After 3-7.彼女が水着に剥かれたら
到着した砂浜には、ぽつりぽつりとパラソルの花が咲き始めていた。
数はそれほど多くない。辺鄙な上に知名度も低いのだから当然だ。いつだって人影はまばらな感じで、ちょっと寂れた印象を抱かせる。
人間てのは自分勝手なもので、人が多ければ多いで文句を言う癖に、少なくても不満に感じるのだ。
個人的にはこのくらいの方が、いろいろと楽なんだけど。
ちょっと背伸びをしてあたりを見渡してみると、お目当ての人たちはパラソルの下、レジャーシートに腰を下ろして飲み物に口をつけたところだった。
にじむ汗を拭って歩き出す。ここまできたらもう後はなるようになれだ。
「お……おまたせ!」
近づいて声を掛けると、ちょっと裏返りそうになってしまった。
「来たか。設営終わってるぞ」
砂を払いつつ和人が立ち上がる。迷彩柄の海パンに、首にかけられたドッグタグのアクセサリがしゃらりと揺れた。そういやコイツ、ガイル使いでもあったな……。
「……ごめん。それあまり似合ってない」
もっと筋肉質で、髪の毛軍艦になってないとダメな気がする。
「みなまで言うな! それに、ぶっちゃけると俺のことはどうでもいい!」
やや芝居掛かった調子でそう言うと、和人は一旦言葉を切った。そして、悲痛な表情で詰め寄ると。
「なんでTシャツのままなんだ……?」
「……ええと」
「しかもズレ天」
……ときどさんの、ファンだから?
なんとなく、会話がそこで止まってしまい、所在なさげに視線を彷徨わせた時だった。
「ちょっとこの子剥いてくるから」
「ごめんね響ちゃん」
両側から腕を掴まれていた。ちょっと離れた場所まで、姉に引きずるように連行されて、気がつけば理恵ちゃんに羽交い締めされている始末。
「うわ、なにこの細さ」
「お風呂で見たときも思いましたけど、これでダイエットとかしたこと無いって言うんですから……敵ですよね」
「敵!?」
「でもここのフリルめくるとあばらが浮いてる」
「この腰回りは反則ですよ」
「やっ……やめて」
「すぐ終わるから大丈夫だよ響ちゃん」
「はい。お手手上にあげてねー」
うわぁん。
剥かれた。
考えてみれば、『お願い』されていたのだ。
シャドウバースでの5本勝負。負け越したオレに、目の前にいるコイツは何を要求してきたのか。
もちろん忘れていたわけじゃ無い。ただちょっと、目を逸らしていただけで。
だから――。
「……なんか照れるね」
体を隠すように、真っ白なつば広帽を胸に抱いて上目遣い。
要するに、言ってしまえば照れているだけなのだろう。
根性見せろと、姉に発破をかけられたことを思い出す。緊張でガチガチになった体をほぐすように一度大きく深呼吸して、帽子を掴む手に力を込めた。
「大丈夫……大丈夫……」
自分に言い聞かせるように声に出す。ゆっくりと帽子を下ろしてそのまま背後へと回すと、お尻のあたりで後ろ手に持ち直した。
その様子を、和人は声を出さずに見守っていた。今までのこともあるからなのか、その視線は遠慮がちというよりも、心配しているように思える。
「……どう、かな?」
スカイブルーからエメラルドグリーンへ、淡いグラデーションのあるビキニタイプ。胸元に何段にも重なったフリルが、ボリュームと可愛らしさを演出して。ボトムはサイドを紐で結んだタイプのものに、シースルーなパレオを組み合わせて華やかに見せている。
和人は無言だった。不安になる。お願いだから何か言って欲しい。
自分では似合ってると思うのだけど、コイツから見たらどう見えるのだろう。こういったセンスにはあまり自信がない。
男の子だった頃の知識を活かして、ウケの良さそうな水着を選ぶにしたって、小学生時点までの知識でどうにかなるとは思えなかった。
女の言う『かわいい』と男の言う『かわいい』は違うものなのだ。ここ2年はそれを強く意識するようになった。最近は特に顕著だ。かわいいと感じる基準が昔とは全然違う。というか女の言う『かわいい』をまとめるとクリーチャーが出来上がる。
女子歴4年足らずという経験値不足。男としても女としても中途半端で拠り所が無い。それが自信の無さへと繋がっているとしたら。ありえない話ではないだろう。
体を隠したくなる気持ちを、どうにか抑えて反応を待つ。
……和人はまだ止まったままだ。なんとなく居心地の悪さを感じて、帽子の位置でも変えようとした。その時だった。
風が吹いた。そこまで強くはなかったと思う。でも帽子を飛ばすには十分だった。あっという間に手から離れ、空高く舞い上がる。
「あっ……」
それを追いかけて走り出したのは、反射的なものだったのだろう。
特に理由があったわけじゃ無い。でも心のどこかで、この場から逃れたい思っていたことを、否定することは出来なかった。
帽子は空中をひらひらと、泳ぐかのように海の方へと飛ばされてゆく。少し遅れて、和人が何か声を上げながら追いかけて来るのが見えた。
パシャパシャと水を蹴る音に、一瞬視線を下げて確認すると、そこは既に波打ち際。帽子は高度を落としてきて、あと10歩も走ればキャッチすることも出来そうだ。
「……よし」
そのくらいなら大丈夫。腰くらいまで水に浸かることにはなるけれど、そこらのプールよりも全然浅い。
そのままスピードを緩めずに走り寄り、手を伸ばす。見事にキャッチ……と思ったら。
目の前に大きな波が迫っていた。
身構えていれば問題は無かったはずだ。もっと大きな波だって何度も経験している。でも、これは完全に不意打ちだった。
あっという間に飲み込まれ、その勢いで足が浮く。バランスを崩して倒れそうになったところでアイツの声が聞こえた。
「響!」
振り返る肩ごしに、手を伸ばす和人の姿が見える。その伸ばされた手は、オレの背中に触れて。
あろうことか、アイツが掴んだのは水着の紐だった。
「ええええええ!?」
そんなものが、いくら軽いとは言っても、人一人分の体重を支えられるはずもなく。
簡単にはらりと解けた。変に引っ張られたせいか、ネックストラップも仕事をあっさりと放棄した。
「わっ、わわわわっ!?」
支えを失った水着のカップは、まるで海月のように波の中へと泳ぎ出す。押さえようにも両手は帽子で塞がってるし、本当は帽子なんか手放して水着を押さえれば良かったのかも知れないけれど、そんなこと考える余裕なんてあるわけも無く。
「わああああああ!?」
一度崩れたバランスを戻すことは出来なかった。
倒れ込む最中、目を大きく見開いてオレを見つめている和人の様子が、スローモーションのようにゆっくりと見えた。その視線の向き先は、オレの胸のあたりに引き寄せられているかのようで。
「バカああああ!」
非難の声を上げながら、オレは派手な水飛沫を上げて水没した。
こうやって、コイツの背中に揺られるのは何時ぶりのことになるだろう。
たしかあれは、中学生になって間もなくの話だ。
学校からの帰り道。何も無いところで躓いて、足を挫いたことがある。
たぶん少し焦っていたのだ。変わってしまった体になかなか慣れることが出来ないまま、無理をした結果怪我をした。
意地を張って歩こうとしたのに、痛みを堪えることは難しく、結局コイツに背負われて。
かなり恥ずかしい思いをしたことを覚えている。でも今の状況と比べたら、なんてことは無かったんだと思えた。
水着は沖の方へ流されてしまい、回収することは出来なかった。倒れた拍子に手を離したのか、結局帽子もどこかへ行ってしまった。
さらに悪いことに、倒れる時に足首を捻ったようで、ズキズキと疼くような痛みに弱音をあげたところ。
「……こうなったんだよね」
和人の肩に顎を載せるようにしてひとりごちる。
今自分がどんな格好でコイツに背負われているのかと言うと、ビキニの上が流された時点で想像がつくと思う。隠すためのものなんて、何も持ち合わせてはいなかった。
情けないやら悲しいやら、笑うしかないのに怒りたい。色々な感情がごちゃまぜになって、正直なところ泣き出してしまいそうだった。なんでこんなことになってしまっているのか、考えてみたところでだいたい自分のせいなのだ。
それに、胸を隠したまま怪我をした足で、少なくともレジャーシートを広げた場所まで戻らなくてはならなくて。
紆余曲折あったものの、結果としてコイツの背中に生乳を押し当てて背負われているわけだ。どんな羞恥プレイだろうか。
「何か言ったか?」
「……記憶を失わせるには、どのくらいの強さで叩けばいいんだろう」
「なにそれ怖い!?」
バカなことを言っていると思った。
でも、バカなことを言ってないと、持ちそうになかった。
だってこんなに鼓動が早くなったのは初めてで。ごちゃまぜの感情に振り回されて、自分が今なにをしているのかもわからなくなりそうで。
いつ気絶しても、おかしくないと思ったのだ。