After 3-12.手を取り合って
「あ、帰ってきた」
姉の声が聞こえたのは、和人がオレを抱きかかえたまま別荘の近くまで来たときのことだった。
視線を向けてみれば、門を出たところに全員勢ぞろいしている。まだここからではその表情は窺い知れないが、おじさんの姿もあった。バツの悪そうな表情をしているはず。そう思うと笑えてくるから不思議だ。
ちょっとだけ和人に視線を戻す。コイツもこっちに顔を向ける。
大丈夫、心配ないよ。
お互い軽く頷いて前を向く。別荘の前で待っているみんなに向けて手を振ってアピールすると、少し弛緩したような雰囲気に変わるのがわかった。きっと心配していたのだろう。
やがて、お互いの表情がわかる距離になった頃、くたびれたような笑顔を浮かべた姉が口を開いた。
「……あまり心配かけないでよ。ほんと死ぬほど疲れてるんだから」
「……うん。ごめん」
心労で倒れそうよ。なんてボヤく姉に、こちらもつられて苦笑い。
「いっそ倒れちゃったほうが楽なんじゃない?」
「…………そうかもね!」
オレの冗談にちょっと驚いて見せた後、姉は顔をほころばせた。
帰ったらすぐに、姉には生徒会長として文化祭準備が待っている。それが終われば役員選挙。新生徒会に業務を引き継いで任期終了という流れだ。
姉が会長としてどうなのかはわからない。たしかになんでもそつなくこなす印象がある。しかし現実として文化祭準備はトラブっているようだ。
何でも自分でやろうとする姉と、生徒会長という役割のミスマッチ。求められていることは、他人を上手く使うこと。おそらくこれも、不幸なすれ違いの一例なのだろう。
……もう一つの、不幸なすれ違いに目を向ける。
おじさんの表情は……なんて表現すればいいのかわからなかった。酷く難解で、複雑で、でもバツが悪そうにしているのは間違いなくて、ちょっとクスリとしてしまう。
「ほら、行かないと」
「あ……ああ」
おばさんに促され、おじさんが一歩前に出る。
それを見て、わずかに体が強張るのがわかった。自分ではもう平気だと思っていても、増幅された苦手意識は根深いらしい。
「……その……なんだ」
「大丈夫ですよ」
迷うようにしながら言葉を探すおじさんを遮って、出来るだけ軽い調子で声をかけた。声を震わせないように気をつけて言葉を続ける。
「結果的に大収穫でしたから」
おじさんの表情が、狐につままれたようなポカンとしたものに変わる。
そうそう。申し訳なさそうにされてても困るから、そのくらいでちょうどいい。別に糾弾したいわけじゃない。謝って欲しいわけでもない。
しばらく無言が続いた後、一つため息をつくとおじさんは肩の力を抜いた。
「……君は強いな」
「そんなことないですよ」
何かあるとすぐ逃げ出してしまうし、泣き虫だし、うじうじと悩んでばかりだし、自分のことを強いだなんて、とてもとても思えない。
「もし強く見えるのなら、全部和人のおかげです」
コイツといっしょなら、強くなれるんです。
「……そうか」
呟いてそれっきり、おじさんは黙りこくったままだった。
簡単に考えが変えられるとは思っていない。だから今日はこれでいい。もちろん狙うのはコンプリートクリアだけど、焦らなくても大丈夫。
「絶対に認めさせてみせますから、覚悟しててくださいね」
このときのおじさんの呆けた顔は、たぶん一生忘れられないだろう。
オレたちが別荘から帰って、早くも10日間が経とうとしていた。夏休みも残すところ5日となり、宿題の消化が目下急務となっている。
毎日計画を立てて進めていれば苦しまずに済むものの、そんな利口な生き方はしていないオレたちである。今年も29日あたりからスパートをかける。小学生の頃から変わらない夏休みの風物詩だ。
でも今日は、宿題のことは忘れて楽しんでしまおう。
ちょっと前にも同じようなことを考えていた気がしなくもないが、手遅れになってから焦るのもそれはそれで面白い。
足の方はだいぶ良くなってきた。帰宅して2日くらいは事あるごとに、ひぎい! なんて、いろいろな意味で女の子が出してはいけない悲鳴を上げていた気もするが些細なことである。
「花火大会って何時からだっけ?」
オレの髪をいじりながら、姉がそんなことを聞いてきた。
「たしか、19時スタートで21時までだったかな?」
ポスターに書いてあった時間を思い出して答えると、姉は一旦手を止める。
「あと2時間くらいあるのね」
「夏祭りの屋台冷やかしてればすぐだと思うよ」
「……そうかもね……っと、よし」
こうしよう。と呟いて姉はオレの髪をぐるぐると巻いてゆく。頭の後ろは見えないから、気になっても確認しようがないのがもどかしい。
それにしても、姉とこんなに仲良くなれるとは思わなかった。一時期は目も合わせないくらいだったのに、今じゃこうして他愛のない話をしながら髪をセットしてもらっているのだからびっくりだ。
得体の知れない自分勝手な暴君のイメージはすでにない。話してみれば、どこにでもいる妹思いのちょっとウザいお姉ちゃん。
きっとおじさん……和人のお父さんもそうなのだ。おじさんはオレを知らなすぎる。オレはおじさんを知らなすぎる。きちんと話をして、まずはそれから。
「……まあ、こんなものかしら?」
そう言うと姉は手を止めた。疑問形なのが妙に気になって仕方ない。
手鏡を使って髪型を確認していると、一見よく出来ているにも関わらず、姉はなんとも決まりの悪そうな様子で。
「あんたの髪長すぎてやりづらいのよ。とりあえずロープ編みしてからぐるぐる巻いてアップに纏めてみたけど……」
「みたけど?」
「なんか変なふうに絡まっちゃって」
「……ほう?」
「……これ、ほどけるのかしら?」
とんでもないことを口走ってくれた。
「ちょっと!?」
「だってしょうがないじゃない! 無駄に長いしボリュームばかりあって、いつまで伸ばし続ける気なのよ!」
なんで逆ギレされてんの?
「もうこれ以上は伸ばす気ないよ。ほんと、巻き込み事故多発してるし……」
ショルダーバッグのストラップに髪が絡まったり、突風でインスタント貞子が出来上がったり、お風呂上がってドライヤーかけるだけで30分かかったり、生乾きのまま力尽きると寝癖で紅丸みたいになってたり、正直あんまりいいもんではない気がする。
椅子に座るだけで髪が尻に挟まれて、そのまま首がグキっとなったときは本気であかんと思った。さすがに5cmくらい切ったよ……。
「……ふうん。じゃあ何でロングヘア維持してるの?」
ニヤニヤしながら聞いてくれちゃって。わかってるくせにこれだからタチが悪い。
「……どうでもよくない? そんなこと」
「えー。お姉ちゃん気になるー」
くねくねと体を揺らす姉。ごめん、ほんと気色悪いからやめて。お願い。
今日は完全無欠の夏装備である。アップにした髪にべっ甲柄のバレッタで落ち着いた雰囲気に。ベージュを基調とした浴衣には、椿があでやかに咲き誇っている。
小物として団扇も忘れてはならない。なぜかこの団扇、神と人をくっつけた文字がでかでかと毛筆で書かれてたりするんだけど。何のイベントで貰ったんだっけなあ……。
浴衣の着付けは母さんに手伝ってもらった。さすがに和服……一応浴衣もカテゴリ的には和服だろう。まあとにかく、その類を一人で着るには女子力が足りなかったりする。
「というわけで、おじさんときちんと話してみようと思うんだ」
花火大会への道すがら、和人と二人並んで歩きつつ、考えていたことを説明する。
「……言っておくが、かなり頑固だぞあのクソ親父」
クソ親父とか。おじさん聞いたら泣いちゃいそうだ。
「それはそうなんだけど。なんとなく、どうにかなりそうな気がするんだよね」
「そりゃまた何で?」
「難しく考えすぎなんでしょ?」
少しキョトンとした後、コイツはオレの頭を乱暴に撫で回した。だからそれはやめろって崩れるから! コイツに見せるためにせっかくアップに纏めて貰ったのに、まだ一言も褒めてくれないし。ほんと何でこうなんだろう。
「……まあ、気がきく和人とか不気味すぎるよね」
結局のところ水着姿を見ても無言だったし、今日の浴衣姿にも何のコメントも寄越さない残念なヤツではあるけれど。
「なんか言ったか?」
「……ほんと和人にはがっかりだよ!」
笑いながらそう言ってくるりと一回転。ほんの少しだけ裾が翻り、ふくらはぎに風を感じる。
鳴かぬなら、鳴かせて見せようホトトギス。たしか、秀吉が詠んだとされる句だったはずだ。
でもほんと、このホトトギスは鳴いてくれないのだ。
女の子の服装や容姿を褒めるのは、男の子にとってかなり照れくさいことだいうのは知っている。小学生の頃、自分もそうだったし。まさか逆の立場になるとは思ってなかったけど、たった二言三言でご機嫌が取れるのだから、もっとどんどん褒めてくれいてもいいと思う。
いつか絶対鳴かせてやる。
決意を新たにしていると、ポツポツと縁日の屋台が見えてきた。お祭りの雰囲気にあてられて、思わず少し早足になってしまう。
「ねえ、花火までまだ1時間半くらいあるんだけど」
「……やっちゃいますか」
「やっちゃいましょう」
こういうのだけは察しがいい。絶対ステ振り間違えてる。でもまあ――。
「金魚すくい、射的、型抜き、水風船釣り、輪投げ、どれから行く?」
「荷物にならない型抜きからだな」
「そういえば型抜きって絶滅危惧種らしいよ?」
「絶滅て」
「毎年来てるあの人、堅気には見えないけど頑張って続けて欲しいね」
中身のないくだらない会話が、何故かとても心地よい。
「それで、何を賭けるんだ?」
「和人は何がいい?」
「……そうだな――」
左を向いて、少し見上げるようにするとコイツの横顔が目に入る。いつの間にかオレの定位置になっていた右隣。一番見慣れた角度のその顔に、わずかに目を細めてこれまでのことを思い出す。
女の子になってからの4年間。オレはどれだけコイツに救われていたのだろう。
凸凹だらけの道を歩いて来た。何度も躓いて、転んで、傷つくこともあった。でもその度に、すぐそばで手を差し伸べてくれる人がいた。
きっとこれからも、人生は平坦な道ばかりではないけれど、コイツといっしょなら大丈夫。
「えい!」
掛け声と共にコイツの手を握る。指と指を絡ませた恋人繋ぎ。今はまだ、何かの勢いを借りないと、このくらいで精一杯。姉にお子ちゃま扱いされるのも仕方ない。
でも、恋はまだ始まったばかりだ。この気持ちを大切に育てて行けば、いつか何かがわかるはず。
この先どこまでいっしょに歩いて行けるかなんてわからない。だけど、やがて来るその時までは。
共に手を取り合って、歩いて行くのだ!
お読み頂きありがとうございました。
活動報告にあとがきのようなものを載せておきます。