いて得た情報なので確かだ。
「僭越ながら私も同感です。ここは慎重に事を進めるべきだと思います。」
焦りは禁物だ。まずは情報を集めつつ静観するのが得策だろう。
この時代人力の通信網が整備されているとはいえ情報伝達に日数を要する。そのため、動揺して何もできないよりは数日おきにやってくる遅れた情報から落ち着いて「今」を予測し、対策を施すことこそが最善なはずだ。
── 情報こそが一番の武器だ。通信技術の導入は早ければ早いほど良さそうだよなあ。
挙兵騒動に関する話がひと段落すると定家がそういえばと話題を変える。
「どうやら鬼退治はうまくいったようだな。新たに倒れるものはいなくなったと聞いておる。ご苦労だった。」
「ありがとうございます。ですが、私達は鬼を追い払ったにすぎません。油断すればすぐにまた鬼の襲撃を許してしまうでしょう。」
「そうなのか。わかった、各郡衙には対策を徹底するよう伝えておこう。」
「ライ公の活躍ももれなくお伝えください。私は今日、最初に鬼が出没した郷を訪れてしっかりとライ公の活躍を布教して参りました。それから名主に会って ── 」
そこまで言ってある事を思い出し硬直する。
── っ!! しまった。すっかり忘れていた。
── 来年の1181年って・・大飢饉に見舞われるんじゃなかったっけ・・?
*1 伊豆国: 現在の静岡県の伊豆半島と伊豆諸島のこと。豆州ともいう。
*2 令旨: 皇太子と皇后(天皇の正妃)、皇太后(天皇の母で皇后だった人)、太皇太后(天皇の祖母)の三后の命令を伝える文書。
*3 相模国: 現在の神奈川県の大部分に相当する。相州ともいう。
*4 荘園: 貴族や寺社が諸国に私的に所有した土地。荘園主の権力の大きさによって不輸(朝廷への租税納入を免除)や不入(国衙の役人の立ち入りを禁止)などの特権が与えられる。
*5 荘官: 現地の荘園を管理して税の徴収と荘園主への納税、治安維持などを行う者。多くの荘官は豪族で、自分の土地を寄進することでその土地の荘官に任命される。荘園における国司のような存在で、朝廷から任命される国司が管轄する公領とは田畑を巡って対立関係にあることが多い。
作中での史実改変について記載します。
以仁王は4月に平家討伐を決意して全国の源氏に令旨を出すも準備が整わないうちに平氏方に計画が露呈し5月15日に平氏の圧力によって皇族籍を剥奪され、5月26日に戦死しています。
そのため5月末まで以仁王の動向を知らなかったということは十分考えられるのですが、
物語上7月に京にいた定家やその従者達が8月に入ってもそのことを知らなかったというのはどうかとも思ったのですがその辺りはご都合主義の改変として見ていただけたらと思います。