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閑話 3-1.チョコレートのわたしかた

 お昼休みのことだった。


「九重さんはバレンタインどうするの?」


 クラスの女の子たちとお弁当をつついていると、唐突にそんな質問を投げられた。


 2、3回瞬きして、とりあえず口の中のご飯を飲み込んでから声の主へと視線を向ける。


「突然どうしたの、晴子さん?」

「いや単純に、今年はどうするのかなって」


 なるほど確かにもう2月。そろそろ空気も浮ついてくる頃合いだ。


「どうするって、いつも通りだけど?」


 男の子であげるような相手はアイツしか居ないし。心構えとか、そういうものは違うけどやることは変わらないわけで。


「んーごめん。質問変えるわ」


 晴子さんはちょっと考える素振りを見せたあと。


「去年のさ、朝からずっとそわそわしておいて、結城くんの不在を狙って机にチョコを入れてる様子が個人的にツボだったというか」

「あれで狙ってないってのがズルいよね」

「不覚にもこの中村、もう女の子でもいいかなって思いました」


 机を寄せて一緒にお昼を食べていた宮瀬さんと中村さんが乗っかってくる。なんかちょっと怖いこと言われてるような気がするけれど、幻聴だと思いたい。


「そんなわけで、今年の寸劇も楽しみにしてるから」


 そもそも寸劇じゃないし。直接手渡すのもなんとなく気恥ずかしくて、隙を見てアイツの机に放り込んだだけだというのに。


「晴子さんの前では絶対渡さないようにする」

「えー! ていうか九重さん、あたしの名前そもそも晴子じゃないからね」

「赤木さんで、バスケ部なのに、晴子じゃないなんて。そんなバカなことあるわけないじゃないですかー」

「……知ってたけど、九重さんって第一印象よりも大分失礼だよね」


 ちょっとキミら、バレー部やらバスケ部やらでただでさえデカいんだから威圧感出すのやめてくださいお願いします。


 とまあこんな感じで、週に2回くらいはクラスメイトとお昼を食べたり、寄り道したりするようになってきた。


 ちょっと前までは、オレもアイツもお互いのことだけで手一杯。友達付き合いなんて二の次だったわけで、考えてみればものすごい進化である。脱エリートぼっち。


 おっと、そういえば。


「そうそう、お菓子作ったんで毒見してみない?」

「待ってました!」


 ものすごい食いつきだった。


「ちょっと晴子、餌付けされすぎ」

「晴子じゃねえっつってんだろ!」

「餌付けを否定しなさいよ!」


 赤木さんと宮瀬さんのじゃれ合いを横目に、鞄から小さなタッパーを取り出して、それを机の上に置く。


 ふたを開けると中には。


「これってもしかしてガトーショコラ?」

「バレンタインに向けて練習中かな」

「うん。そんなところ」


 溶かして固めるだけじゃ芸がないし、かといって本格的なチョコレートケーキはハードルが高い。というわけでチョコレートブラウニーである。割と簡単に出来て、それでいて手が込んでいるように見えるのがポイント高い。


「どうやって作るん?」

「ホットケーキミックスとチョコレート、それにクラッシュナッツと無塩バター」

「いつもの言うだけなら簡単そうなヤツだ!」

「あと卵と牛乳も。混ぜて焼くだけ」


 ホットケーキミックス便利すぎてヤバい。


「ん。結構ビターな感じ。美味しいじゃん」

「お砂糖追加で入れてないからねー」


 受け答えしつつ、自分もブラウニーを一口かじる。


 ……焼きすぎてチョコレートの風味が飛んでしまっている。


 わかりやすい失敗に、思わず少し苦笑い。簡単といってもこれだからチョコレートケーキは大変だ。


「九重さん的にはこれでもイマイチなの?」

「あと30秒早くオーブンから出すべきだったかなあ」

「……細かすぎでしょ」


 いやいや。究極のレシピを求めて研鑽を積んでゆくのは当然じゃないですか。気分は現代の錬金術師。リアルでアトリエシリーズやってるようなものだから。


 しかも、料理やお菓子作りの材料費は母さんが出してくれるから自分の懐が痛まない。そりゃあやり込みますって。成果を見せる機会も用意されていることだし。


 ――さて、今年はどうやって渡そうか。





 アイツの部屋のベッドの上、オレは下着姿にリボンを巻いただけの格好で座り込んでいた。いつからそうしていたのだろう。時間の感覚がわからない。


 よく見れば太ももやお腹、それに胸元といった場所にはチョコレートクリームが塗られていたりして。なんというか、だいぶ扇情的だ。


 いつのまにか、覆い被さるようにしてアイツに押し倒されていた。目の前に和人の顔がある。突然のことに戸惑いつつも、視線を上げて正面から見つめ合う。


 魅入られるように。引き寄せられるように。そのままコイツの首に腕を回す。


 ……ああ、そうだ。思い出した。今日はバレンタインだ。なんで忘れていたんだろう。大事なことなのに。


 でも大丈夫。あとは『計画』通り、この堅物の理性をチョコレートみたいに溶かすための、決定的な一言を口にするだけだ。


 腕を引いて、耳元に唇を寄せる。


「――わたしを食べて」





「……あっ。ダメだよ和人そんなこと。もっと優しく……あっ。うふ、うふふ。うひひひひひ」

「ほんとどんな夢見てるのよ……。ああ、もう! 起きろバカ響!」


 布団と毛布が一気に剥ぎ取られた。


「……起きた?」


 目の前にあったのは、和人の顔ではなく姉の顔。


「…………起きた」


 つまり、さっきまでの出来事は、全部夢ということで。


「あのさ」

「……なに?」

「言葉濁しても仕方ないし、ぶっちゃけて聞いちゃうと、欲求不満なの?」

「ああああああ!」


 ボスボスと、全力で頭を枕に打ち付ける。


 オレは! どうして! あんな夢を!


 なんだよ『わたしを食べて』って。それにあの格好は! 痴女か? 痴女なのか? 現実であれだけ邪魔な羞恥心は何処行った!


 そのまま枕に顔をうずめて唸り続けるオレに、姉は顔を寄せてささやくように。


「むっつり」


 びくん。


「すけべ」


 びくん。


「やだ。ちょっと楽しいかも」

「……人をおもちゃにしないでよ、姉」


 枕をお腹に抱えるようにして向き直る。


「あんたのリアクション面白くって、つい」


 全く悪びれないのがまた腹立たしい。


「つい、じゃないよ! だいたい姉はいつも――」

「それは今度聞いてあげるから。ほら。何かやる事があったからこの時間に起こさせたんじゃないの?」


 時間大丈夫? と、姉が時計を指差して。釣られるようにオレも時計に視線を向けて。


「やばっ!」


 慌てて飛び起きると、用意しておいた靴下を履いて、パジャマのまま廊下へと飛び出した。


 寒い。ひたすら寒い。ついでに暗い。日の出もまだじゃん。そういや部屋のエアコン付けっ放しだ。あとで消さなきゃ。





 ケーキというのはどうしても足が速い。常温では1日持たなかったりするくらいだ。チョコレート系は比較的長持ちするらしいけど、わざわざ実験してみようとは思わない。


 というわけで、昨日の夜作ったブラウニーは現在冷蔵庫の中である。これから箱詰めとラッピング。早起きするのは辛いけど、心を込めた贈り物で食中毒とか、ほんと笑えないからね。


 リビングのエアコンを付けて、寒さに体を縮こませながらキッチンに向かう。10分もすれば暖かくなってくるだろうから、それまでの辛抱だ。


 冷蔵庫を開けて、深めの大皿にこんもりと盛られたブラウニーを取り出すと、何故か着いてきていた姉がぎょっとしたように声を漏らす。


「どれだけ作ったのよ……」

「48個」


 20cm角のを3枚焼いて、それを4x4でカットしたので16x3で48個である。1つは自分が味見で。もう1つは母さんによる略奪で消費されて、残っているのは46個だけど。


「そんなに作ってどうするのよ」

「6個は、まあいわゆる本命チョコ用で。あとは義理とか友チョコとかそういうのでクラス全員に配ろうかなって」

「……あんた、意外とマメよね」


 ややうんざりした様子で、姉はリビングの椅子に座ると、テーブルに突っ伏すように体を投げ出した。だいぶお疲れのようである。


「姉はこのあとどうするの?」


 バレンタイン用の紙のギフトボックスに、ブラウニーを詰めつつ何の気なしに聞いてみる。


「寝るけど? 徹夜だったし」


 なにを当然のことを、といったご様子。


「そっちじゃなくて、バレンタインの方」


 昼夜逆転してるのは知ってるから。曰く、昼間は俗世の誘惑が厳しいとのこと。いっそ出家でもすればいいのに。


「受験生にバレンタインなんてないの。学校も自由登校だし。それに……」

「それに?」

「ほら、生徒会なんてやってたでしょ」

「うん。そうだね」


 副会長から会長のお決まりコースで2年間。これは姉の高校だけの話ではなく、だいたいが世襲制だったりする。


「すごいのよ。チョコレートの数が」

「はあ」


 手を動かしているせいか、生返事になってしまった。


 しかし姉は気にした様子もなく、大袈裟な身振りを交えて声を上げる。


「去年とか40個オーバーよ?」

「わお、大人気。よりどりみどり」


 面倒見がいいからか、これで結構人望があるんだから不思議なもので。


「……そうね。相手全員女の子だけど」

「…………」

「ちょっと本気っぽい子も混ざってるし」

「……うん。なんかごめん」


 そうだよね。バレンタインだからそうなるよね。逆チョコとかあまり見ないし。


「…………」

「…………」


 そのまましばらく無言が続く。受験生はついに力尽きたようだ。


 とりあえず、無地の箱は詰め終えた。1箱10個入りを4箱で40個。真っ白で飾り気の無い箱も、付属のシールを貼るだけでそれっぽく見えるようになる。金色のシールはそれだけで正義だ。


 ……さて。あとは赤主体でチェック柄の、ちょっといい箱を残すばかり。


 そわそわとして落ち着かない。ただチョコレートを箱に詰めて渡すだけ。でも――。今日それは、女の子にとって特別な意味を持つ。


 気持ちを伝えたい。普段はとても言えないことも、チョコレートに乗せてあの人へ。なんてったって由緒正しきキリスト教の聖人の記念日なわけで。そのくらいの奇跡は、きっと起こしてくれるはず。


「よし!」


 両頬を軽く叩いて気合を入れる。


 まずはやることやってから。神頼みはそれからでも遅くない。


 今日は2月14日。


 女の子が少しだけ、勇気を貰える日だ。





 チョコレートはこれでもかとばかりにぶち込んだ方が上手くいきます。ちょっとくらいダマになってても食感に変化が出るので良し。


 うちもお金出してくれるんでわりとテキトーにいろいろ作ってますが、相変わらずシュークリームはダメです。


 お待たせしました。

 完全に『もうただの女の子でいいんじゃないかな?』状態になった響ちゃんをお楽しみ下さい。

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