After 3-1.夜明けは遠く
深夜、窓からわずかに入る星明りだけが、三畳程度の小さな部屋を照らし出す。オレは一度閉じた目をもう一度開ける。現実は何も変わっちゃいなかった。
二段ベッドの1段目。同じ布団の上で、同じタオルケットをかけて眠る少年の姿が見えた。
和人だ。
寝巻き代わりのTシャツの襟から見える鎖骨のラインに、妙にドキドキしてしまって。よくよく状況を確認してみれば、アイツの手がオレの背中に回されていて、抱きすくめられたみたいに動けない。
なにが。
なにがなんだかわからない。
なにがどうしてこうなったのか。覚えていない。頭が痛くて考えられない。溜息をつくと、自分の息なのにお酒臭いように感じた。
昨日の夜のバーベキュー。姉に何かを飲まされてからの記憶が無い。まず間違いなくお酒。それもとびきり強いやつ。姉は本当にろくなことをしない。
それはもう済んだことだからいいとして。よくないんだけどいいとして。
動こうにも、わりとがっちりとホールドされているみたいで、身動きが取りづらい。寝返りでも打とうものなら、コイツのことを起こしてしまいそうで。
……動けないんだからしょうがないよね……?
コイツの首筋におでこを預けるようにして、すんすんと鼻を鳴らす。女の子のお菓子みたいな匂いとは違う、少し汗の混ざった男の匂いにクラっとした。ああもう匂いフェチでいいや。人前やシラフではなかなか出来ないし、ちょっとくらいなら許されるのではなかろうか。
学校があるときなら、自転車の後ろで毎日のように成分を補給出来たのだけど、夏休み中はそうはいかない。枯渇による禁断症状が出る前に、こうして補給しなければならないのだから仕方がない。そう、これは仕方がないことなのだ。
だからこんなふうに、もっと近づきたくなってしまうのも仕方がないことで。
そっとコイツの背中に手を回す。横になったままでは、両手は無理だから片手だけ。身じろぐように、引き寄せるように、もっとそばに。
「ん……」
そんな折、コイツの口から漏れたのは、吐息のような微かな声。
……寝てるよね?
しばらくの間、息を潜めて様子を探るも起きる様子は無さそうだ。ゆっくりと息を吐き、肩の力を抜く。
2泊3日の小旅行。ここは爺様の別荘で、海まで徒歩で3分間。耳をすませば波の音が聞こえてくる。やりたいことは沢山あって、予定もいろいろ立てていたのに、こんなこと、予定には無い不測の事態。
嫌かと言われれば嫌じゃないし、それどころか随分と堪能させてもらっていたような気がしなくもないけど、それとこれとは話が別だ。
夜が明けるまであと何時間だろう。
星明りは相変わらず優しく部屋を照らしている。太陽はまだ、水平線の下で夢の中。
眠らないと後で大変なのはわかってる。でも、こんなの眠れるわけないじゃないか!
目の前にはコイツの鎖骨が見えてるし。背中というより腰に回された手に、こいつは俺のモノだと主張されているような気がして。そんなの、ただの妄想でしかないのに、ちょっとイイかもなんて思ってしまう自分がいて。
悶えた。
夜は更けてゆく。夜明けは遠く、耳に響くは波音と、自分の心臓の音ばかり。
――15時間ほど前。
「そこで火を止めて、溶き卵を入れて。そうそう、そんなかんじ」
今日も結城邸のキッチンで、おばさんから料理を教わっていた。夏休みに入ってからの日課で、おばさんもウチの家庭の味を伝授するんだって息巻いていたっけ。
作っているのは、たまねぎと豚肉の卵とじ。一部で物議を醸している麺つゆを使って簡単に。使えるものは使う。主婦の考えは合理的だ。
余熱を使って卵とじにすると、ちょうど半熟でいい感じに仕上がった。そのままフライパンからお皿へ滑らせるようにして移す。その上から彩りも兼ねて三つ葉を少々。
「上手いじゃない。あとは代わるから、和人のこと起こして来てくれない?」
「はい。じゃあ行ってきますね」
エプロンを外して、髪をまとめていたヘアゴムを取る。頭を引っ張られるような感覚がなくなって開放感があった。これもそのうち慣れるんだろうか。それとも髪が長すぎて重いのが原因か。
肩にかかった髪を後ろに流しながら、キッチンから出ようとしたところで視線に気がつく。ダイニングにあるテーブルを囲む椅子に座ってこちらを見ている、少し神経質そうな男性。ここの家主。つまり和人のお父さんだ。
「おじさん、おはようございます」
「……ああ、おはよう」
子供の頃はよく話したし、よく遊んでもらった。でも最近は、避けられているような気がする。話しかければ返してくれるんだけど、それも必要最低限。単純に、この年頃の女の子への接し方がわからないとか、そういうことでもない気がする。
何か気に触るようなことでもやってしまったんだろうか。特に心当たりは無いのがまた困る。いっそダメ出しでもしてくれればわかりやすいというのに。
悩んでいても仕方がないので、溜息を噛み殺して和人の部屋に向かう。気分を変えよう。今日から2泊3日、海の見える別荘へ出発だ。
爺様の別荘があるのは、ここから車で3時間程度の海岸沿いだ。ガルパンで一躍有名になった大洗のほど近く。別荘からは海が一望出来て、さらに海まで徒歩3分。
遠浅の海で、波も穏やか。それなのにあまり人が居ないのは、交通の便がひたすらに悪いからなのだろう。海へ向かう道は私道のため、木製の交通手形なんてものを見せて通る必要があったりする。このデジタル全盛の時代にまさかのローテク。まるで江戸時代の関所みたいだ。
階段を上り、突き当り左の和人の部屋へ。ねぼすけはまだベッドの上で寝息を立てていた。夏場だけあって薄手のパジャマに、毛布1枚かけているだけ。相変わらず異様に寝相がいい。寝返りとかどうなってるんだろうコイツ。
「……おじゃましまーす」
そう呟いてベッドに乗る。そのまま和人のおながの上あたりに、またがるように腰を下ろす。これちょっと、いやだいぶ恥ずかしいな……。
そのまましばらく寝顔を観察する。いい夢でも見ているのか、わずかに微笑んているように見えた。
こうやって寝顔を見るのも日課になっている気がする。10分でも20分でも、ただ眺めているだけで幸せで。なのにこれから朝ごはん。
名残り惜しくはあったけど、料理が冷えてしまうのもいただけない。肩に手をかけて揺さぶると、和人はゆっくりと目を開いた。
「……何やってるんだ?」
「幼馴染キャラの起こし方のお約束だって聞いたんだけど」
間違ってる? と首をかしげて見せると、コイツは少し困った顔で。
「毛布一枚ですと、お尻とかふとももの感触がわりとダイレクトにですね」
即座に飛び退いて、コイツの足元付近で正座する。今の自分の格好を確認すると、白いシャツワンピース。スカートは膝上丈。またがるとき、スカートを気にせずそのまま座ったような気が。これだから防御力低い服は!
「つまり、何が言いたいかというと。……柔らかかったです」
「うっさい! バカ! ヘンタイ! 死ね!」
「自分からやってきておいて理不尽すぎる!?」
「いいからさっさと起きろ!」
毛布を剥ぎ取って丸めると、そのまま両手で、和人の顔めがけて投げつける。
自分でも理不尽だと思う。でも、これはただの照れ隠し。別に本当に怒っているわけじゃない。それがわかっているから、コイツも安心して笑っていられるのだろう。いつも慌てるのは自分ばかりで、むしろそっちが理不尽だ。
パジャマのままの和人が、タイニングのテーブルについたところで朝食となった。
メインはさっき作った、たまねぎと豚肉の卵とじ。それにブロッコリーと卵のスープ。春菊のサラダと菜の花の白和えは昨日の夜の残りらしい。
「今日の朝ごはんも響ちゃんが手伝ってくれたのよ」
ニンマリとした表情でおばさんが、和人に向かって話しかける。
「気立ても良くて、料理も上手で、おまけにとんでもない器量よし。こんな子が幼馴染とか、あんた恵まれすぎでしょ」
あの。あの。いくらなんでも褒めすぎじゃないかと思うのですが。
毎日のように繰り返されるこの褒め殺し、精神的にかなりきつい。褒められて悪い気はしないのは最初だけ。1週間もすれば、穴があったら入りたいという言葉の意味がわかるはずだ。
救いを求めるように、隣に座る和人の方を見ると。
「ずいぶん気に入られてるな。未来の奥さん」
「その話はやめてええええ!」
慌ててコイツの口を塞ごうとするも、時既に遅し。
「え、なになに。お母さんそれちょっと気になるんだけど」
一番聞かれちゃいけない人に聞かれてるし! なんで女の人っていくつになってもこういう話が大好きなのか。キラキラと目を輝かせて迫ってくるおばさんから、逃げるように席を立つ。いや、立とうとした。
腰を半分浮かせたところで、肩に手が乗せられて、そのまま椅子に逆戻り。
ごくりと喉が鳴った。
2ヶ月も前の話ですし、あのときは自分も舞い上がってどうかしてたと思うんで、ここは一つ穏便に済ましてはいかがでしょうか。なんて。その。
「詳しく聞かせてくれるかしら?」
笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点である。マンガで見た言葉ではあるけれど。
――なるほど。
その4文字だけが頭に浮かんだ。間違いない。あれは捕食者の顔だ。
頬に手を当てて、満面の笑みを浮かべたプレデター。狩るのはエイリアンだけにしていただきたい。
そういや最近、叔父の店にエイリアンvsプレデターが入ったっけ。あのゲームは版権の問題もあって、未来永劫移植の予定が無い。そのせいもあって、基盤の流通価格が高止まりしているそうだ。
ゲームとしてもベルトアクションの最高峰と言っていい出来で、続編が作れないのが実に惜しい。とにかく操作感が抜群で、大量の敵をなぎ倒す爽快感はまさに無双。
通常技キャンセル必殺技にダウン追い討ち、制限はあるものの標準装備の飛び道具。多彩な動きはまるで対戦格闘ゲームのよう。特にテクニカルキャラのリン・クロサワに至っては、全盛期のアークゲーを彷彿とさせるほどのコンボっぷりが、いまでも語り草となっているほどだ。
これはもう、プレイしに行く他はない。
「えっと、これからちょっと野暮用が」
いや。もう、ただの現実逃避でしかないのはわかってるんだけど、ワンチャン通ったりしませんか。
「逃げられると思ってる?」
……ですよねー。
唐突にレトロゲームの宣伝をしてしまう病。
カプコンのAVPのアクションフィギュアが今になって発売されるらしいですよ。
これはワンチャン移植ありますよね!?
更新は……なんとか週1回くらいを……。