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6.嫌われたくないと思う理由

「お母さん、明日お弁当作って行きたいんだけど」


 学校から帰ったばかりでまだ制服姿の下の娘の言葉に、思わずわたしは食べていたせんべいを取り落としそうになった。


「めんどくさがりのあんたが、お弁当を、作る? おかしいわね……耳が遠くなったのかしら……」

「いや、合ってるから」


 娘の名前は響。九重家の次女で高校1年生。すっぴんのままでも息を呑むほどの美少女っぷりで母としては鼻が高い。よくよく見れば、眉がほんの少し濃いのが気になるのだけど、全体の印象の前にはそんなもの吹き飛んでしまう。


 こんなナリだが響は4年前まで息子だった。神様が居るのなら、その正気を疑うような病気で娘になって今に至る。おかげでいろいろめんどくさい性格になってしまっているけど仕方のないことだろう。母としてはこのまま和人くんが貰ってくれるのが一番心配しなくてよくて楽なんだけど。


「なに? 和人くんにでもあげるの?」

「う……うん……」


 顔を赤くしてもじもじして、これでそんな気は全く無いって言い張ってるんだから笑ってしまう。


 この子が変わり始めたのは2年前くらいからだろうか。初潮を迎えた後から少しづつ変わっていった気がする。そういや生理用品の使い方を教えたのは姉の奏だったが、そのとき余計なことまで教え込んだようで、響はギャン泣きしたあと部屋に閉じ籠もって、2週間以上一言も奏と口をきかなかったっけ。


 何をやらかしたのか奏に聞いてみたことがあるのだけど、一言、ごちそうさまでした、とだけ言われた。察した。


 今ではそこそこ話す程度には和解しているようだけど、未だに響は姉を苦手そうにしている。奏のほうはなんだかんだで妹を気に入ってるみたいで、いろいろとちょっかいを出しているのを見かけることがある。……ほどほどにしときなさいよ。


 自分のことをオレと言わなくなったのもこの頃だったかしら。結局オレと言わなくなっただけで、わたしともボクとも言わない不思議な子になってしまった。それでもずいぶん言葉遣いが柔らかくなってクラスメイトと打ち解けられたみたい。たまに家に来る高橋 理恵ちゃんもその頃友達になったとか。


 こんなかわいい我が娘だけど、告白されたことは片手で数える程度しか無いらしい。そりゃあんだけ和人くんとべったりなら、誰も手を出そうとは考えないか。それでも数人居たというのが、逆に驚きだわ。


 告白の結果は言わずもがな。下手に希望を残さないよう、一刀両断するようにしているそうで、勇気を出した男の子たちに同情せざるを得ない。


 それにしても和人くんにお弁当ね。何があったのかは知らないけれどいい傾向じゃないかしら。


「胃袋掴んじゃいなさい」

「だから、そういうんじゃないって! 純粋に感謝の気持ち! 日頃の感謝を込めてだから!」」

「はいはい、そういうことにしといてあげる」


 この子はどうも、自分が男性とそういう関係になることに抵抗を感じてるみたいだけど、だからといって女性が好きというわけでもないみたい。


 恋愛自体が嫌いなわけではないようで、ボーイミーツガールな小説が何冊か本棚にあったりする。それはいいのだけど……娘の部屋にBL本が隠されているのを母は知っているのです。こじらせすぎじゃないかしら。


「お弁当作るのはいいけど、まずは夕飯からね。そしたら冷蔵庫の中のものは何使ってもいいから」

「うん、わかった。手伝うんで着替えて来ちゃうね」


 短いスカートを揺らして早足にリビングを出て行く娘の姿にため息を一つ。スカート絶対無理とわめいてた子が、気がつけば制服のスカートを短くしていることを喜ぶべきか悲しむべきか。


 さて今日は何を作らせようか。あの子はわりと覚えが良い。というかバカみたいなアレンジをしようとしないので安心して見てられる。


 教えたら教えた通りにやる。これが出来ない子は多い。上の娘の奏とか、何か一つでも独自色を加えないと我慢出来ないタイプなんでろくなことにならない。奏に料理は諦めた。メシマズ嫁になっても知ったことか。


 といっても奏なら必要に迫られれば、すぐに出来るようになるだろうから心配はしていないのだけどね。





 夕飯は唐揚げとほうれん草のおひたし、それにポテトサラダとお味噌汁。もちろん手伝った。というかだいたいオレ。唐揚げの下味の漬け込みは母さんがやっててくれたけど。ポテサラのじゃがいもマッシュするだけで筋肉痛確定です。体力ほしい。


 ほうれん草のおひたしって茹でるとき塩茹でにするんだけど、これは浸透圧が関係しているみたい。一度真水で茹でたらめっちゃ緑色が抜けたしえぐみも残っていて、一見無意味に見えることでもきちんとやらないと駄目なんだなって認識させられた。人間は失敗から成長する生き物なのです。


 なお、なんか色が薄くてえぐかった茹でほうれん草はバターで炒めて美味しく頂きました。バターは偉大。


 唐揚げを揚げる油の温度は180度がいいらしい。しかし正直見分けがつかない。母さんは菜箸を油に入れた時の泡の出方でわかるって言ってたけど、なるほどわからんってかんじ。


 これが150度って言われたときと、これが180度って言われたときの違いがさっぱりわからなかった。今回も温度管理は母さん任せ。料理用温度計があるといいかもね。


 揚げ方も教わった。下味をつけた鶏もも肉を溶き卵にくぐらせてから片栗粉をつけて180度の油の中へ。鶏肉を入れることで油の温度が下がるけど、火を強めたりはしなくていいらしい。しばらくすると鶏肉が浮いてくるので、そこで火を弱める。中火のままにしていると、火が通りきる前に焦げてしまうんだそうだ。


 1分半ほど揚げたら一旦油から引き上げて4分ほど休ませる。この間に余熱で中まで火が通るんだって。その後もう一度180度の油で30秒くらい揚げると、オレでもわかるくらい衣がカリっと仕上がるのだ。フライドポテトは二度揚げすると美味しくできるって聞いたことがあったけど、唐揚げも二度揚げがコツだったとは。


 ほとんど母さんの指示のおかげだけど、結構美味しく揚げられたと思う。つまみ食いした揚げたての唐揚げは、カリカリしててジューシーで、手前味噌ながら良い出来だ。これを一人でやれるようにならないとなあ。


 唐揚げのお肉は揚げる前のものがそこそこ残ったので明日のお弁当に使わせて貰うことにした。タレに漬けたままだと味が濃くなりすぎるしパサパサになるってことで、別の容器に移してから冷蔵庫へ。


 お味噌汁は、いつも思うけどだし入り味噌便利すぎでしょ。昔は煮干しとか昆布でダシから取ったって母さんが言ってたけど、楽できるところは楽しないと。味に変化が欲しいときは別のお味噌を入れてだし入り味噌主体の合わせ味噌にするといいんだって。


 自分でも意外なんだけど、料理してるの楽しいんだよね。これは何にでも言えると思うんだけど、今まで出来なかったことが出来るようになっていくのがとにかく楽しいんだ。母さんも、褒めるべきところできちんと褒めてくれるので悪い気がしない。オレは褒められて伸びるタイプだし。


 父さんはまだ帰ってきてないけど、いいタイミングで帰宅した姉に合わせて母さんと3人でお夕飯。姉は何故か生徒会長なんてのをやってるらしく、生徒会の業務次第で今日みたいに帰宅が午後7時頃になることがある。正直人選ミスだと思うのだけど、大丈夫なんだろうか生徒会。


 オレが心配してもしょうがないことではあるんだけど、心の中で空に向かって謝っておく。うちの姉がいつもすいません。もっとも、実際の働きぶりとか全く知らないんで、実は本当に有能であってもおかしくはない。


 姉はたしかにトラブルメーカーだ。けれど基本的に、何をやらせてもそつなくこなしてしまう印象があるのも確かだ。あるものを除いては。


「姉は料理しないの?」

「お母さんに匙投げられたわ」


 母さんを見ると首を横に振っていた。処置なしか。


「響はお弁当まで作るって言い出したのにねえ」

「ふうん」


 姉の目が細められた。獲物を見つけた肉食獣の目だ。母さんも余計なこと言わないでほしい。抗議の意味を込めて睨みつけるもどこ吹く風だ。


「いいんじゃない? あんた料理上手になったし、いいアピールになるんじゃないの?」

「だから和人とはそういうんじゃないってば」

「別に、誰にアピールとは言ってないんだけどねー?」


 墓穴を掘った。ここ数日、ちょっと意識しすぎかもしれない。とは言ってもあれだけいろいろあれば意識してしまうのも仕方がないだろう。いや、これだいたい姉のせいじゃん。


「まあ、実際のところは日頃の感謝を込めてとかそんなんなんでしょ」

「……うん、まあ」

「いいのよそれで。どうして感謝の気持ちを表そうって思ったのか、そっちのほうが大事だから」


 姉は唐揚げを一口つまんでから、やや芝居がかった口調で。


「いろいろと良くしてもらってるのに、自分は何も返せてない。何かやってあげられればいいのに。なんて考えたんでしょ」


 確かに……確かに今日はそんなことばかり考えていた。毎日駅まで自転車で送るだけでも大変だと思うのに、それ以外にもいろいろと気を使ってくれている。それに気がついてしまえば、何か恩返ししてあげたいと思うのは当然じゃないか。


「……おかしい?」

「いやぜんぜん普通のことよ。それってつまり、自分と居ることで得られるメリットを提示したいと思ったってことなの」

「メリット?」

「そう。メリット。自分と居るとこんな得がありますよって」


 なんとなく言わんとしていることはわかる。人との関係はギブアンドテイク、つまり持ちつ持たれつの関係が望ましいと思う。一方が恩恵を享受するだけの関係なんて上手くいくはずがない。


 だから、今は支えられてばかりだけど、いつかは支え合えるようになりたいんだと思う。正直いつかなんて、そんな先のことはよくわからないしピンと来ないんだけど。


「要するに、あんたは……」


 姉の箸が空中をふらふらと彷徨う。行儀悪いな。ポニーテールのおばあちゃんっ娘がいたら説教始めそうだ、なんてことを思いながら姉の言葉を待つ。


「……そのまま言うと意固地になりそうね……」


 不意に動きを止め、気になることをつぶやいてから、姉は楽しそうに笑って。


「要するに、あんたは嫌われたくないって思ったんじゃないの?」


 箸でオレのことを指差したあと、半分になった唐揚げを口の中に放り込む。


 ……軽い違和感を感じた。アイツはかけがえのない親友だ。嫌われたくないと思うのは当然のことだろう。なんでわざわざそんなことを?


 オレがその違和感の原因に気がつく前に、姉は言葉を続ける。


「なんとも思ってないなら、嫌われたくないなんて考えないもの」


 そうなんだろうか。誰だって嫌われたくないものだと思うけど。わざわざ嫌われたいと思ってるような人はそう居ないはずだ。できることなら好かれたい、好印象を持たれたいと考えるのが人間だ。


 箸を止めて首を傾げる。普通の考えだよね、これ。


「なんで嫌われたくないと思ったかは……自分で考えなさいな」


 片栗粉を使っても、唐揚げと言い張れば唐揚げです。溶き卵使うと衣がつけやすいですし、ジューシーに仕上がります。

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