閑話 6-5.犬も食わない
ゴールデンウィーク終了のお知らせ。
「ミッキーの着ぐるみって、あれ絶対パチモンだよね……」
隣のレーンに佇むミニスカウエディングドレスの少女が、手でひさしを作りながらそんなことを呟いた。
同学年なのに名前も知らない、仮装リレーで一緒になったお人形みたいな女の子。ゆるく波打つ髪に大きな瞳が印象的。なのに口を開くとはすっぱなのが面白い。
「出どころを追求すると誰も幸せにならないヤツじゃないかなあ……」
「勝手に作ったりしたら五月蝿そうだもんね」
中身のない雑な会話を続けつつ、着ぐるみたちの熱いレースに目を向ける。今のところくまモンが1馬身リードでトップに立っているようだ。
「あっ、ミッキーこけた」
「首がもげとる……」
絵面が非常にヤバいんですが。
遠目に見ると逆にグロいのは、中の人が見えづらいからだろうか。この角度では完全に首ちょんぱ。
「……九重さんはさ」
固唾を飲んで事故現場を見ていると、首無しネズミがもぞもぞと動き出した。何かを確かめるようにゆっくりと立ち上がり、頭を拾って再装着。そのままふらふらと走り出す。
「……その、彼氏とケンカしたりしないの?」
質問は唐突だった。
話の流れがわからないまま、ミニの彼女に目を向ける。困ったようなその顔は、なんだか迷子の子供みたいに見えた。
「……あたし、今ちょっと彼とケンカ中で。その状態でコレでしょ。なんでこんなの着てるのかなって」
「あー……」
選出から本番まで2週間。こういう事故が起こるのもある程度は仕方ない。とはいえ本人としてはたまったものじゃないだろう。
「皮肉だよね。もうちょい幸せな気分で着るもんだと思ってた」
そう言うとスカートを摘んでひらひらと。純白のオーバーニーソックスに挟まれた絶対領域がちらりと見えた。
「今まで仲違いなんて、したことなかったのに」
「……もしかして、ケンカ自体初めてだったり?」
「もちろん」
即答である。
「友達とも、家族とも?」
「……野蛮なことだと思ってたから」
いまいち自分にはピンと来ない話だった。それこそ子供の頃は、一般的な男の子として母親と毎日のように口喧嘩していたし、和人とは取っ組み合いも珍しくはなかったほどである。
今となっては取っ組み合いは無理だけど、家族との口喧嘩も、親友との口論も、とても大事なコミュニケーションになっている。煽り合える関係は、相互理解の上に成り立つものなのだ。
だからだろうか――。彼女が迷子に見えた理由が、どこかわかったような気がしたのは。
ケンカをしたことがないから終わらせ方がわからない。本気でぶつかったことがないから袋小路に迷い込む。きっと手のかからない良い子だったのだろう。自分とは正反対。
「遅れてやってきた反抗期ってところかな?」
「……なにそれ?」
気の抜けたような声。でも少しだけスッキリしたように聞こえた。誰かに話すことで、考えをまとめることが出来たのかもしれない。
いつのまにか第二走者にバトンは渡り、吸血鬼が、狼男が、タキシードの1年生目掛けて猛ダッシュ。着ぐるみとは世界の違うスピードで、またたく間にゴールへと近づいてゆく。
わあっと、歓声が上がった。
「さっきの答えだけど、たまにしちゃうんだよね」
「……なにを?」
「だから、ケンカ」
質問をしたことなんて忘れていたのだろう。
「九重さんでもそうなんだ……」
「気まずくなって、話すのが怖くなるけどさ、時間が解決してくれるなんて嘘ばっかり。向き合って言葉にしないとお互い何も伝わらない」
すれ違うことを怖がってたら、ぶつかることも出来ないのだ。
「その様子だとちゃんと話せてないんでしょ」
彼女は小さく頷いた。その視線は、自レーンの先にいるタキシードの男子に向いているように見えた。
吸血鬼からバトンが渡され、件の彼が走り出す。わずかに遅れて和人が続く。
「だからさ、腹の中全部さらけ出して話すんだ。抱えてるものみんなまとめて投げつけちゃえ」
「…………もし、上手く行かなかったら?」
歓声は震える語尾を隠さなかった。揺れるまなざしは不安を声高に訴える。
「そんときは元々長続きしてなかったから諦めよう」
迷わず火の玉ストレート。うん、ばっさりだ。
結局全ては本人次第。良い結果を約束することは出来ないけれど、本気で動けば動いたぶんの、結果は必ずついてくる。
「他人事じゃん……」
「他人事だもん。他人の荷物を勝手に背負っちゃいけないって習わなかった?」
「他人の荷物は背負わなくても、自分は背負われてるんだよなあ……」
「舌噛むぞ」
えっさほいさとトラックを走る和人の背中に、必死にしがみ付きながらも思わずボヤいてしまったのは、仕方ないことだと思うのだ。
「だいたい何でおんぶなんだよ。ここはお姫様だっこの出番だろ……」
腕の力だけで抱えたまま走るのは無理だと主張され、おんぶとファイヤーマンズキャリーの二択を迫られた。
隣レーンのミニの彼女は、ケンカ中の彼氏さんと二言三言言葉を交わすと、真っ赤な顔でお姫様だっこをされて運ばれて行ったわけだけど。解せぬ。
って!
「和人! 前!」
「うおっ」
だいぶ先行していた隣レーンのペアがバランスを崩していた。本当は怖いお姫様だっこ。体の前で抱えている関係上、倒れた時に抱かれている側を押し潰しかねないような。
そのまま転倒――。となる前に、彼氏さんがミニの彼女を受け止めようと必死に体を入れ替える。
ほんとにケンカしてるの君たち?
彼が背中から倒れ込み、その上に彼女が乗っかった。そこそこ痛そうな音にうわあと思いつつも、ゴム製の全天候型トラックって滑らないんだ。なんて妙なところで感心する。
「どうする? 助ける?」
「……いや。馬に蹴られたくないからやめておこう」
見ればすぐわかる話であった。
倒れ込んだまま見つめ合う二人。耳たぶまで赤く染めた彼女の瞳は、わかりやす過ぎるくらい潤んでいた。
「雌の顔しとる……」
身を挺して守られたりしたら、そりゃあキュンとするとは思うけど。これはマッチポンプなのではなかろうか。
和人がオレをおんぶしたまま、彼女たちの横を駆け抜ける。仲直り出来たかどうかは知らないが、仲睦まじそうで何よりです。だからこそ、これだけは言っておかねばならなかった。
「よかったね! 爆発しろ!」
仮装リレーには勝った。
倒れた人に暴言を浴びせたことが問題になりかけたものの、当人からあれは祝福の言葉です、とフォローが入りお咎めなし。ごめんなさい嫉妬しかありませんでした。
なにはともあれ、無事1位の50点と4位の10点が赤組に追加され、合計334点に。
「なんでや阪神関係ないやろ!」
「お前なんで縦縞好きなの?」
「虎はダメな時ほど愛おしい……」
メジャーではシアトル。サッカーではインテリスタである。我ながら業が深い。
「そういえば競技中は聞けなかったけど、せっかくドレス着たんだからあとで感想聞かせてよ」
ブーケは投げろというお達しが出たもんで、もうどこかに行ってしまったけれど。そのぶん腕が自由になるからこんなことも出来るのだ。
「普通こんなところで腕組むか!?」
「エスコートよろしく!」
冷やかしの声にどうもどうもと頭を下げつつ、和人と並んでクラスの待機場所へと歩いてゆく。
今日はもう体育祭終了までこの格好で過ごすらしい。スカートの下の方は土埃だらけだし、ヴェールは行方不明というていたらく。それでもまだこいつにはお役目が残ってる。
『本年度の仮装リレーは、貸衣装、記念写真のスタジオミナミさんの提供でお送り致しました。チャペル隣のスタジオミナミ。結婚式でウェディングドレス、タキシードがご入用の際には是非ともご利用ください――』
放送も流れたことだし、宣伝のためにも、せいぜいフェンスの花になってるとしましょうか。
「また迷える子羊を導いてしまった……」
「なんでお前のアドバイスってアクセルだけで、ブレーキとハンドルがないの?」
「なんだかんだで感動的にゴールして大団円」
無理でした。