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閑話 3-3.ケチのつきはじめ

 思ったほどの衝撃は来なかった。


 痛……くない? いや十分痛いんだけど、想像していたほどではないというか。結構な勢いで倒れ込んだはずなのに。


 さっきまでの喧騒はどこへやら、辺りはしんと静まり返っていた。言い争いも、それとは関係のない雑談も消え失せて。


「……………………う、あ……」


 うめき声を上げつつも、軽く頭を振って目を開ける。


 天井が見えた。年季の入った石膏ボードに、蛍光灯が規則正しく並んいでる。なんの変哲もない教室の天井だ。


 いまいち状況が掴めない。そうこうしているうちに誰かが悲鳴を上げ、それを皮切りに周囲の生徒が思い思いに騒ぎ出す。


「なんだ? なにが起きた?」

「人が倒れたみたい!」

「九重だ!」

「誰か巻き込まれてないか!?」


 やっぱり倒れているようだ。でも、怪我はしていないみたい? なんにせよ、わからないことが多すぎる。


「……いつまで乗ってんの」


 耳元で声が聞こえた。


「えっ、あれ? なんで?」

「いいからどいて。重いんだから」


 言われて慌てて、転がるようにその場から離れると、四つん這いのまま顔を上げる。


 目の前には尻餅をついたような格好で、こちらを睨みつける女子生徒。


 ……もしかして、下敷きにしてた?


「ご、ごめんなさい!」

「いや。それはいいよ。あたしが勝手にやったんだし」


 ぶっきらぼうにそう言うと、彼女はふっと表情を緩ませて。


「でも良かった。大したケガは無さそうで」

「……ええと」


 それってつまり、助けてくれたってことでいいのだろうか。


 とりあえず立ち上がろうとしたところで、和人が血相を変えてやってきた。髪はボサボサ、制服はヨレヨレ。ずいぶんと手荒な歓迎を受けていたようだ。


「響! すまん、動けなかった。怪我はないか?」

「あ、うん。大丈夫だから、とりあえず手を借してくれる?」


 和人に手を引いて貰って立ち上がる。大丈夫。もう特に痛みは無い。


「……大丈夫そうだな。長谷川も、怪我は無いか?」

「自分で立てるから」


 そう言うと、彼女――長谷川さんは、和人の差し出した手を取ることなく起き上がる。あちらも怪我は無さそうだ。難しそうな顔をして、髪を手櫛で整えたり、制服の埃を払ったりしている。


 二人とも無事なことが確認されて、教室にはほっとしたような空気が広がっていた。ちょっと前まで揉めてたクセに。こういうのも怪我の功名と言うのだろうか。


「長谷川さん!」


 席に戻ろうとしているところを呼び止める。


 正面に立つと、背の高さは同じくらい。


「なるほど。その2つのクッションが受け止めて……」

「ぶつよ?」

「ひえっ」


 場を和やかにしようとしただけなのに!


 空気を読むのって難しい。コホンと一つ、咳払いをしてからやり直す。


「ありがとう、でいいんだよね? 怪我しててもおかしくなかったから」

「……ただの自己満足だって。余計なことしなくても、怪我しなかったかもしれないし」


 その怪訝そうな顔は、さっき外した冗談のせいだったりするのでしょうか。


「それでも。ありがとう、長谷川さん」

「……ん」


 照れくさそうにそれだけ言うとそっぽを向いて、彼女はそこで何かを見つけたようだ。教壇の横に歩み寄り、それを拾って戻ってくる。


「大切なんでしょ?」


 こちらに向かって突き出したのは、赤いチェック柄の箱が入った紙袋。


「……あ!」

「失くさないようにね」


 両手でしっかりと受け取った。


「……型崩れとかしてないかな」

「……さすがにそこまで面倒見切れないわ」


 箱に傷や凹みも無いし、大丈夫だと思いたい。


 そこでチャイムが鳴り、休み時間の終わりを告げる。騒ぎも、義理チョコも、何もかもうやむやに、それぞれ自分の席へと戻ってゆく。


 隣のクラスの名も知らぬ男子も、面白くなさそうに教室を後にして。入れ替わりで入ってきた世界史の教師(46歳男性)が教壇を見て、驚いたように声を上げる。


「なんだこのチョコレートは。私にくれるのか?」


 そういえば、配り途中だった気がした。





 そして、昼休みがやってきた。


 今日はお弁当を作っていない。作れないわけではなかったものの、荷物が多くなりすぎる。チョコレートだけでも重たくて大変だったのだから、英断と言えるだろう。


 久しぶりに来た学食は、前よりもちょっと混雑していた。とはいえ、席の確保に困るほどではなさそうだ。


 和人と二人で列に並ぶ。相変わらずボロっちい券売機が、人影の間からチラチラと姿を見せる。今にも壊れそうに見えるのに全く壊れないあたり、執念のようなものを感じるのは気のせいか。


 これまたオンボロな、床置き型エアコンの上に乗せられたテレビでは、お昼のバレンタイン特集がはじまっていた。


 ――知っていますか。今は義理チョコだけじゃないんです。友チョコに逆チョコ、さらには自分チョコなんて。


「あはは。自分チョコだって」

「それただ単に買って食べてるだけなのでは……?」

「とりあえず名前付けてみる風潮ってあるよね」


 女子から女子が友チョコで、男子から女子が逆チョコなら、男子から男子は何チョコになるのだろう。


「……ホモチョコ?」

「脳内ダダ漏れですよ響さん?」


 これ以上いけない。軌道修正しないと。


「それにしても、ヴァレンティヌスが実在しなかったなんてね」

「ちょっと意外すぎる話だったなあ」


 ヴァレンティヌスはキリスト教の聖人で、その名の通りバレンタインデーの由来となった人物である。


 4時間目の世界史B。脇道に逸れ続けた結果成し遂げた、1コマ丸ごとバレンタイン解説という愚行。こういうことばかりやってるから、あの先生は各方面から怒られるんだと思う。


 それはともかく。ヴァレンティヌスは当時ローマで禁止されていた兵士の結婚を、隠れて行っていたらしいのだ。当然そのうちに捕らえられ、処刑されることになる。それが2月14日だったと言われている。


「ヴァレンティヌスが実在したとしても、処刑された日を記念日にするのって違和感あるよね」

「日本人的な感覚ではな。でも確か、何か別のお祭りを乗っ取ったとか」

「ルペルカリア祭だっけ? あの婚活パーティー」

「婚活……」


 だって若い男女がペアを組んで、気に入ったら結婚するお祭りなんて、あれ以外の何物でも無いじゃんか。


 補足すると、ルペルカリア祭というのは古代ローマで行われていたローマ神話のお祭りで、要するに合コンもしくは婚活パーティーである。祭りは2月15日から始まるため、ヴァレンティヌスの処刑は神への捧げ物としての一面もあったようだ。


 このあたりのエピソードから、愛に殉教した人としてヴァレンティヌスは聖人に列せられ、2月14日はキリスト教の祭日となったわけだけど。この話には裏がある。


 後年ローマでキリスト教を国教としてからも、ローマ神話のお祭りは継続して行われており、ローマ教会はそれを排除することに苦心していたらしいのだ。


 ルペルカリア祭はやめさせたい。しかし一方的に禁止しては反感を買うばかり。そこでローマ教会は一策を講じることにした。


 このお祭りにキリスト教的な由来を与えて、乗っ取ってしまえばいいと。


 かくしてローマ教会は、ルペルカリア祭という婚活パーティーに、兵士を結婚させて殉教したヴァレンティヌスの記念日を悪魔合体させて、男女が愛を誓う日を産み出すことに成功した。というのが実際のところである。


「由緒正しい記念日であることを期待していた身としては、ちょっと残念な気もするんだよね」


 ヴァレンティヌス自体が実在を疑問視されていることもあり、2月14日の記念日はキリスト教の典礼暦から抹消されてしまったそうだ。


 つまるところ、もはや記念日でも何でも無いというのが実情で。どうしてこうなった……。


「ルペルカリア祭をルーツと考えれば、それはそれでアリだと思わないか?」


 和人はそう言うけれど。いろいろと気負っていたところに、ケチを付けられたような気がして面白くない。


「なんとなく、釈然としないというか……」


 気がつけば券売機まではあと少し。テレビではアナウンサーがチョコレートブランドを連呼している。ゴディバにロイズにマルコリーニ。


 そんな中、壁に掛かったメニューの札を眺めても、チョコレートはそこに無い。蕎麦にうどんに定食モノ。まごうことなき庶民の世界。


 なんとなくお蕎麦が良さそうだ。かき揚げも付けて、お値段しめて320円也。ちょっとくらいのモヤモヤは、何かお腹に入ればきっと紛れてしまうはず。


 自分の順番になり、券売機の前に立ったところで、カウンターの奥からおばちゃんの大声が聞こえてくる。


 ――かき揚げ終わりだよ! 札下げといて。


「……え? ちょっと」


 誰かが壁に近づいて、手書きの毛筆で書かれたかき揚げの札を裏返すのが見えた。アナログである。券売機のボタンが押せるのは罠だと思う。押したところで返金の手間が増えるだけではあるけれど。


 ……なんか今日、こういうの多くない?





 バレンタインデーの由来については諸説あります!(魔法の言葉


 うんがわるい^q^ (c)トミナガ

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