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最強ドМ彼氏  作者: 葉玖ルト
1/3

前編

 西の空が赤く染まる頃。チャイムの鐘が、六時を告げた。

 その鐘とともに、部活動に励んでいた生徒達が下校の準備を始める。そんな中、俺は一人体育館裏にいる。


「待った?」


 ふと、背後から可愛い声が聞こえた。そう、それは間違いなく彼女だ。

 彼女の方を振り返ると、改めてその容姿に見惚れた。

 秋の乾いた風が、俺と彼女の間をすり抜ける。

 その時、制服のスカートが花弁のようにふわあと広がった。ブレザーに掛かるセミロングの黒髪がそよ風になびく。


「待たせてごめんね。ところで、用事ってなぁに?」


 クラス一の美少女、結城(ゆうき)ミズホさんはまるで子猫のように可愛く首を傾げた。その表情は、男心を的確にくすぐる天使のような微笑みだった。

 緊張で身体が硬直する。俺は彼女を前にごくりと唾を呑み下し、今まで発した事のないくらい大きな声で、口を開いた。その声は見事に裏返る。


「結城、ミズホさん!」


 彼女も俺の声に合わせて「うん?」と聞き返す。

 汗がじわりとにじみ出てきた。俺は今、彼女に告白しようと決意する。

 “落ち着け。勇気を振り絞るんだ、俺”と自分に言い聞かせ彼女に一歩、迫る。ここは男としてなんとしてでも成功させたい。さあ、告白するのにたった一言じゃないか?

 付き合ってくださいで済む事だろう。言うんだ、今がチャンスだ、俺!


「お、おっ、俺と……その」


 鼓動の高鳴りが俺の言葉を、息を乱す。その後、緊張のあまり数十秒にわたって「俺と」を何度も繰り返し、口を動かしていた。

 彼女も中々、踏み切らない俺に対して小さなため息を吐く。

 早く、言わなきゃ。それが俺の脳内を、更に混乱させる。


「ミズホさん。俺、俺を」


 俺はどこへ視線を向けていいのかわからずに、目を泳がせて下を見る。


「なあに、佐原(さはら)君。私も暇じゃないんだけど?」


 彼女はあからさまに、もう帰りたいというような表情を作っていた。これは、まずい。

 息を呑んで、また一歩ミズホさんに迫る。そして決心がついたように、なんとか冷静に言葉を紡いだ。


「ミズホさん、俺を」

「うん?」


 ――俺を、殴ってください。


 秋の夕焼けに、シンとした空気が流れる。

 告白を決意した俺だが、何をとち狂ったのか。漏れた言葉は『殴ってください』だった。

 重苦しい空気が二人の間に(よど)む。あぁ、この空気も悪くないな。


「……えっと。大事な話って、それ?」


 ミズホさんは困惑した表情で俺に訊ねた。ミズホさんの言葉に、俺も思わず恥ずかしさで顔を赤らめる。


「ち、違うんです! いえ、違う事もないですけど。その、……えへ」


 舌をぺろりと出して、微笑む。苦し紛れの照れ隠し。

 ミズホさんは俺を前に、一歩引いた。

 まるで変な物を見るような視線。その行動が、俺の心を的確にえぐった。

 その心が今、彼女の前で爆発した。どんなに引かれてもいい、この感情は誰にも抑えられないだろう。

 俺は彼女の細い腰に、両手でむぎゅっと抱きついた。


「ミズホさぁん! 俺を殴ってください、前から好きだったんです!!」

「いやああ!?」


 当然の絶叫だった。それでも尚、俺という人間を満たしてもらおうと彼女を言葉で攻めた。


「さあ、俺を満たしてください。お願いしますホントにホントに……あっ、よろしければ付き合ってください」

「付き合うのはついでかい! 離してよ!」


 ツッコミまで入れてくれる彼女。これはますます彼女の事を好きになってしまう。

 俺は必死に彼女に抱きついて、上目遣いで訴えた。やってくれるまで諦めないからな。


「頬、頬を一発! 背中、背中を足蹴(あしげ)!」


 それから続けて「少しでいいんです、俺を殴ってください」とミズホさんに告げた。

 ミズホさんは、腰にへばりつく俺を必死に剥がそうとしていた。か弱い力で頑張る彼女に、どんどん魅かれていく。

 俺の執拗な行動。途端、ミズホさんの目に涙が浮かぶ。

 まずい。これじゃあ俺が泣かせたみたいだ!

バッ。俺は彼女から即座に離れ、慌てて頭を下げた。


「ご、ごめんなさいミズホさん。つ、つい」

「……ばか」


 はっ、ばか呼ばわりをされてしまった。これでは俺の印象が最悪だ。

 どうしよう、どうしようと必死に思考を巡らせる。そうだ俺が突然、殴れと言ったからいけないんだ。

 よし、一度、誠意を持って謝ろう。そして少しずつ、俺という人間をわかってもらおう。それだ、それしかない、今の彼女に許してもらうには……。


「ごめんなさい、ミズホさん。決してあなたに危害を加えるつもりはなか――」


 ……た。

 俺は思わず目を丸くさせた。先程まで目の前にいたはずの彼女が、いない。おそらく、俺が思考を巡らせている間に逃げたんだろう。ひどい、これじゃあ俺が完全に悪者じゃないか!

 俺はその場にポツンと、突っ立って叫んだ。


「最悪だああああ!」


 ――彼女の事は前々から可愛くて素敵な子だなぁとは思っていた。

 彼女は陸上部所属、クラス一の美少女・結城ミズホさん。周りからは可愛い、と呼ばれているが男に近づかれない理由があった。

 近づこうとした男に片っ端から睨む行動。もちろん、彼女自身は睨んでいるつもりなど毛頭ないのだろうが、睨んだと勘違いした男達は震え上がって逃げていく。

 だから彼女の唯一の友達は、俺の友人でもある幼馴染の劉一(りゅういち)くらいだった。

 もしかしたら、劉一と楽しそうに話すミズホさんが余計に可愛く見えたのかもしれない。

 俺の、男としての気持ちは彼女へと傾く。

 ただ、それだけ。それだけの考えで、俺は彼女に告白を決意した。複雑な理由なんていらない。


 ――それが見事に、失敗に終わってしまうなんて。

 もう完全に俺が悪役だ。それはそれで、そそる何かがあるけど。

 俺は帰宅して、真っ先に自室へ向かった。

 携帯を枕元に置き、そのままベッドに仰向けで寝そべる。明日、彼女にもう一度謝ろう。許してくれるかは別として。

 俺は目を瞑る。明日、どう謝ろうと言葉を考えながら。

 

 ちょうど、心地よい眠りが体全身を包み始めた頃。携帯が俺の耳元で鳴り響く。「うるさいなぁ」と呟きながらその携帯を見ると、『劉一』の二文字が見えた。

 こんな時に、何の用事だよ。数秒程、無視をしてみたが着信音が鳴り止む事はなかった。俺は面倒臭いと小さくぼやいて電話に出た。


「……もしもし」

(ゆう)、お前』


 俺の名を口にし、劉一は数秒の間を空けた。「俺が、何だよ」と訊ねると劉一は言った。


『ミズホに告ったって?』


 劉一の言葉に、俺の目は点になった。一瞬、劉一が何を言ったのか分からなかった。

 俺は変な汗を掻きながら、劉一に問う。


「な、何でお前が知ってるんだよ」

『まあ、色々とな。で、泣かれて逃げられたんだろう?』

「劉一、お前どこまで知ってるんだよ?」


 あまりにも、的確な言葉を言い放つ友人を、不審に思った。

 まるで見て来たような言い草。俺は電話越しに、不機嫌な顔を作る。

 一方の劉一は、妙に楽しそうに言葉を返した。


『ん? お前がミズホに告白したが変態すぎて、あろうことか泣かれたから謝っていたら、逃げられたってこと』

「全部じゃねえか」


 どこで仕入れやがった、この野郎!

 おそらく、ミズホさんは俺の事を劉一に喋ったんだ。

 そりゃあそうだよな、あんなド変態を前に幼馴染を頼らない子はいないよな。だからと言って俺の事を喋ってしまう彼女も彼女だが、それを楽しそうに本人に伝える友人も大概(たいがい)だと思う。


「このゲス! そういうのを、本人に伝えるかよフツー」

『お前にゲス扱いされる日が来るとは。世も末だな』

「世も末とは失礼だな」

『で、ミズホに再アタックするの?』

「スルーかよ」


 しかし俺の言葉など気に留める様子はなさそうだった。俺は諦めて、話を続ける。


「もちろん、俺がこのまま諦めるはずないだろう」


 俺は自信満々にそう答えた。劉一は「ふーん」と、どうでもよさそうな声を出して言う。


『じゃあ明日、昼休憩にミズホの落とし方を教えてやるよ』

「え、ほんと?」

『あぁ。ただし報酬はいただくがな。例のブツを五箱、頼む』

「わかった……奢ろう」


 あれは一箱五百円もするんだぞ。しかし、ミズホさんと付き合うためだ。

 ……買っていこう。


 ――翌日の昼休憩。

 

いつも通り、劉一と屋上にいた。俺達はフェンスを背に座っている。


「例のブツは?」


 と、劉一が言う。とにかく“あれ”が欲しいらしい。

 俺は『くらもち』と書かれたビニール袋を差し出した。劉一も袋を受け取り、目を輝かせて袋の中の物を取り出す。


「おぉ! やっぱりカツサンドは『くらもち』だよなあ。サンキュー、今日昼飯持って来てないんだ」


 早速、劉一はカツサンドを一つ頬張る。なんて幸せそうな顔なんだ、とツッコミを入れたくなるくらい、美味しそうに食べていた。


「んー、うまい。幸せだ」

「……それ、高いんだからな。俺の小遣いも無限じゃないんだぞ」

「わかってるよ。えーっと、そうそう。ミズホの落とし方だったよな」

「忘れんなよ」


 劉一は二つ目のカツサンドを頬張って答えた。


「忘れてねぇよ。ミズホを落とすなら、まずミズホの兄をどうにかすることだな」

「お兄さんを?」


 お兄さんを、とはどういう事だろうか。もしかしてとても乱暴な人で、ミズホさんが困っているということか!

 俺はすぐ様立ち上がって叫んだ。


「それは、まずいじゃないか! 早く止めなきゃ!」

「ん、止めてくれんの? つか何を想像したら、そんなに焦ることが出来るんだ」


 劉一は特に興味のなさそうな声でそう言い、三つ目のカツサンドを頬張った。

 あまりに冷静すぎる劉一に、俺は首を傾げる。なぜそこまで冷静でいられるのかが、分からない。


「幼馴染の危機じゃないか! 非道!」

「はあ? ま、まあある意味、危機だよな」


 劉一は困ったように、頬を掻く。なんだ、この様子だと別に暴力は絡んでいないな。

 俺は安堵し、ふぅと小さく息を吐いて座り直す。


「悠、実際に会えばわかると思うが。ありゃお前以上のつわものだ」

「え、俺以上のM?」

「ばーか、違うよ。周りがそんなにMだらけでたまるかっての」


 今の言葉は色々と聞き捨てならない!

 俺は劉一の目を凝視したのち、劉一に言う。


「それ、褒めてるんだよな!」

「いや、褒めてねえし」


 空っぽになったカツサンドの箱を、俺の胸元へ押し付ける。どうやら持って帰れと言いたいようだ。


「……はあ」


 大きなため息を一つ、俺は劉一からゴミを預かりくらもちの袋に詰め込んだ。

 まったく、世話の掛かる友人だなあ。

 途端、俺と劉一の間にふっと人影ができる。

 見上げるとその影の正体は、昨日俺から逃げたミズホさんだった。一体、何の用事だろう?


「佐原君」

「へ? あっ、はい」


 突如、俺の名を呼ぶミズホさん。思わず()抜けた声が出た。同時に、俺は失礼のないよう立ち上がる。もしかして、昨日の事をまだ根に持ってるんじゃあ……。だとしたら、早急に謝らないと。

 ミズホさんは、俺の右肩に片手を置いて、顔を近づける。

 突然の出来事に、俺は頬を赤らめながら軽く目を瞑る。そのまま彼女は耳打ちをした。

 ボソリ、と呟かれた言葉。緊張のあまり、うまく言葉に集中することが出来なかった。しかし『付き合ってもいいよ』彼女は、間違いなくそう言った。

はい? と俺が今一度聞き返すと、彼女の方も顔を赤らめて、ハッキリと声にする。


「付き合っても、いいよ。佐原君……いえ、悠君」


 俺は、その場で何度か瞬きを繰り返す。劉一も「マジで?」と声を出した。

 俺と劉一は数秒、目を合わせた。そして、ミズホさんの方に向き直る。


「……うそ?」

「嘘なんて吐いてどうするのよ。昨日は、その、ごめんね? 急にしがみつかれてその……怖かったのよ」

「い、いやいや! こちらこそごめんなさい! つい……私欲が」


 じゅる。自分で言った『私欲』という言葉に思わず涎が出る。いけない、また怖がられてしまう。

 俺のドMな性格を見て逃げ出すくらいだ。そんな簡単に告白を受けるなんて、思えない。

 俺は、視線を泳がせてうつむいた。恥ずかしさと混乱でまともに、直視出来ない。

 彼女は、その小さな手で俺の両手を包む。彼女のぬくもりを感じる。この場合どうしたらいいんだ、俺は。


「悠君、私じゃダメ?」


 小さく首を傾げ、甘えるように上目遣いで見つめて来る。

 ……こ、これは。

 あまりの可愛さに、俺は顔から火が出た。俺から別の意味での急接近をする機会はあっても、異性から急接近されたのは初めてだった。そんな俺を見て、彼女も顔を覗いて微笑んだ。


「悠君、顔が赤い」

「あっ、すみません、恥ずかしいなあ、あっ……ははは」


 俺はそれでも尚、ひたすらうつむく。何なんだ、この積極的な彼女の姿は!

 昨日とはまるで反応が違うじゃないか。


「んじゃ、俺はそろそろ退散するか」


 ズボンのホコリをはたいて、立ち上がる劉一。

 気を遣っているのか?

 でも、今は恥ずかしすぎて二人きりにしてほしくない。お願いだから、この場にいてくれ。

 そんな俺の、引き止める眼差しを感じたのか、劉一は最後に言葉を残した。


「悠、さっきのアドバイス。忘れるなよー、じゃあごゆっくり」

「待てよ、劉一! 二人にしないで、せめて会話のハシゴにー!」


 しかし、劉一は無視してそのまま立ち去った。酷い友人だ。まだあいつに、アドバイスらしいアドバイスも貰ってないぞ!

 俺をこんな、可愛い子と二人きりにするなんて。まったく何を考えているんだ。


「悠君」

「はっ、はい」

「付き合ってもいいんだけど、条件があるの。いい?」

「条件、ですか」


 まあ、こんな可愛い子と付き合えるならどんな条件でも。たとえ火の中水の中、突っ込んで行く覚悟はできている。むしろ火の中、水の中に押し入れてください。


「今日の七時頃、私の家に来てくれる? 私が求める人って、状況に(・・・)流されない(・・・・・)強い心を(・・・・)持った人(・・・・)なのよ。だからそれを確かめたいの」

「状況に流されない、強い心を持った人?」


 俺は彼女の言葉を復唱した。



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