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閑話 3-10.思い出したこと

「なんかこの自転車、すげえガタガタすんですけど?」

「……人間も自転車も、空を飛ぶようには出来ていないんだよ」

「だいたい把握した」





 今日は本当に、いろいろなことがありすぎではないかと思うのです。


 もういい加減何もないと思っていたのに、どうやらそれすらも甘かったようで。


 気がつけば日付が変わるまで一時間を切っていた。


 普段ならおじさんもおばさんも寝ている時間。なるべく音を立てないように立ち入った和人の家のキッチンで、二人して思わず顔を見合わせる。


「空腹にカレーの匂いって、本能にダイレクトに来るよね……」

「暴力だなあ……」


 隠し味にチョコレートを入れたら完成です。


 テーブルにはおばさんの字で、そんなメモが残されていて。思わず軽く吹き出してしまった。


 ああ、もう。ほんとにみんなお節介なんだから。


 事情はコイツから聞いたのだろう。子供たちがお腹を空かせて帰ってくる。だからすぐに食べれる物を。バレンタインのチョコを渡せなかったあの子のために、出来ればチョコレートを使うもの。きっとそんなふうに考えて、たどり着いた結論がこれだったのだ。


「だからって、カレーはないよね」


 声を殺して笑っていたらお腹が痛くなってきた。ちょっと前まで打ちひしがれていた反動なのか。人間、何がツボに入るかわからないものである。


「…………馬鹿な」


 コンロの上のお鍋の蓋を持ち上げて、和人が苦い顔をする。どこかで見覚えがあると思ったら、残り一ドットから逆転負けしたときの顔だった。何と勝負しているんだろう?


「厚意を無駄にしたら悪いし、食べよっか」

「バレンタインチョコがカレーに化けた……」

「そんな情けない顔しないでよ。何か作ってあげるから」


 チョコレートフォンデュの気分ではないけれど。ビジュアル的に良くない被りかたをしているし。


 コンロに火をつけて、冷えた指先を炎にかざす。そのまま手をニギニギしていると、和人が背の低い脚立を持ち出して椅子がわりに腰掛けていた。膝の上に肘を乗せ、頬杖をついたままこちらを眺めている。


 カレーが温まるには、まだしばらくかかるだろうか。


 一息ついてから、そういえばとエアコンの電源を入れに向かおうとしたところ。


「なあ、俺ってそんなに頼りないか?」


 不意に背後から聞こえてくる、ちょっと沈んだ様子の真面目な声に、慌てて首を横に振る。


「ううん。そんなことないよ」

「……じゃあ、どうして」


 和人はそこで言葉を切った。何かを言おうとして飲み込んだように思えた。どんな葛藤を抱えているのかはわからない。でも、たとえ途中までであっても、言わせたのは自分だ。


 すぐには答えられなかった。


 あんな夜更けに一人で探しに行くなんて、普段の自分では考えられないことだ。何かあったらとりあえず、一声かけてから考えるのがいつものパターン。


 頼ってばかりではダメだと思った。甘えっぱなしはダメだと思った。


 ……でも、どうしてそう思ったのだろう? 誰かの力を借りることは、そんなに悪いことなのか。


 困ったらとりあえずで謝ってしまうのは簡単だ。だけど、和人はオレの答えを待っている。


 自分は答えを持っているのだろうか?


 …………わからない。


 わからないのであれば、感じたままに吐き出してみるしかなさそうだ。コイツに背中を向けたまま、何処か遠くへ視線を向けて。


「……たぶん、悔しかったんだと思う」


 言葉にしてみて初めて解ることがある。考えて口にしたわけでは無いけれど、たしかに自分は悔しかったのだ。羨ましかったのだ。


 振り向くと、少し驚いたような顔が目に入った。


「ごめん。たぶんじゃないや。悔しかったんだ。和人は一人で何でも出来るようになっちゃうし、自分だけ置いてかれてるような気がして」


 自分が知っている和人より、何時からだろう、ずっと逞しくなっていた。


「でもさ。男としては、やっぱり頼ってほしいんだよ」

「……男って、めんどくさいんだね」


 お前がそれを言うのか、という顔で返された。


「もっと上手くやれると思ってたんだ。子供の頃とは違うんだ。自分にも出来るはずだって」


 子供の頃との違いを証明したかったとはいえ、自転車でテイクオフしたのはやり過ぎだった気がしなくもない。あれで変な自信が付いてしまったのも不味かった。


「だからって、和人をはじめとして、母さんやおばさんたちを心配させるのはダメだよね」


 お鍋からポコポコという音が聞こえ出す。エアコンは後にしよう。蓋を取ると、おたまでゆっくりとかき混ぜてゆく。


「でも、悪いことばかりじゃなかったんだ。もっと大切な忘れ物、思い出すことが出来たから」


 すごく大事なことを忘れてた。何よりも大切なことを忘れてた。『何かを忘れそうになったなら、ここに戻って来ればいい』なんて、まさにその通りだったというわけだ。


『いっしょに悩んで、いっしょに考えて。一人では乗り越えられないことも、二人ならきっと大丈夫』


 あの夏の日に、夜の海でそう誓ったはずなのに。一人でなんとかしようと躍起になって、結局こうして迷惑をかけてしまっている。


 コイツと肩を並べられるようになりたかった。自分を誇れるようになりたかった。何処でボタンを掛け違えたのか。いつのまにか目的がすり替わっていた。


「……そっか」


 優しい声。


 お鍋を見ていたせいで、その表情はわからなかった。でも親友は、きっとまた緩い顔をしているのだろう。


「和人なんだかお父さんみたい」

「おとう……!?」

「いや。悪い意味じゃなくてっさ。あ、そこの袋から板チョコ取ってもらえる?」


 思い出したこの誓いを忘れないように。たとえ忘れてしまっても、カレーを食べれば思い出せるに違いない。ついでにチョコレートでも、たぶん思い出せると思うのだ。


 今日はいろいろと失敗ばかりだった。だからと言って世界が滅びるわけじゃない。明日も明後日も、これからもずっと毎日は続いてゆく。


 間違って、傷ついて、転がって、凹んで。それでも進み続けていれば、きっと理想は見えてくる。


 お鍋にチョコレートを一欠片。これもまた、目的のすり替わってしまった何かに違いない。ある意味とてもらしいと思えた。浮かんでくるのは苦笑いでしかないけれど。


 さて、デザートは何を作ろうか。





 カチャリ、と。玄関のドアが開く音が聞こえた。


 気を付けていても、少しは音を立ててしまうものなのだろう。私はシャープペンシルをノートの上に放り出すと、伸びをしてから席を立つ。


 部屋のドアを開け、廊下に出て一階の玄関を覗き込む。今まさに帰ってきたばかりの妹と目が合った。


「……なんだ、姉か。驚かせないでよ」

「お帰り、響。随分遅かったじゃない」


 目のあたりに泣き腫らしたような跡がある。何かあったのだろう。でも、その表情はとても晴れ晴れとしていた。


「なに? えっちでもしてきたの?」

「すぐそれ!」

「でも、泣いておいてその達成感みたいな顔でしょ? 痛かった?」


 茶化すように問いかけると、響は胡乱な表情でこちらを眺め。


「……やっぱり脳が膿んでるんじゃ?」

「失礼ね。だって今朝方、私を食べてって言ってたじゃない」

「聞かれてた!?」


 悲鳴のような声を上げる。


「正直ちょっと気持ち悪かったわ」

「ごふ……」


 今度は膝から崩れ落ちるのが見えた。からかうのはこのくらいにしておこう。やり過ぎてまたこじれるのも厄介だ。


「……それで、本当は何があったの?」


 妹は、しばらくうずくまったまま探るようにこちらを見ていたが、玄関のたたきに足を揃えて床に腰を下ろすと、やがて小さな声で語り出す。


「……一言で言うのは難しいんだけど、大切なことを思い出せたんだ」

「ふうん」


 あえて素っ気なく先を促してみる。


「なんでも一人で出来ないと、って思い込んでてさ。ずっと一人相撲してたみたい」


 苦笑いしながらも何処か嬉しそうなその声に、私は軽口を挟まずにはいられなかった。


「夜の相撲?」

「言うと思ったよちくしょうめ!」

「声大きいって。お母さん起きるよ?」

「おおう……」

「もう遅いわ馬鹿ども」

「鬼が出た!」

「よし、今から説教だ」


 この子は幸せになるべきだ。わけのわからないことに、弟から妹になったことで、肉体的にも精神的にも大きな困難を背負わされた。葛藤に苦しむ様子を見てきたのだ。だから、報われて欲しいと思う。


 笑顔を失ったこの子に、笑顔を取り戻させたのは幼馴染の男の子だった。私たちには出来なかった。出来たのかもしれないけれど、もっと時間がかかったはずだ。


 何時からだろう。妹が、彼をそれまでと違う眼差しで見つめるようになったのは。回りはすぐに気が付いたのに、本人だけが気付かない。


 ……いや。本当は気が付いていた癖に、必死に自分を欺いて。


 お節介とは知りながらも、口を出さずにはいられなかった。掴みかけた幸せを、零すところは見たくなかった。今はまだ、それが正解だったのかわからない。それでも日々くだらないことを真剣に悩み、喜ぶ様子を見れば、少なくとも間違いでは無かったと思うのだ。


 母さんに引きずられてゆく妹の背中に声をかける。


「よかったね」

「よくないよ!」


 姉の思いは、妹にはなかなか伝わらないようだ。





「おい、マジでやるのか……?」

「いいから黙って。行くよ!」


 昨日より、ほんの少し暖かい朝日によしと一つ頷いて。寝坊のため、お弁当の入っていないスリムな学生鞄をカゴの中に突っ込んで。和人を荷台に乗せたまま、オレは自転車を漕ぎ出した。


「おりゃああああああ」


 掛け声だけはご立派に、自転車がのろのろと加速してゆく。ペダルが重い。コイツは毎日こんなことをやっていたのか。


 フラフラと、自転車は危なっかしく揺れている。お腹に回された和人の腕に力がこもる。ややビビり気味の様子にカチンと来るが、考えてみれば無理もない。どうにも自分のバランス感覚は、どこかひび割れているようだ。


 ついでに、問題はバランスだけかと言われれば、もちろん筋力も足りないわけで。


「ごめん。これ上り坂無理」

「だから言っただろ? それじゃ公園の手前で交代な」

「無理だけど、行けるところまでは行くつもり!」

「絶対坂道の途中で止まるヤツだろそれ! 上り坂二人乗り発進は厳しいって!」

「そこから歩けばいいんじゃない?」


 いつものように、庭いじりをするおばさんの家の前を走り抜け。


「おはよう響ちゃん、今日も彼氏といっしょ……かい……?」

「あはっ。これヤバい。ほんとにガタガタしてる」

「すいません! この子たまにおかしくなるんです!」


 一人で悩むのはもうおしまい。確かめたかったから相談した。自転車は二人を乗せて走ってゆく。


 コイツだけではなく、自分も成長しているのだ。三年半前は全くと言っていいほど動かせなかった二人乗りの自転車も、平坦な道であれば走れるようになっていた。なんだ。やれるじゃん自分。


「周りの目が痛いんで、そろそろ勘弁して貰えませんか!?」

「上り坂チャレンジの後でね!」


 体重をかけてペダルを回す。坂の向こうの太陽に目を細める。


「さて、いっちょやったりますか!」





 まさかのクリスマス更新!


 また書きたい話が出てきたら更新再開するかもしれません的な不定期更新で行こうと思います。

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