どうせ暇だろう?
夕食はニコレッタが用意してくれた食事を美味しく頂いた。
片付けをしに台所に向かったニコレッタを見送って、昨日と今日のことを思い返してみる。
誰も彼も狩りに行くことを深く考えていなかったし、舐めていたと思う。
私の班であれが起こってもおかしくなかった。
「カオル様、リラックスできるお茶です」
ニコレッタに声をかけられて眉間に随分と力が入っていることに気づいてこするようにもみほぐした。
「いただきます」
そう答えるとニコレッタがティーポッドから薄い紫色のお茶をカップに注いだ
言って初めて会ったメンバーを部下にして急に砂狼を狩って、他の班の人が救援に間に合わすに死んでしまったことを話した。
ぐだぐだとくだを巻く私の話をニコレッタは黙って聞いてくれてしばらくしてやっと落ち着いてくると、思ったより疲れていたのか、お茶のリラックス効果のせいか、眠気を覚えた。
「すみません、ニコレッタさん。今日は眠いので早めに寝ることにします」
「では、ベッドを整えてきますので少々おまちください」
軽く礼をすると、用意されていたお茶と酒の瓶を置いていそいそとベッドメイクをしに私の寝室へ向かった。
砂漠ほどではないが昼はあっという間に洗濯物が乾いてしまうくらい暑く、夜は凍らない程度に冷える。
真夏の昼間から真冬の夜になるほどの気温差。
机で寝てしまうと確実に体調を崩してしまうだろう。
ニコレッタが置いていったポットからお茶を注ぎ、一緒に置いていった酒の瓶から少しお茶に垂らして一口飲む。
お茶の華やかな香りと、強いアルコールの匂いが鼻の奥を突き刺し、軽くむせそうになりながらくいっと一息に飲み干す。
ティーカップに少しだけ酒を注ぎ、小さな氷塊を出してちびちびと舐めるようにして待つとニコレッタがベッドメイクを終えて戻ってきた。
「そんなおじさんみたいな飲み方ははしたないですよ!」
戻ってくるや私の飲み方を咎めるニコレッタに、コップを持ってくるように言って酒と氷塊を入れてあげた。
「魔法の氷なんて恐れ多い」
「いくらでも出せるんで価値なんかないですよ」
「出せるということが特別なんです!」
さあ、とニコレッタを座らせて一緒に、一杯だけ晩酌に付き合ってもらう。
「そこまでかしこまるもんじゃないですよ」
「お部屋に寝間着を用意しておいたので寝る前に着替えてくださいね!」
もう! と怒りながら私の手からコップを受け取った。
「そもそも、このお酒もわたしなんかが飲んでいいものじゃありませんし!」
「そんないいやつなんですか」
「このお酒はブランデーといいまして、ワインが作れるような肥沃な土地で長い年月をかけて作ったものだと伺いました。なので美味しいのですが、ちょっと遠くから運ばれてきた分高くなるのです」
「そうですね、でもこの辺ならウイスキーなんて作ってるんじゃないですか?」
「よくご存じですね」
「ビールはあるようなので。なんならウイスキーでもいいですよ」
「ずいぶん強いものを好むのですね」
「家を開ける日も多そうなので、長持ちしてくれればなんでもいいですよ」
「たしかにそうですね、ビールなんて1日放っておいたら飲めたものじゃありませんね」
飲んだことがあるようで、思い出して笑ったニコレッタ。
「ウイスキーとブランデーだとどのくらい値段が違うものなんですかね?」
「ウイスキーが銀貨1枚で、ブランデーは銀貨5枚くらいです」
「……! だいぶ違いますね」
あまりの値段に驚きでカップを取り落としそうになった。
「すみません。買っておくものと思い込んでいたもので」
「いえ、大丈夫ですよ。でも次はウイスキーの方がいいですね。そんなにこだわりないので。ウイスキーには種類はありますか?」
「わかりました。ウイスキーはそんなに何種類もあるものなのですか?」
「すっきり飲めるものと樽の匂いが強いものがあるのですが、私もそんなに飲んだことがあるわけじゃないので」
「そうですか……」
「ニコレッタさんもだいぶ飲める感じなんですかね?」
「この辺の人はそうですね、飲む人はものすごく飲みますがわたしはそんなに飲みません」
使用人の仕事ができなくなってしまいますから! と少し上気した顔で胸を張る。
「そんなに堅苦しく考えなくてもいいですよ、そうですね……、朝から寝る準備までがニコレッタさんの仕事の時間にしましょうか。それ以外はお休みでいいですよ」
「準備までだなんて、わたしが不要ということでしょうか!?」
うるうると目に涙を浮かべて私の手を握るニコレッタ。
泣き上戸なのか、感情の振れ幅が大きくなる人なのか。
「違いますよ、趣味くらいあるでしょう? そういうのも大事だと思うのです」
「趣味なんて、大商人の子女がやるもので、そんなお金、わたしには、ありません」
ふくれっ面で言うニコレッタにそうだった、趣味は贅沢なんだった。と改めて気づいた。
「じゃあ、無理のない範囲でよろしくおねがいします」
ほんのり酔って少し感情的になっているニコレッタをなだめて寝室に戻ることにした。
昨日私が起きた時には綿が寄ってしまったベッドをニコレッタが整えてくれていた。
ぼそりと倒れ込むと、厚手の布にくるまり酔いのせいもあってか、あっという間に眠りに落ちた。
朝、ニコレッタのノックの音で目が覚める。
「カオル様、3の鐘がなったのでいかがですか?」
鐘? 聞いた記憶がないがニコレッタが持ってきたのかな。
「あ、はい。起きます」
そう返事をするとニコレッタがドアを開けて入ってきた。
「おはようございます。カオル様、お召し物を持ってきました」
「あ、おはようございます」
ベッドから出て持ってきてくれた服に着替えるように促された。
「着替えたら持っていくので大丈夫ですよ」
「汚れ物を主人に持ち歩かせるというのは使用人として看過できません」
そういうことでジロジロと見られながら着替えをさせられる。
お手伝いまでされなくてよかった。
「今日はどの様に過ごされますか?」
「特に決めてませんが一旦ギルドに顔を出してからバドーリャの街を見て回ろうと思います」
「わかりました。では、朝食を用意いたしますね」
脱いだ寝間着を抱えてニコレッタは朝食の準備をするために退出していった。
ニコレッタに渡された今日の服を来てダイニングに向かう。
テーブルについて用意されていた苦味の強いお茶が入ったポットを傾けカップにお茶を注ぐ。
朝食はにんにくたっぷり使った揚げた卵とパンとスープ。
あの宿で出てきたやつ。
「にんにくを使った料理は夜にしてくれると助かります」
「かしこまりました」
朝のまだ少し冷えた空気の中で飲む温かいパンとスープの熱は胃の中でじわっと広がって血を通った様に暖かが伝わった。
にんにく卵をフォークで切って中からとろりと流れ出た黄身にからませて口に運ぶ。
にんにくの臭いが口いっぱいに広がって鼻に抜ける。
「美味しいですね! 宿で食べたのより塩味がちょうどいいです」
「ありがとうございます。あの宿は旅人や巡礼者が泊まるので少し塩を強くしているのです」
「食べに行ったんですか?」
「元々この辺でよく食べられるものですから、手を加えるのはハーブを足すか、にんにくの量か塩味の調整くらいなんですよ。それを店で出すというは家のと違うのかなって1度行ってみたんです」
「そうしたら?」
「しょっぱいだけでした」
そう言って肩をすくめた。
しばらく朝食を食べる私の傍らにいて給仕をしてくれていたが何か思い出したように言った。
「あ、そうでした。ハーブなんかも買ってきて大丈夫ですか? 香りとかよくなるんですけど、不要であれば使わずに料理しますので」
「使ってもらってかまいませんよ」
最後の一口の卵を片付けるとニコレッタにごちそうさまでした。というとニコレッタはちょっと変な表情をしてから頬を緩めて喜んでいただけて何よりです。と言って食器を片付けて台所に向かった。
私は食後のお茶を飲み終えてカップをことり、とテーブルに置いて立ち上がった。
「じゃあ、行ってきます」
「お早いお帰りをお待ちしております」
家を出てニコレッタが鍵を閉めたことでさあ、どうしようかと、途方に暮れる。
イレーネの家に行ってみるとイレーネは仕事で昨日出てから帰っていないらしい。
しょうがないので、なんとなく口に出しただけの黄金の夜明け団に顔を出すという用事を済ませるためにギルドに向かった。
少し歩いて黄金の夜明け団の扉をくぐる。
中にはちょうどルイスさんがいて退屈そうに事務仕事をしていた。
首だけで軽く挨拶をすると、挨拶を無視して魔法屋に行けと言われた。
「お前どうせ暇だろう?」
「まあ、そうですが」
「魔法使えないのも不便だからな。あ、こっちの魔法、気持ち悪いから覚悟してけよ。慣れれば楽っちゃー楽なんだがな」
ニヤリと笑ってそういうと、手でしっしっと追い払われた。
この人は自分の用件を伝えるといつも追い払ってくるな、と思いながらギルドを出て言われた通り魔法屋とやらに向かうことにする。
魔法屋はバドーリャの中でも高位にあるギルドの様で、黄金の夜明け団より上位、3層目に居を構えていた。
作りは石造りで白く塗られ、杖のマークがついた看板が入り口に吊り下げられていた。