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9話 気遣い

次の日、朝食を持って来た使用人たちの中に文月香の姿はなかった。

当然事情を知らないあやは、昨日で胃袋を掴まれた和食に熱い視線を注いでいる。


俺は使用人を一人捕まえて、香の所在を確かめた。

「文月さんですか? 実は……」

言い淀む彼女だったが、隣の同僚が一言添えた。

「春鷹様のお陰なんだし、いいんじゃない? 」

「それもそうね……。実は昨日香ちゃん、ああ、文月さんは春鷹様をかばった後、年の為に再検査をしたんです。そしたら体の中に病気が見つかって、昨日の夜に既に病院に向かっています」

「容態は? 」

「ええと、広坂先生が言うには、早期発見だったから治るだろうと。最悪エクスヒールもありますので、命に関わることはないと仰って下さいました」


おー、良かった。

本当に良かった。

俺は思わず胸をなでおろす。あの人に死なれては困る。

水琴家で死なれては。それに今じゃもう他人ではない。身を挺して俺を守ってくれた優しい人なのだ。恩人である。


「治療費はどうなるんだ? 」

たしか文月家は体の弱い母親と香、大夜の三人家族のはずである。

長い治療ともなれば、お金の面で支障が出るかもしれない。


「ええと、我々は水琴家に正式に雇われている使用人になります。ありがたいことに、水琴家で働く者には充実した福利厚生が与えられております。治療費もそこから出ることになります」

「そうか! それは良かった。なら問題なさそうだな」

「感謝申し上げます。文月さんも病気が治り次第職場に復帰できるように奥様が手配して下さっております。本当にありがたいことです」

おお、本当に素晴らしい労働環境だな水琴家は。

俺も将来はここで働こうかしら。いや、俺は体力に自信がないから無理だな。

そういう問題じゃないか。


とにかくよかった。香はこれで助かるんだ。

俺の中に抱えていた重りを一つ下ろせた気がした。


「あの、春鷹様」

「ん? どうした? 」

「春鷹がこれほど使用人を気遣ってくれているとは思いませんでした。心配してくださっていることを伝えてあげれば、きっと文月さんも大いに喜ぶと思います」

「そんなことはない。今回はたまたま俺のことを守って貰ったから気遣っただけだ。……使用人が一人減ったんだ。ほら、もう喋っていないで仕事に戻って戻って」

俺は手をひらひら振って追い払う仕草を見せた。


「はい。しっかり働かせて頂きます! 」

邪険にしたにもかかわらず、彼女は笑顔で仕事に戻っていった。


「下手な照れ隠しね」

二人きりになると、あやがそう言って俺をからかってきた。

何のことかさっぱりである。


とりあえず、今朝も飯がうまい。納豆には醤油も薬味もかけずにそのまま頂くのが俺流である。

あやは今朝も3杯お代わりしていた。

一体あの細い体のどこに入っているのだろうか?

今度秘訣でも聞こうかな? そしたら俺のモヤシ体系の改善につながるかもしれない。果ては物理面最強の男に……はならないよね。


「あー、美味しかったー。私、水琴家に嫁ごうかしら」

そういう冗談はやめて。お味噌汁が鼻から垂れたじゃない。

濡れ布巾で顔をぬぐって汚れを落とし、俺は食事を終えた。


「今日はもう学園に戻ろうと思うんだけど、寄りたい場所とかあるか? 」

「んー、無いかな」

「じゃあ昼前には出発しよう」


それまでやることと言ったら、物置部屋の整理である。

俺は中を探って、いらないものを整理していく。

売れそうなものなら市場に戻してしまおう。プレミア価格が付いて逆に値上がりしているものもありそうだ。


細かい手はずは田辺の部下にでもお願いしよう。

そうして目の前の小物からいるものいらないものをどんどんと仕訳していった。


そして昨日、香が見つけた限定シューズまで掘り進めるまでに至る。

そこでちょうど昼前くらいだった。ここらで終わろう。続きはまた長期休みで帰って来てからだ。

限定シューズはどうしたものか……。学園にでも持っていこう。

トーワ魔法学園にはスカイフットボールをしたくて入学するような生徒もいる。

きっと限定シューズを欲しがる生徒は他にもいるだろう。いい交渉材料になるかもしれない。


ということで、シューズは持参荷物に追加する。


車に乗り込んだ俺とさやは水琴家に別れを告げた。

次返ってくるのは数か月先になるだろう。

それまでに香の病が治っているといいな。


しばしのお別れだ。

車は走りだした。

来た時同様、ふかふかのシートではしゃぐあやの姿があった。

俺は乗り慣れているので今更の感触だ。


1時間も走っていると、トーワ魔法学園都市の上空に張り巡らされた魔力壁が見えてきた。

これから俺はあの中で学園生活を送る。


水琴家は金持ちで権力を持つ家だ。その恩恵を受けようと思えばいくらでも受けられる。

しかし、俺はあえてそれらをあまり受けないつもりだ。

せっかく春鷹の体に乗り移ったんだ。同じようにだらけるつもりはない。


一に勉学、二に運動。三に遊び。

俺は真面目に学園ライフを送る心づもりでいる。

間違っても堕落雑魚ボスロードに入らないために。


そう決心をして、車がまっすぐ伸びた道路を走って学園都市内に入っていくのを確認した。

ここから俺の幸せ学園ライフがスタートだ。


「あぎゃっ!? 」

運転手が急ブレーキをかけやがったため、変な声が出た。御曹司になんて恥ずかしい声を出させるんだ。

抗議の意味を込めてバックミラーに睨みを入れた。

「すみません、春鷹様! しかし、目の前に……」


目の前には、道路に飛び出したスーツ姿のサラリーマンの男がいた。

何やら足取りがフラフラしており、挙動がおかしい。

普通はなんなんだと思うだろうが、俺はこれを知っている。


ゲーム内ではダークに取りつかれた人間とか、他にもあるけど、それらを倒して経験値稼ぎをするのだ。

目の前のサラリーマンはダークに取りつかれておかしな挙動を取っている。

目が真っ黒で、口や耳から黒い煙を噴き出しているのがいい証拠だ。

ダークとは人の心の闇が作り上げるものらしい。

具体的な定義はされていないので詳しくは知らない。

買ったばかりの白いシャツに鳥の糞が落ちてきたとき、俺の心からダークが生じたかもしれない。かもしれないのであって、そうとは言い切れない。でもなぁ、やっぱり買いたての白いシャツに鳥の糞は、ダークをたっぷり生じさせる気がする。


まあ軽くひねって経験値にしてやるよ、と行きたいところだけど、まだ魔法を習っていない。

だってトーワ魔法学園で習うんだもん。そこに今から入学しに行くんだもん。

使えなくて当然である!


「春鷹、行くよ! 」

車の扉を勢いよく押し開けて、あやが飛び出していった。

女子に行かせて俺が一人で車に引きこもるわけにはいかないだろう。

気は乗らないが付いていくか。


ダークを纏った人間はその力が何倍にも跳ね上がるし、力が上がらない個体は魔法を使用したりする。

魔力を持たない一般人が相手にできる敵ではない。


トーワ魔法学園が近くにあるからだろうか、ダークは比較的学園都市内に多発する。

これを処理するのは学園生徒の義務であり、生徒会メンバーの一員は定期的に見回りもしている。


けれど、この場に生徒の姿は見えない。

ちょうど春休みの期間であるし、ここは学園都市の入り口あたり。

生徒が近くにいなくても不思議はない。


つまり、この場で対応できそうなのは魔力持ちの俺とあやだけ。

ダークを纏ったサラリーマンが、目の前のファミリーカーにしがみついているところだった。

もたもたしている時間はなさそうだな。


外に出て、急いであやを追った。

「あや、ダークとの戦闘経験は? 」

ニヤリと笑って、彼女は肩を回しはじめた。

「はじめてよ」

……頼もしいな。


「俺も初めてだ。せいぜい手加減してやるとしようか」

ちょっとだけ強がってみた。



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