閑話 5-2.First Period
結局次の日は学校を休むことになった。
平日なので当然姉は高校で、父さんは会社に、母さんはパートに出ていて家には自分一人だけ。熱は37度5分。なんとも微妙なところである。
閉め切って薄暗い部屋の中、エアコンの音がやけに大きく聞こえた。毛布を引き寄せるように身じろぎすると、ベッドの軋む音がまるで足音のように聞こえて不安になる。家には他に誰も居ないのに。
幽霊? 泥棒? そんなバカな。
否定しながらも、気がつけば息を潜めて縮こまっていた。
一度不安に思うと止まらなかった。際限なく膨らんで、オレを押しつぶそうとのしかかる。くだらない妄想だ。毛布を頭から被ってぎゅっと目をつむる。体調が悪いから弱気になっているだけ。寝てしまえばいい。
「…………」
しばらく頑張ってはみたものの、残念なことに眠気は品切れ、入荷の予定もわからない。そもそも半日以上は寝ているわけで。人間は寝溜め出来るように作られてはいないのだ。
「…………ダメか」
とにかく。ここに居たら気が滅入ってしまいそうで、居ても立っても居られなかった。
もぞもぞと起き出して卓上鏡を覗き込む。くしゃくしゃの長い髪に、ちょっと顔色の悪い少女が不安そうな顔でこちらを見つめていた。
鏡を見るのは好きじゃない。それでも身だしなみは大切だ。ブラシで軽く髪を整えて、無駄にフリフリしたピンクのパジャマを脱ぎ捨てると、ストレートな黒髪にこれまたストレートな体型が鏡に映る。空気抵抗は低そうなのに、短距離も長距離も苦手なところが玉に瑕。
「……ワンピースでいいや」
上下の組み合わせを考えるのもめんどくさい。頭からかぶって髪を外にかき出せば、それだけで立派に化けるのだから楽でいい。色は白。パジャマもワンピースも母さんの趣味である。
「さて……」
たったこれだけでも体を動かせば、気持ちも上向いて来るもので。
相変わらずお腹にスリップダメージが発生してるけれど、とりあえずそれは置いといて。
安眠を求めて移住の旅へ、いざ出発。
「……まあ、行くあてなんてここしか無いんだけど」
ドアtoドアで徒歩たったの20秒。
自分の家のとなりのとなり。家族ぐるみの付き合いを、産まれたときから続けている親友宅へ、お邪魔してみることにした。
子供の頃から何かあるたび、ここに逃げて来るのがお約束。いたずらが見つかったとき。成績が下がったとき。それから……心細くなったとき。
「……そんな理由で来るなんていつぶりだろ?」
いたずらはあまりしなくなった。怒られるような成績は取らなくなった。そして、昔より少し大人になった。
もっとも、2日に1回は来ているのだから、理由なんてもはや飾りみたいなものなのだけど。
ポーチから合鍵を取り出して、音を立てないように鍵穴へ。ゆっくりと鍵を開け、静かに、用心深くドアを引き開けてゆく。
「完全に不審者だよね……」
テレビの音が聞こえることから察するに、和人のお母さんはどうもリビングに居るらしい。学校を休んでいる手前、ここで見つかるのは避けたいところ。帰りはどうとでもごまかせる。
人1人分の隙間から結城邸へと滑り込む。ドアを閉めるときにわずかに音を立ててしまったが、おばさんが気付いた様子はない。
「お邪魔しまーす……」
もはや不法侵入も慣れたものである。
ローファーを脱ぎ、靴箱の影へと足を伸ばして押し込むと、スニーキングミッションを再開する。
1階に用は無い。玄関の目の前の、中央を踏むとギシギシと音を立てる階段の端っこを、猫のような足どりでのぼり切れば、すぐ左手の和人の部屋が目的地。安眠の地は目の前だ。
「……なんだかダメな才能が開花しつつある気がする」
あとはダンボールを使いこなせれば一人前。さすがにそんな予定は無いけれど。
和人の部屋に入り込み、しっかりとドアを閉める。鍵の入ったポーチをテーブルの上に置いてからエアコンのスイッチを入れると、そのままベッドに寝転がった。
薄っぺらい掛け布団を頭から被り、横を向いて丸くなるだけで気持ちがすっと軽くなる。いろいろなモヤモヤが溶かされたみたいに消えてゆく。お腹はじくじくと痛むけど、まあいいかと思えるのだから不思議なもので。
「……なんでこんなに落ち着くんだろ?」
風水的なものなのか、家自体の雰囲気か。それともアイツからマイナスイオンでも出ているのだろうか。
いくら親友とはいえ、あれだけ長く一緒に居ればうんざりしそうなものなのに、それが無いのだから大したもの。パーティに編成するとリジェネ効果があるタイプ。
気持ちが落ち着いてきたからか、自然と欠伸が漏れてきた。眠気はどこかに在庫が隠れていたようだ。すぐ売り切れる対空昇竜にも見習って欲しいものである。
風邪が治ったら心ゆくまで対戦しよう。虚を突いた飛びへの対応はトレモでは培えない。ここ数日ゲーセンにも行けてないし。ていうか、3日行かないだけで常連の間に死亡説が流れるのはどうなんだ?
……バカだからな、アイツら。
下らないことを考えつつも、もぞもぞと体を動かし枕の場所を合わせると。
おやすみなさい。口の中でつぶやいて目を閉じる――。
扉の開く音が聞こえた。
そのままうとうとしていたら、何かがお腹に直撃した。
「ぐえぇ……」
「うおっ!? なんだ!?」
寝ぼける暇もありゃしない。
掛け布団を跳ね除けて見てみれば、何かを投げた格好で固まっている親友と、ちょうどお腹の上あたりで布団にめり込んだ学生鞄。
「重いわ!」
ふんぬ! と気合を入れて鞄を横に押しのける。教科書全部乗せの鞄はもはや凶器のようなものである。
「なんか不自然に盛り上がってるとは思ったんだよ」
「じゃあなんで鞄投げたのさ?」
「すまん。つい、いつもの癖で」
「……せっかく人が気持ち良く寝てたのに」
恨み言をこぼしていたら、和人が何かに気付いたようだ。鞄に手を伸ばした姿勢のまま急にこちらを向いてきた。
「おい病人」
「……はい?」
「そもそもなんでここで寝てるんだ?」
「……マ……マイナスイオンを求めて?」
わけがわからないという顔をされた。
「空気清浄機なら無いぞ?」
「うん、ほら。たぶん和人から出てるんだよ。こう、ぶわーって」
「なにそれ怖い」
雑な返しをしつつ和人は鞄を撤去する。そのまましばらく考え込むと、袖口を顔に近づけてすんすんと鼻を鳴らし始めたが、マイナスイオンは匂いでわかるものなのだろうか。
「む……?」
下腹部に違和感を感じた。
「ごめんちょっとトイレ」
いそいそとベッドから抜け出して、部屋を出ようとしたところで背後から声がかかる。
「漏らすなよ」
「おまえ絶対あとで泣かす」
トラウマを刺激するアホに仕返しを誓いながら廊下に出ると、お腹を押さえたままトイレへと一直線。
なんとなく嫌な予感がするのは気のせいか。
というかパンツがなんだかごわごわしているのだ。
便座を下ろして一息ついて。ワンピースをたくし上げ、肘で挟んで固定すると、一気にパンツを引き下ろした。
「……………………うわ」
思わずちょっとよろめいてしまった。
クロッチのあたりに、赤茶けた染みのようなもの。それから少しだけ、錆びた鉄のような臭い。
――ここ数日の体調不良はこれのせいか。
変化はいつだって唐突で、自覚や覚悟が追い付く前にやって来る。
気分だけは男の子のつもりだった自分に、容赦なく現実を見せつけて。
初回は手加減されてます。忘れた頃にやってくる2回目、3回目が本番だと思う。血祭り。