商人デルポポ
日が暮れ始めてきた時分、整地もされていないデコボコとした砂利道をガタガタと一台の馬車が走る。延々と続く草原は気持ちのいい風景だった。
「もうすぐ辺境都市カージャスにつきますよ」馬車馬を操っているでっぷりと太った男がそう告げると荷台からはわかりましたと、かすかな返事が聞こえた。
太った男の名はデルポポと言い、威厳のある口ひげを蓄えていたが、温和などこか愛嬌のある表情をしており、人を安心させるような不思議な雰囲気を漂わせている。
首にはルーペを下げ、でっぷりとした腹に巻いたポシェットに入りきれないほどのそろばんをしまっていて、わざとらしいほどの商人といった格好なのだが、実際に商人なのだから仕方がない。
デルポポはそこそこ名の通った商人で、特に王立騎士団とのパイプを持つ強みがあり、今回の依頼もそこから依頼されたものであった。
王立騎士団との取引は少なくないものだったが、こと今回の依頼にいたってはいつもと勝手が違っていて嫌な予感がしていた。
王都からカージャスへの積荷の運搬。
商人は各地に赴くことも多く今までも何度か依頼されたことはあったが、その積荷が問題なのだ。
人。
王立騎士団にも人を運ぶ術はもちろんある。
それも商人より早く、確実にだ。それがデルポポのような商人を頼ってきたとなると、王立騎士団が動いていることを悟らせないように、隠密にことを運ぶ必要があるのではないかと―――。が、デルポポはそこで考えを止める。
自分への依頼はあくまで積荷の運搬であり、それ以外のことは範疇外である。深入りしない方がどちらのためにもなるはずなのだ。
依頼人にも自分にも最大限の利益をもたらすことがデルポポの商人としての哲学だった。
「いやはや本当に今回は助かりました。報酬だけではなく馬車の護衛もして下さるとは。いけ好かない傭兵に頼む必要がなくなって護衛料が浮きましたよ」
デルポポが上機嫌に言う。目的地が近づき気が緩んできているのだろう。
「道中はそれほど危険ですか?」荷台から女の声がする。
積荷の一人だ。まだ若く、騎士とは思えない美貌を思い出しデルポポは鼻の下を伸ばす。
「王都付近はそうでもないんですがね。他所の連中はケチって護衛を依頼しないこともありますよ。まぁうちは多少コストがかさんでも必ず傭兵をつけてますがね。もしもの時に信頼を失ってしまいますから。安心安全が一番。ただカージャス付近は・・・どこの誰だって護衛を付けますよ。そりゃ特上のをね。だからカージャスでの取引を嫌がる同業が多くて多くて。まぁその分私みたいなのが儲かるんですがね。エッヘッヘ」
美人が相手だからか、性分なのか饒舌に答える。
「カージャス付近は何が危険なんですか?」
おかしな質問だと思った。
カージャスが人間の統治する地域の端っこで、稀にではあるが魔物が出没することくらい誰でも知っている、ましてや騎士団なら当然だ。
デルポポはおかしいと思いつつもすぐに質問の意図を察する。
「王都からこれだけ離れていれば治安も乱れて、近頃は骸盗賊団とかいう輩共が暴れまわってるみたいです。ったく嫌な世の中ですよ、まだ平和になって三十年もたっていないのに人間同士で争い合うなんて」
魔物も出ますしね、と一応つけ加えておく。
「その盗賊団について詳しく解りますか?」やっぱりかと思い、デルポポは続ける。
「私はあまり詳しくないですが、傭兵くずれ三十人くらいの集団だと聞いてますよ。まぁなんにせよ傭兵で食ってけない連中です。騎士様の敵じゃあありませんよ。ましてや貴方達のような勇騎士様には」
そう。今回の積荷は騎士であった。それも勇騎士といわれる特別な騎士。騎士団の中でもほんの一握りしかいない、今は亡き勇者からの贈り物を受け取った者達。
―――勇者の贈り物。ソラリスの奇跡以降に生まれた子供達の中に特異な能力に目覚める者がいた。
勇者の力の一片を受け継ぐ者たち。
人々はその力を勇者の贈り物と呼び、それを受け取った者たちを受け継ぐ者と呼んだ。
勇騎士とは騎士の中でもその受け継ぐ者のみに与えられる称号であった。
勇者の力は強大でその一片しか持たない勇騎士でさえ通常の騎士百人に勝るほどの戦力を有していると噂されていた。
勇騎士達さえいれば勇者が再誕せずとも魔族に勝利できると、勇者に代わる新しい人類の希望となりつつあった。
「受け継ぐ者。それがやつらの中にいるという話は?」
急に女騎士の声が冷たくなった気がした。どこか怒りをはらんだような声だった。
この女騎士にとって勇者の贈り物を悪事に使っている輩がいることは憎悪の対象なのだろう。
しかしそれはありえないだろうことだとデルポポは考えた。
「骸盗賊団のやつらにですか?ありえませんよ。さっきも言いましたがやつらは傭兵じゃ食えなくなった連中です。受け継ぐ者だったら傭兵でとっくに大物になっていますし、騎士団が放って置かないでしょう」
そうですが・・・。ボソリと告げたあとまた会話は途切れてしまう。
延々と続いた草原も終わりに近づいてきていた。
草原の先は荒れた道の両脇に木々が生い茂る森林地帯、そこを抜ければカージャスは目と鼻の先だ。
デルポポはおしゃべりをして緩んだ気を引き締める。
森の中では襲撃者が木々に隠れて奇襲を仕掛けやすい、盗賊団が仕掛けてくる確率が一番高いところだった。
馬車は森林地帯に入り、デルポポは些細な異常も見逃さないように目を光らせる。
いくら勇騎士様が乗っているとはいえ奇襲で自分がやられてしまう可能性があった。
デルポポのやるべきことはたった二つだ、それだけで自分の安全は守れる。
まず先手を打たれる前に襲撃者を発見。
即座に勇騎士に伝える。木々に隠れている襲撃者を察知するのは容易なことではないが、デルポポも長い商人人生で観察眼は鍛えられていたし、自信があった。
観察眼こそ自信の授かった最大の武器だと信じていた。
デルポポの手綱を握る手に一瞬緊張が走る。
―――その瞬間に手綱を引き馬を止めた。
異変があればすぐに反応できるように準備しているつもりだった。が、これはなんというかこれはまぁ、酷すぎる。
あからさまだ。
デルポポの視線の先、馬車の二十メートルほどの先に人が倒れこんでいた。
それになにか助けを求めているようだが、ワザとらしい。
こんなところで行き倒れるバカがいるか、とデルポポはあきれた様子で振り返り、ため息まじりにお客さんですよと告げる。
勇騎士の二人もその言葉より早く急停止した馬車から飛び出していた。
デルポポの判断は間違えていなかった。
いくら杜撰な手とはいえ、十分な距離をとって馬車を止めたし、目を離したのも一瞬だった。が、次の瞬間耳元で若い男の声がする。
「おい、下手な真似すんなよ」
ギョッとしてデルポポが振り返ると、まだ少年のようなあどけない声の男が、自分の首筋に短剣を押し当てていた。目を離したのは一瞬だった。
その隙にあれほどの距離を。
口元にバンダナを巻き、ゆったりとした服のフードを目深に被った男は短剣を押し当てたまま、軽い口調で言う。
「後ろの人たちも動かないでね。食料と金目の物頂くだけだから。だからその物騒なもんは下に置いちゃって」
二人の勇騎士は既に武器を抜き両脇からフードの男に迫っていた。
馬車の左からは腰まで伸びた栗色の髪に青い瞳、凛とした立ち姿と白銀の鎧がなければ到底騎士とは思えない美しい姿の女性騎士がフードの男を睨みつけ細身の長剣を構えていた。
馬車の右からは対称的な、短めの金髪に、若さが溢れるような引き締まった体でいかにも騎士といった風体の男が隙をうかがうようにフードの男を見据えていた。
「おーい。聞いてます?」
また軽い口調でフードが言う。
「骸盗賊団か?」
女騎士が聞く。
「骸盗賊団?あー違う違う。あんなバカ共と一緒にしないでよ」
またまた軽い口調で言う。
まったく緊張を感じさせない喋り方だった。きっとそういう性分なのだろう。
「あのー抵抗しなければ身の安全は保障してくれるんですよね?」
ボソリとデルポポがたずねる。
「あんた達殺しても俺にメリットないでしょ。むしろ生きて稼いでまた俺に貢いでって感じ」
ふざけたことを言っているのだが、きっと本気で言ってるのだろう。
デルポポはこの男が嘘をついていないと判断した。
交易品を奪われるのは痛手だが、今回に限り騎士団より報酬が入るし、それほどの痛手にはならない。なにより命あっての物種だった。
「荷台に我々の三日分の食料と交易品があります。積荷はそれで全部です。交易品は三十万エンズくらいにはなるはずなので、それで引き下がってもらえないでしょうか。
「それで全部?なら持てる分だけ頂いていくよ。そっちの怖い人達が大人しくしてくれたらね」
「だそうですので、武器を下してもらえると有難いんですが・・・」
しばらく隙をうかがっていた二人だったが、いくら勇騎士でも人質を取られては手の出しようがなく苦々しい顔で武器を置いた。
「よっしゃ!そっちの二人縛ってくれ」
そうフードの男が告げると木々の中から別の男が出てきた。
その男はフードの男と同じくらいの歳に見えた。
口元にはお揃いのバンダナを巻いており、黒髪の短髪で軽装の鎧を身に着け、かなり逞しい体つきをしていた。
異様に見えたのは背中に身の丈ほどの大剣を背負っていたことだ。
常人におそらく振るのがやっとであろう。
黒髪が二人に近づく前にフードの男が警告する。
「そいつを人質にとって交換なんて考えないでよ。その瞬間こっちのおっさんの足を突くからね。護衛対象が怪我されると困るでしょ。穏便にいこーね。穏便に」
そう言われると、諦めたように息を吐き二人は縄で縛られた。