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閑話 5-3.棚上げ、もしくは問題の先送り

 和人の部屋に戻ると、そのままベッドにぶっ倒れた。


 仰向けにひっくり返ってみれば、やけに眩しい蛍光灯と、心配そうなアイツの顔が目に入る。


「大丈夫か? 顔色悪いぞ?」


 はたして自分は大丈夫なのか、よくわからなかった。


 だけど病気でないことは間違い無くて。そうなればやはり、覚悟の問題になるのだろう。


「オレ、もうダメかも……」


 呻くように、そう口にする。


 いつかは生理が来ることくらいわかっていたのにこの有様。物理的なしんどさよりも、自分の体が中身まで女の子に作り変えられていることを、自覚させられたのがきつかった。


「もうダメって、一体何があったんだ?」


 心配してくれるのはありがたい。とはいえ、気軽に相談してくれよ、なんて続けられるとちょっとカチンと来てしまう。こっちからしてみればアイデンティティの危機なのだ。


 ……いっそのこと全部ぶちまけてくれようか。


 そう考えると、途端にそれが魅力的な選択肢に見えてきた。コイツに相談して失敗だったことはあまり無い。大事なところでポカするのには目をつむろう。


 ベッドの上、正座をして向き直る。


「……パンツに血がついてた。たぶん初潮ってやつだと思う」


 和人がピシリと動きを止めた。


「何だか錆びた鉄が雨に打たれたみたいな臭いがしてさ」


 赤くなって青くなって赤くなって。親友の顔色が信号みたいに変わるたび、表情がどんどん消えてゆく。


「怖くなってすぐ履き直しちゃったけど」


 無表情のまま立ち上がると、和人はドアに向かい、それから立ち止まった。大きく肩を落として力無く佇んでいる。今まで見てきた中で一番情け無い背中だった。


「和人?」

「ちょっと消しゴムが切れててさ。買いに行かないと」

「……………………和人?」


 さすがにその言い訳には無理があると思うのだ。


「…………おばさんに相談した方がいいと思う」


 絞り出すようにそう言うと、和人はあぐらをかいて座り込む。こちらからは見えないが、眉間のしわが大変なことになっていそうな気がした。


 気軽に相談した結果がこれである。





「というわけでさ。和人に相談しても役に立たなくて」

「なんて酷いことを……」


 軽く事情を説明すると、母さんは沈痛な面持ちで俯いた。どこかで見たことがあると思ったら、ドラマのご臨終告知シーンの役者さんそのままだ。


「だって、相談しろって言ったのは和人だよ?」

「あんたのその、和人くんへの異様な信頼はなんなのかしらね」


 リビングにはオレと母さんの2人だけ。テレビの中で芸人がよくわからないネタを披露しているのを、頬杖ついて眺めつつ返事をする。


「女にはわかんないんだよ。男の友情は」

「あんたは女の子でしょうに」


 母さんは椅子に座ったままテーブルの上の煎餅に手を伸ばした。前傾姿勢になっても全く胸があるように見えないあたり、遺伝的要因は深刻である。


「まだ諦めてないの?」

「…………心は折れてない」


 実はさっき折れそうになったのは置いといて。


「まあいいわ。生理用品とかは、とりあえず奏の買い置きを渡しておくけど、次からは自分で買いなさい。お金は出してあげるから」

「まって?」


 聞き捨てならないことを言われた。


「……自分で?」

「そう、自分で」


 ミー? と自分を指差すと、母さんは当然とばかりにうなづいて。


「身体に合わないものを使うとかぶれたりするから、いくつか買って試してみるといいわ」


 なにやら難しいことを言っておられる。


「……つかぬことをお伺い致しますが、もしかしていろいろと種類があったりするのでしょうか?」

「昼用と夜用、羽つきと羽なし、それぞれ長さ違いに厚み違いが基本かしら」

「カスタマイズ項目が多すぎる!?」


 チュートリアルから殺しに来ないで頂きたい。そういうのはフロムソフトウェアだけで十分だ。


 頭を抱えるオレを見て、母さんがおかしそうに目を細める。その表情はどこか感慨深げに見えた。


「……それにしても、あんたももうそんな歳になったのね。おめでとう。今夜はお赤飯かしら?」

「嫌がらせ以外の何者でも無いよね?」


 この風習の負の連鎖は断ち切るべきだと思うのだ。


「本当にお祝いしたい気分なのよ。2年前、一度は覚悟したくらいなんだから」

「それは……」


 喉まで出ていた文句も引っ込んでしまった。


 だって覚えているのだ。この病気で女の子になった直後の、衰弱したオレを見つめるそのまなざしを。ずっと握られていた手の温もりを。


 危なかったと後になって聞かされた。何日も意識が戻らなかったのだから無理もない。覚悟とは、つまりそういうことだ。


「あんたが男の子でも女の子でも、元気に育ってくれればそれでいいの」

「…………うん」


 なんだか自分が、とても小さなことで悩んでいた気がして申し訳なくなってくる。


「いいじゃない。成長してる証なんだから」

「……うん」

「最近は女の子らしくなって来ているし、これをきっかけに自覚が付くといいのだけど」

「……うん。えっ? いや、ちょっと待って」


 思わずソファーから腰を浮かせてしまった。


「……女の子らしい?」


 もう一度自分を指差して首を傾げる。


「女の子はかわいいと言われれば言われるほど、女の子らしくなるものなのよ」

「な」


 心当たりが多すぎた。


 かわいいと言われて喜んで。着飾ることにも抵抗が無くなって。努力まではしていないけど、人並みに胸が欲しいとも思っている。体力は付けたいけれど筋肉は付けたくない。部屋には妙にもこもこした物が増えてるし、甘い物は別腹というていたらく。


「……そんなはずは」


 じくりと、疼くように痛む下腹部に手を当てる。


 あきらめは悪い方。なのになんだかもう手遅れのような気がしてならなかった。おだてられ、木を登りすぎた豚は一体どこへ向かうと言うのか。


「ま……」

「ま?」

「……前向きに、善処します」


 豚さんは、そろそろ成層圏を突破しただろうか。





 一体どこで間違ってしまったのか。


 女の子になってから1年と半年が過ぎ、スカートのまま胡座をかくようなヘマも減ってきた。最初は嫌でたまらなかったかわいらしい格好も、自分に似合うものを探すと自然とそうなるのだから仕方ない。


 奇異の目で見られるのは嫌だから立ちふるまいも勉強したし、その甲斐あってかほとんど疑われることなく、クラスの女子に紛れ込めているわけで。


「……何も間違ってないよね?」


 エアコンの効いた自分の部屋で、湯たんぽをお腹に抱えてベッドに転がりひとりごちる。


 完璧にカモフラージュ出来ていたはずだ。普通の女の子として。


 なのにこの違和感はなんだろう?


「…………女の子として?」


 そもそも自分は、身体はともかく心は生粋の男の子であるはずだ。なのにどこを切り取っても女の子らしく見せる努力しかしていないのは気のせいか。


「必要に迫られてなのは間違い無いけどさ」


 うー。とか、あー。とか、言葉にならないうめき声を上げながら寝返りを打つ。湯たんぽを抱いてあっちへこっちへゴロゴロと。お腹を温めるだけでもだいぶ楽になるからびっくりだ。子宮の血流が良くなって生理痛に効くらしい。


「子宮……」


 なんだかもう、言葉の響きにすらどんよりとして来るけれど。大丈夫。まだ大丈夫。根っこの部分は男の子。諦めない限り試合終了では無いのである。


 のそのそと湯たんぽをお腹の下に、亀のような姿勢をとると、枕元のスマホが目に入った。


「……アイツに相談しようかな」


 とはいえさっきTKOしたばかりなのが気になるところ。あれで結構傷つきやすいところがあるから難しい。後でフォローしておいた方が良さそうだ。


 スマホに充電ケーブルを刺してから、もう一度ぱたりと横になる。


 ここまでいろいろと考えてはみたものの、結局のところ何が間違っていたのかわからなかった。


 一見正解に見える選択肢が、全部罠だったとでも言うのだろうか。かといって他に正解があったとも思えない。それなりに慎重に、確実にやってきたはずなのだ。


 目指したのは平凡な日常。たしかにそれは達成したと言えるだろう。


 じゃあ、代わりに差し出したのは?


「……うん。まあ、そうだよね」


 結果だけ見れば、少なくとも間違ってはいないのだ。代償は、ちょっとだけ大きかったけれど。


「ああ、もう! それがどうした! こちとら物理的に女の子になる事件だって乗り越えて来たんだぞ」


 宇宙最強の台詞でもって、問題を棚上げしておくことにした。未来の自分がきっとなんとかしてくれる。こうやって人は少しづつ大人になって行くのだろう。


「寝る! おやすみ!」


 羽付き夜用スリムの存在感は、気にしていたら負けなのだ。


 心の棚が、また増えた。





 これはまだ、アイツの前では自分をオレと呼べた頃。


 何かが変わり始める前。


 ――恋が始まる前。





 この後、話を聞きつけた姉に捕まって、トラウマを植え付けられるのは、また別のお話である。





 いつの間にか2000ポイント超えてました! ありがとうございます。


 本編でも触れてますが、響ちゃんの得意技は問題からのバックダッシュです。んでもってツケを払う。


 湯たんぽは電気だとコードの取り回しが大変なので普通のがいいです。

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