閑話 5-1.微熱
中学2年生夏の前日譚です。
飛び込み台から、学校指定の水着に身を包んだ生徒たちが飛び込んでゆく。
中には悪ふざけをするヤツも居て、オレの居るプールサイドまで水飛沫が飛んで来る。
今日は中学2年生になって初めてのプール。4時間目の体育なんてだるい授業も、水に入れるとなればそれなりに盛り上がっているようだ。
もっとも、自分は見学なわけですが。
ベンチに腰掛けて、少し湿っぽくなった制服のブラウスに眉を顰めていると、プールから上がった14年物の親友が近づいて来るのが見えた。
同じクラスの結城 和人は、文字通り生まれたときからの親友だ。同じ病院で1日違いに生まれ、以来ずっと変わらずに友達を続けている。
運命の悪戯としか表現出来ないような病気で、オレが男の子から女の子になってしまったときも、コイツは何も変わらなかった。きっとオレたちは、これからも変わらず親友だ。
……そしてまあ、昔からお節介なヤツなのだ。
「具合悪そうだが、大丈夫か?」
「お腹が痛い。頭が痛い。気持ち悪い」
「お、おう……」
一気にまくし立ててやる。気圧されたようにたじろぐ和人に、汗拭き用のタオルを押し付けて一言。
「水飛ばさないように」
「はいはいわかってるって」
水泳キャップを外して頭を拭き始めた和人を眺めつつ、じわじわと痛みを増すお腹に手を当てる。気休めかも知れないが、それだけで少し楽になったような気がする。
「……風邪引いたかなあ」
思わずボヤいてしまった。
「夜更かしし過ぎじゃないか?」
首のあたりを拭いながら、和人がオレの独り言に返事をする。いつもながら耳ざといヤツである。
「いやいや。買ったからにはクリアしないとゲームに失礼だし」
なんでフロムソフトウェアは毎回プレイヤーの心を折ろうとして来るのだろうか。
「ていうか。和人もいっしょに夜更かししてたのに、なんで平気なんだよ……」
「体力が違うだろ」
上半身だけ軽く拭いて、夜更かしの共犯が隣に腰を下ろす。いつも保健室のお世話になるのは自分だけで、和人は多少無茶してもダルそうにすらしないのだから不公平だ。病弱な体が恨めしい。
「こう暑いとプール、入りたかったな……」
プールサイドに跳ねた水が、日光に焼かれたコンクリートに熱せられ湯気を立てた。その先にあるプールで戯れるクラスメイト、主に女子の水着姿をなんとなく眺めてみたりして。
「……委員長って、着痩せするタイプなのかな?」
「高橋以上にけしからん体してんなー」
「並べたら高橋さんの方が迫力あるよ。女子更衣室常連のオレが言うんだから間違い無い」
「……そりゃ、おまえは常連だろうよ」
何言ってんだコイツ、と言わんばかりの視線をスルーして高橋さんの方を見る。彼女は男子数人が組み合って騒いでる辺りを眩しそうに眺めていた。誰か気になる相手でもいるのだろうか。
……それにしても。
2年前までは小学生だったはずなのに、あのグラビアアイドルもかくやと言わんばかりのしなやかな肢体は何なのか。顔には歳相応のあどけなさがあるものの、そのアンバランスな危うさが逆に魅力になっていると、バカな男子が力説していたのを覚えている。
「このクラスの女子って、何気にレベル高いよね」
「一番レベル高いヤツが何言ってんだか……」
「……そうかな?」
流すつもりが微妙に得意げになってしまった。
何だかんだで褒められると嬉しいのがまた困る。浮世離れした可憐な美少女なんて評されて、うえっと思ったのも最初だけ。豚もおだてりゃ木に登るのだ。その気にさせる周りが悪い。
「今年の文化祭ミスコン出てみたらどうだ?」
「勝ち確とかつまんないでしょ」
なお、女の子同士の会話ではこのようなドヤ顔はした瞬間にアウトである。謙遜出来ないヤツは痛い目を見る。
ふんすと鼻を鳴らし胸を反らしたオレを一瞥すると、和人は小さく首を横に振った。
「……水着審査が無ければな」
「あ? 誰が上から下までぺったんこだ。泣かすぞ」
「そこまで言って無いんだよなあ」
立ち上がってシャドウボクシングの真似事をしたら、さらにお腹が痛くなった。ちくしょう。
ついでに立ちくらみのような、ちょっとフラつく感覚に、思わず渋い顔をしてしまう。
「…………なんだろう、これ」
「ほんとに辛そうだな」
この身体になって1年半。出来ることも出来ないことも、もちろん体調についても、まだまだ把握できていないことが多すぎる。限界は挑戦しなければわからないものなのだ。
「やっぱ体力付けるためにも、もうちょっと肉を増やした方がいいんじゃないか?」
「……うん?」
コイツがあまりに簡単に言うものだから、思わず真顔になってしまった。
自分だってすぐ寝込むひ弱っぷりを、どうにかしたいとは思っているのだ。
「食べすぎるとすぐ気持ち悪くなるのは、この身体のバグなんじゃないかと疑ってる」
「……さいですか」
真面目な話。パッチはいつ配布されるんでしょうか?
家に帰ると、すぐに体温を測ることにした。
思えば3日ほど前からどこかおかしかったのだ。
「アイスとかないかな……」
制服のブラウスをはだけさせ、脇の下に電子体温計を挟んだまま冷凍庫を物色する。ひんやりとした冷気が心地よい。
「お前、なんて格好を……」
荷物を一旦家に置きに帰っていた和人が、戻って来るなり呻くように声を上げた。
「お帰り。ガリガリくんあるよ。ガリガリくん」
「……………………ああ。なんかもう今更だったな」
眉間を指先で押さえながら、リビングのソファーに腰を下ろす。親友は何やらお疲れのご様子だ。
「で、どうするの?」
「…………ガリガリくんは貰う」
どうしてそんなに難しい顔をしているのだろう?
「そういえば、体調はどうなんだ?」
「今体温測ってる。もうちょっとで鳴ると思う」
ビニール袋に入ったままのアイスを和人にパスすると、自分もガリガリくんにかじりつく。やはりソーダ味が至高だ。ナポリタンは攻めすぎてリングアウト気味だと思うのだ。コンポタは許す。
椅子を引き、座ろうとしたところで体温計からのアラームに動きを止める。
「たぶん大丈夫だとは思うんだけど」
「お前の大丈夫は信用ならん」
ひどい言われようである。
若干イラっとしたせいか、雑に襟元から手を突っ込んで体温計を取り出すと、そのまま和人に見せつける。
「ほら! って、なんで目を逸らしてるのさ?」
「今日はいつもより試されている……」
ぶつぶつと文句を言いながらも親友は体温計を手に取って、ほんの少しだけ残念そうな顔をした。
「37度3分。微熱だな」
「……あれ?」
予想と違う結果に首を傾げてしまった。
目をぱちくりさせつつ、とりあえずアイスを一口。
「ほふなははな」
「物を咥えたまま喋るんじゃない」
今日のコイツはお説教モードであるようだ。いいヤツなんだけど、たまにめんどくさいと思うことがあったりする。今日とか。
「大人しく薬飲んで寝とけ。いつもここからあっという間に39度とかになって寝込むんだから」
「……そうしておく」
今度はオレが難しい顔になってしまった。
いつもの、風邪の引きはじめの重だるさとは違っただるさで、ただの寝不足だと思っていたのだけど。
……なんだか妙に不安だ。
お待たせしました。響ちゃんがお赤飯を炊かれるお話です!
あの悪しき風習は断ち切らねばならぬ(戒め