7.『彼女』の気持ちとお弁当の行方
学校に到着し、クラスメイトに挨拶したあと、いつもより厚い鞄から教科書とノートを机の中にしまう。鞄の中の、今日の早起きの成果が視界にチラリ。
せっかく作ったんだし、机の横に下げておいて蹴られたりしてもバカらしいんで、廊下にあるロッカーに収納しておくことにしようと席を立つ。
ロッカーといっても鍵がかかるわけじゃないんで、貴重品を入れるには向いていない。財布なんかは自分で持っておくべきだろう。体操服とか、置き傘とか、いざという時の生理用品を入れたポーチなんかが置いてあるロッカーに、鞄を入れて扉を閉める。
最近は生理用品の貸し借りなんかも普通にやるようになってきた。意外に思うかもしれないけど、絆創膏とかティッシュみたいな感覚で軽く貸し借りされていたりする。まあ、貸し借りって言っても実際返してもらうことはなくて、あくまで困ったときはお互いさまって感覚だ。
あと、ポーチを持ってトイレに行く姿を見ても、気がつかないフリをするのも優しさだと思う。オレだってじろじろ見られたらさすがに気にするんだよ。
廊下に出たことだし、ものはついでとばかりにそのままお手洗いに向かおうとすると、途中で見知った顔の女子生徒に話しかけられた。
「あなたたち、付き合っていないんですってね」
「……なんのことかわかりかねます」
胸元の色鮮やかな赤いリボンが目についた。このリボン、学年によって色が決められている。オレたち1年生はモスグリーン、2年生はネイビーブルー、そして3年生はワインレッド。
視線を上げると、目付きの悪い板チョコAカップな長身くろんげお姉さま、つまり、あのセンパイがオレのことを見おろしていた。
鏡越しではなく、こうして直接対峙すると結構な威圧感がある。といってもバレー部、バスケ部組に比べれば大したことはないんだけど。これが長身ならあれはジャイアントだ。遠くからくしゃみの音が聞こえてきた。
「とぼけないでください。否定しないなら肯定とみなします」
いちいち気に障る声。朝からイライラさせてくれる。
……別に、とぼけてるわけじゃない。オレと和人はそんな関係じゃない。言葉で表すなら親友、これが一番近いはずだ。
それなのに、どうしてだろう。
『ほんとになんにもないなら……そのうち誰かにとられちゃうかもね?』
姉の言葉が脳裏をよぎった。胸がチクチクとするような、言いようのない不快感を誤魔化すようにかぶりを振る。
「……どうぞ、ご勝手に」
オレはアイツの恋路を邪魔するつもりはない。
「そうですか。なら、遠慮はしません」
……これで、いいはずだ。
4時間目の終わりのチャイムが鳴り、クラスメイトたちがそれぞれ思い思いの行動を開始する。雑談を始めるヤツも居れば、学食へ急ぐヤツもいる。ただしまだ授業は終わっていない。キリが良いところまで進められず、チョークを持ったまま立ち尽くしてる先生の背中が煤けていた。というかナメられすぎでしょ。
しばらく固まったままの先生が、諦めて肩を落として教室から去っていくのを見届けた後、オレも席を立った。
「ねえ和人」
お弁当作ってみたんだけど、と続けようとしたところで教室の入り口からの声に遮られた。
「結城 和人くん、いるかな?」
「なんかこれ渡してくれって頼まれちゃって」
リボンの色からどうやら三年生二人組のようだ。手紙のようなものを和人に渡している。頼まれたってことはあの人は誰かの代理で来たってことだ。
誰の……と考えてすぐに思い当たる。例の不確定名センパイ。十中八九そうだろう。
「今すぐ読んで欲しいらしいよ」
「……わかった」
便箋のシールを丁寧に剥がして開封していく様子を呆けたように見守る。
手紙に目を通して和人は眉をひそめると、手紙を便箋にしまってそのまま制服のポケットに突っ込んだ。
「響、悪い。用事が出来たんで昼は食べててくれ。しばらくかかりそうだ」
「う、うん。大丈夫……」
和人はあっという間に教室から出ていってしまった。
お弁当、どうしよう? しばらくかかるってどのくらいだろう? わざわざ食べててくれなんて言って行くってことは10分20分では済まないのかも。
とりあえず自分の席で食べようかと、ロッカーから鞄を回収してお弁当を取り出す。自分の分なんで小さな箱のほう。
「あれ? 九重さん今日はお弁当なの? 珍しい」
近くで机を4つ合わせてお昼を食べているグループの一人、木谷 早苗さんが声をかけてくる。ちょっと大柄なショートカットの子で、たしかバレー部だった気がする。
「気が向いたんで作ってみたんだけど」
苦笑しながらそう答えると、木谷さんは何かを察してくれたようだ。
「せっかく作ったのに残念だったね」
正直拍子抜けした気分だ。今日一日ずっと、そわそわして落ち着かなくて、なんでこんなに気にしてるのかわからなくて持て余し気味だったんで、残念な反面ほっとした気持ちもある。
「そうだ九重さん、一緒に食べない?」
ちょっとびっくりしてしまった。木谷さんとも他の3人ともほとんど話したこともないくらいなのに。お邪魔なのではと思ったけど、見かたを変えればこれは交友関係を広げるチャンスかもしれない。
「すいません、是非お願いします!」
他3人の誰かが小さく吹き出した。緊張しておかしな返答になってしまった。
「とりあえず椅子持ってきてよ」
「机くっつけちゃいますね」
ちょっとチグハグな会話を笑って誤魔化しながら、机を誕生日席ポジションにくっつける。
それにしても4人とも大きい。オレが小さいだけかもしれないけど、ちょっと威圧感を感じる。
「もしかしてみなさんバレー部ですか?」
「うちとそこの2人、宮瀬と中村がバレー部で、こっちの赤木が女バス」
木谷さんがそう紹介してくれた。赤木さんめっちゃリバウンド取りそう、なんで名前の印象だけで失礼なことを考えながら口を開く。
「えっと、帰宅部の九重です?」
「知ってる知ってる」
笑われてしまった。自己紹介の流れではなかったか。さてどうしたものかと視線を彷徨わせると鞄の中の大きな弁当箱が目に入った。
持って帰ってもしょうがないし、ここで振る舞ってしまうとするか。そう決めると鞄からもう一つの大きな弁当箱を取り出して、木谷さんたちの机の真ん中に置く。
包みを開いて弁当箱をあけると、中からサンドイッチと唐揚げと卵焼きが姿をあらわした。サンドイッチはたまご、鶏ハム、ベーコンレタスの三種類。ベーコンレタスはトマトを入れてBLTにしたかったんだけど水気が強いんでやめておいた。
それを見て、机を囲んでいる4人が苦笑している。誰の分だったかまるわかりだもんな……。
「もしよければ食べて貰えますか?」
「うちら運動部だからありがたい話だけど、でもいいの?」
「持ち帰ってもしょうがないんで」
そう言ってオレも自分の弁当箱を開く。中身は同じものだ。量が少ないけど。
「もしかしなくても手作り?」
「えーと、はい。あまり手の込んだものは作れませんが……」
実際サンドイッチなんて誰でも作れるだろう。よっぽどふざけたことをしなければきちんと食べれるものが出来る筈だ。
「こんだけ作れれば十分でしょ」
「食べてみないとわかりませんよ?」
「そう? それじゃ卵焼き貰うね」
「はい。お口に合えばいいんですけど」
試食でちょっとつまんだぶんにはなかなか良く出来ていたと思うけど、時間がたって冷えるとどうなんだろう。冷えてもおいしいってなかなか高レベルな要求なんじゃないだろうか。
「お、だし巻きだ」
「だし巻きはどうしても水分が多くなるんで、お弁当向けにするために片栗粉を入れてるんです。保水力が高くなってべたつきにくくなりますよ」
聞かれてもいないのに説明してしまった。というか何話せばいいかわからない。こういう時コミュ力の低さを露呈してしまうな。
「つーか口調かたくない?」
「タメ口でいいしょ。同学年だし」
バレー部組に指摘された。いや、自分でもちょっとおかしいなって思ってたんだよ? でもなんというか圧を感じるんですよ。体格的な意味で! 誤魔化し笑いを浮かべながらサンドイッチに手を伸ばす。
「ガタイ全然違うけどね。なんであーしらこんなに育っちゃったのか」
「運動して、食べて、寝てれば育つっしょ」
「それな!」
カラカラと笑う一同。実際彼女らがその気になればオレとか一撃でBASARA KOされてもおかしくない気がする。想が瞬を駆け抜けてー。さすがにその気にならんだろうけど。
「やばい、卵焼きも唐揚げも超おいしい」
「たまごサンド、ちょっと甘めだけど結構いいね」
「たまごサラダ作るとき砂糖入れすぎちゃって」
ちゃんと友達口調で喋れた気がする! 料理は母さん直伝なので全て目分量だ。毎回出来上がりの味が違う。お店じゃないんだから毎回同じである必要は無いって言われたっけ。
「あれって砂糖いれんの?」
「ちょっと入れると旨味が引き立つから」
甘みは旨味と言うくらいだし、適切な甘みは料理の味を引き立てる。塩辛いだけでは美味しくならない。料理を始める前はこんなに砂糖を使うものだなんて思ってもみなかった。
「しかし結城くんは勿体無いことしたねー」
「あはは……急用なら仕方ないかな」
アイツがどんな顔するか、楽しみにしてたのに。残念だ。
サプライズにしようだなんて考えずに、ちゃんと伝えておけば良かったのかもしれない。でもそれでは面白くないという気持ちもある。そしてオレはどちらかと言われれば面白い方を取るタイプだ。別に今日だけしかチャンスが無いわけでもあるまいし、またすぐにでも作ってくるとしよう。
「このサンドイッチは鶏肉?」
「うん、自家製の鶏ハム」
「おお、自家製?」
「鶏むね肉にフォークで穴をあけて、塩胡椒ふってジップロックに入れてオリーブオイルを垂らして揉むの。炊飯器にジップロックごと入れたらお湯を注いで保温で1時間」
鶏ハムは簡単に出来て美味しいのでオススメだ。塩胡椒をクレイジーソルトに変えてもいい。炊飯器があいてないときは鍋を使ってもいいけど火加減が難しいのが難点かな。
「やばい。簡単そうに言われてるけどわかんない」
「うちら食べる専門だからね」
「これはもう九重さんに嫁に来て貰うしかないわ」
「いや、もう売約済みっしょ」
売約済みって……えっと、つまりそういうことだよね。
なんとなく、そう、なんとなくなんだけど、ウェディングドレス姿の自分と並んで立つアイツの姿を想像してしまった。
……いやいやいや!? 一体何を想像しているんだ!? 一瞬でも悪くないと思うなんて血迷いすぎだろ!? だいたいアイツは男だぞ!?
顔が徐々に火照ってくるのがわかる。なんとなく気恥ずかしくて、顔を隠すようにして俯くと、それを周りに茶化されて、そういうんじゃないから、と否定しても全く相手にしてもらえない。
きっとオレの顔は真っ赤になっているだろう。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
明後日、明々後日が受験だなんて。現実逃避、頑張るぞい。