After 3-10.だいすき
日中の海岸の賑わい……と言ってもそこまでではないけれど、それと比べれば夜の浜辺は異世界のように見えた。
空にはまん丸なお月さまが浮かび、辺りを藍色に照らし出していた。揺れる水面に月の光が反射して、まるで宝石のように輝いている。寄せては返す波の音以外には、自分たちの息遣いくらいしか聞こえない。
……この風景を少し寂しく思うのは、弱気になっているからか。
和人と並んで二人で座り、水平線を眺めていた。空との境界は曖昧ではっきりしない。それでも、月の下、波の上にはあるのだろう。
「どうすればよかったんだろ……」
どうすることも出来ないというのに。過去に戻って病気をなかったことにする? それこそ神さまの領分だ。
「……あまり自分を責めるなよ」
どこか気遣うような声色で、和人がぽつりとそう言った。わかってる。それは逃げるよりよっぽどたちが悪い。
だって自分のせいじゃない。
自分を責めるのは簡単だ。弱いところを知っていて、言い返したりもしない。いつでもどこでも好きなだけやり込められる。
そうやって自分を凹ませることで、一時的には満足するのだ。要するにただの自傷行動。後になって、得体の知れない傷に悩むことになる。
「……うん。大丈夫」
答えて少し自嘲する。どこが大丈夫なものか。
こんな病気にならなければ。女の子になったりしなければ。なんて考えてしまった時点で同じことだ。今の自分を否定することで、自分を罰した気になって……。わかってるつもりでこの様だ。
「……ずっといっしょにいたいだけなのに、難しいね」
自分たちはまだ子供で、今すぐどうこうという話ではないけれど。だからと言って、目を逸らし続けることが正しいとも思えなかった。
膝を抱えたまましばらく黙っていると、横から頭をポンポンと叩かれた。
「響は難しく考えすぎだ」
「……そう……なのかな」
「絶対にダメだって言われたわけじゃないんだ」
「……そう……だっけ」
……言われてみれば、確かにそうだ。ただ、あの時はショックで、否定されたと思い込んでしまっていた。
「よく考えた方がいいとは言われたけどな」
叩いたきり頭に乗せたままの手を動かして、和人はオレの髪をかき混ぜるかのように撫で回す。
「わあっ!?」
ああ、もう! ただでさえボサボサになってるのに、そんなことをされたら大惨事もいいところだ。頭を押さえて唸っていると、コイツはニヤリと笑って。
「よく考えて出した結論なら文句の付けようもないだろ?」
「詭弁だよ!」
「いざとなったら反対なんて押し切ってしまえばいい」
「ダメだよそんなの! ちゃんと話し合わないと!」
「それでも無理なら駆け落ちするか」
「無茶苦茶だよ!」
叫んで、大きく肩で息をする。
これだけ連続でツッコミを入れさせられたら、そりゃあ息も上がるというものだ。人が真面目に悩んでいるのにコイツときたら。
「やっぱさ」
「……なにさ?」
ジト目で睨みつけてやる。
「響はそうやってわーわー言ってる方がいいな。向いてないんだよ、シリアスは」
随分と失礼なことを言われている気もするが、これでもコイツなりに元気付けようとしているのだ。気の利いたセリフの一つも出てこないあたり、逆にとてもらしいと思えた。
「ひどくない? 普段がんばってお淑やかにしてるのに」
「お淑やかな人は一点読み通されたときに、はいクソゲーとか言いません。中段しゃがみ喰らいしても大声で言い訳したりしません」
……言わないかなあ。うん。まあ、そんな気はしてたけど。
いつの間にか、シリアスさんはログアウトしていた。再ログインの様子もない。
しょうがないなあと、ため息をひとつ。
「小さくてもいいから一戸建てと、小型犬は譲れないよ?」
「……なんだ、それ」
「……駆け落ちするなら?」
小首を傾げる。
「……前向きに善処します」
なんだそれ幾らかかるんだ? と、頭を抱えるコイツを眺めてクスリと笑う。
「ありがと。元気出た」
さっきまでとは別の意味で、感情が溢れてしまいそうだった。
差し伸べてくれる手は暖かく、注いでくれる眼差しは暖かで、いつもそっと寄り添い支えてくれる。
なんだよ贅沢者め。これ以上何を望むつもりだ九重 響。コイツが居てくれるだけで、お前はどれだけ幸運だと思ってるんだ。ちょっと思い通りにならなかったくらいで、悲劇のヒロインでも気取ってるつもりか。
「最近ずっと幸せだったから、勘違いしてたんだ」
現実はおとぎ話なんかじゃなくて、ときに思わぬところで牙を剥く。傷つくことだって、誤解してすれ違うことだってあるだろう。
――でも。
「欲ばりかもしれないけど」
せめて自分の周りだけは、みんなが幸せで納得のいくようにしたいんだ。
「おじさんにも認めてほしい」
考えてみれば、あの時と似ているのかもしれない。オレが自分の気持ちを知ることになった、あの時と。
『いい機会だと思った』
コイツはそう言った。距離を置くために佐藤先輩を利用したとも言っていた。結局のところそれは間違いでしかなくて、みんなが辛い思いをすることになったけど。
だとしても、あの時の間違いがあったから今がある。あの時の間違いがあったから、前に進むことが出来たのだ。
おじさんにとってのいい機会が今日だったのだろう。
『あの子には幸せになって欲しいんだ』
『だから、すまないね』
――思い出してしまえば、ストンと胸に落ちた。
ただ単に、親として、コイツの幸せを優先しようとした。
誰もが誰かの幸せのために考えて、そこに当事者であるはずの誰かの気持ちは含まれなくて。だからすれ違い傷つける。
自分の手の届く範囲なんて限られていて、欲張りすぎても抱えきれないだけかもしれない。何が正しいかなんてわからない。だけど。
手が届かないと決めつけて、立ち止まっているだけというのは、自分らしくない気がした。
後悔なんて後ですればいい。心のレバーを前に入れろ。動き出すのは今だ。
『僕は認めてない』
認めないのではなく、認めてない。たった1文字だけど大きな違いだ。まだ認めてない。だから認めさせてみろ。そう言われているような気さえする。
あまりにも都合よく解釈しすぎてる? だからどうした。言葉なんて受け取り方次第だ。真意はどうあれ、自分はそう思った。それだけの話でしかない。
「おじさんにも認めて欲しいんだ」
もう一度繰り返す。
間違っていてもいい。間違ってはじめてわかることもある。
コイツに恋をした。先輩の告白を見た。誰かに取られそうになったとき恋心を自覚した。叶わぬ想いに涙したこともあった。玉砕覚悟の告白を賭けた勝負。結局先に告白されて。そうして今、隣にいる。
間違いに気づいたら、そこから前を向けばいい。もう一度、歩き出すことが出来るから。
「……だから、勇気が欲しいな」
欲張りついでに、そんなことを言ってみた。
コイツの方を向き、目を閉じて、少しだけ上を向く。
慌てる様子が伝わって来た。この2ヶ月、なかなかそういう雰囲気にならなくて、結局トレモなんて一度も出来なくて。
戸惑うように、顎に手が触れる。その指が小さく引かれ、そのまま唇を塞がれた。ちょうど2ヶ月ぶりのキス。ほんの僅かな時間ではあったけど、確かな熱を感じた。
ゆっくりと目を開ける。
「……だいすき」
感情が溢れた。
今まで一度も言えなかった言葉。
照れくさくて口に出せなかった言葉。
すごくどうでもいいんですが、設定上の本編スタートが6月6日なので、本日6月11日は響ちゃんがガン凹みしている頃になります。