After 2-2.水着を買いに
「あはは! やめてよお腹痛い!」
目の前で吉植さんが爆笑していた。周囲の客からの視線に怯みそうになる。お願いだから静かにしてほしい。
「それで、実は九重くんは九重さんでした、と。噂では聞いてたけど実物見るとインパクトあるね。いや、見かけたことは何度もあるんだけど、まさか九重くんだとは思わないし」
「ちょっと、周りの目が痛いんで、抑えてもらえない……かな?」
「ごめん無理! あーおかしい」
そんなに笑うようなことなんだろうか……? ちょっと傷つく。
「こんなにかわいくなっちゃって。なんだかバカにされた気分だよ」
そう言って、壊れた笑い袋みたいに笑い続ける吉植さん。同じテーブルには、少し心配そうな顔をした理恵ちゃんと、きょとんとした顔をした我らがクラス委員長、七瀬 牧絵さんが同席中だ。
オレたちは今、スタバに居る。軽く自己紹介なんかした後、興味津々な吉植さんに質問責めにされ、話して問題ない範囲で近況を軽く伝えたりしたところ、あの爆笑が待っていた。
詳しいことは何も話していない。話せない、が正しいか。ほとんど相手の想像にお任せする形だ。委員長も居るし、そうしないと後々で面倒なことになりかねない。
それにしても。それにしても思う。どういう想像をすればあの爆笑につながるのだろうか。いくらなんでも3年ぶりに会った人相手に、あれは失礼ではなかろうか。
息を切らして笑い続ける吉植さんを眺めながら、アールグレイフラペチーノのを一口だけ飲み込んだ。シフォンケーキのような甘みが、イライラを包んで喉の奥へ落ちてゆく。やはり甘味は正義だ。
もう一口含んでほっと一息。そろそろ酸欠になりそうな吉植さんを止めるべきだろう。適当に何か話でも振ってみようか、そう考えて声をかける。
「そういえば吉植さんは――」
「まどか」
今日は何しに来たの? と続けようとしたところで割り込まれた。
「うん?」
「まどかでいいよ。あんまり今の苗字好きじゃないんだよね」
その様子は、少し不機嫌なようにも見えた。ちょっと気になる単語が台詞の中に混ざっていたけど、触れるときっと面倒なことになる。ここはスルー安定だ。とりあえず、言われた通りに名前で呼びかけて顔色を伺う。
「……じゃあ、まどかさん?」
「固いなあ……。でもま、なあに? 響くん?」
まだちょっと不満そうだ。模範解答は呼び捨てもしくはそれ以上。それ以上ってなんなのか、コミュ力不足にはわからない。ハードルの設定が間違っているような気がしなくもない。
それにしても、名前で呼ばれることには慣れている筈なのに違和感があった。少しだけ考えてすぐに思い至る。響くんなんて呼ばれるのは小学生以来だ。久しぶり過ぎて、なんかちょっとムズムズする。
咳払いを一つして、あらためて吉植さん……もとい、まどかさんに話かける。
「ところで、今日はどうしてここに?」
「特に理由はないんだけど、強いて言うなら思い出作り? こんな面白いことになるとは思ってなかったけど」
「思い出作り?」
思わず聞き返してしまった。これもスルー安定だったような気配がする。さっきからいろんなところに地雷が見え隠れしている。会話のキャッチボールじゃなくて、会話のマインスイーパーをやっている気分だ。
「そんなことどうでもいいじゃない。それよりも今日は何しに来たの? せっかくだからついて行っていい?」
テーブルの上にぐいぐいと身を乗り出してくる。その胸元が嫌でも目に入る。小ぶりで控えめ、下着の柄までよく見えて。これは、注意したほうがいいんだろうか。
「……響くん?」
「うん? なんでもないよ」
ここは胸に納めておこう。何も見なかったし気付かなかった。それが一番。面倒なことには触れないに限る。せっかく話題まで変えて貰ったんだから、思い出作りのことも忘れてしまおう。
「えっと、じゃあ1つづつ質問に答えるね」
指を1つ立てる。
「今日は水着を買いに来たんだ。その後の予定は未定だけど、委員長は用事があるんだっけ?」
「家事が残ってるのよ。弟たちのために晩ごはん作ったり、塾に迎えに行ったりしないといけないから」
言葉とはうらはらに、どこか嬉しそうな調子でそんなことを言う委員長。彼女には8歳と12歳の弟がいる。そして、実はかなりのブラコンである。
話すようになるまでは、こんな人だとは思ってもみなかった。定期的にスマホに送られてくる弟写真。一体どんなリアクションを期待されているのだろう。怖くてまだ一度も返信していない。
「写真増えたんだけど、見る? ほんとかわいいのよ」
スマホを取り出そうとする委員長に、理恵ちゃんが飛びかかった。あれが始まると長いので当然の対応だ。
そんな様子を眺めながら、まどかさんが可笑しそうに笑う。それなのに、その横顔はとても寂しそうに見えた。不思議に思ってまばたきを数回。横顔に陰りは見えない。見間違い?
視線に気がついた彼女がこちらに顔を向けた。それを合図に指を2つ立てて、みんなに声をかける。断るつもりなんて、最初から無かったんだから。
モールの多目的広場は、完全に水着に埋め尽くされていた。25メートルのプールなら丸ごと入ってしまいそうなスペースに、これでもかと言わんばかりに並べられた水着。夏とはいえ、これはやりすぎではないだろうか。
面積的には女性向けが8割、男性向けが2割といったところか。男物の水着と違って女物はファッションとしての側面が強いから、こういう比率になるのも仕方ない。
そう、これはファッションなのだ。男の子だった頃のように、598円の海パンで夏を乗り切るなんてことは出来やしない。言うなればこれは戦装束。今年もまた、負けられない戦いが待っている。気合だけなら十分だ。
色とりどりの大量の女性用水着に圧倒されて、気が引けていたのも昔のこと。母さんと姉に両手を掴まれて、引きずられてここに来たオレはもう居ない。人間成長するものだ。
「とりあえず、一通り回ってみる? まどかさんは見るだけになっちゃうけど」
「大丈夫。見てるだけで楽しいから」
そう言って屈託なく笑う。やっぱりさっきの寂しそうな横顔は、見間違いだったんだろうか。
「それに、響くんの水着姿にも興味あるし」
妙なところに興味を持たれてしまった。同性の水着なんて見慣れてるだろうし、自分の水着姿を思い浮かべてみても、そんなに面白いものとは思えない。ということは。
答え合わせをするかのように、耳元に顔をよせてくる。
「実は女装だったりしないの?」
「まさか」
彼女も本気で言っているわけではなさそうだ。他愛ないじゃれあい。笑いながら、くるくると舞うように離れてゆく。
「ええと、じゃあとくに反対もないみたいだし、みんなで回ろっか?」
ここで立ち止まっていても迷惑なだけなので、ぞろぞろと移動を開始する。ちょうど4人。まっすぐに並んでドラクエのパーティみたい。学生という名の遊び人。まだ将来のことはわからないけど、あぶない水着を求めてやってきた。
下らないことを考えてるなと思いつつ、歩きながら目ぼしい水着をチェックする。スペースが広いおかげか、とても見やすく並べられていた。所狭しといった感じではなく、きちんとディスプレイされていて個人的に好感が持てる。
理恵ちゃんと委員長はワンピースから選ぶみたいだ。2人がワイワイと騒ぎながら選んでゆくのを見ながら、自分もいくつか手に取ってみる。どちらかと言えば、見られても平気なのはワンピース。現状を考えればここから選ぶべきだろう。
それなのに、赤い服を着た弓兵の言葉が頭をよぎる。
――忘れるな。イメージするのは常に最強の自分だ。
フリルたっぷりでそこはかとなく布地が多め。パレオもついていて露出がかなり抑え目になっているワンピースをカゴに入れた。このくらいなら見られても平気だろう。最強ではなく妥協だけれど、理想を抱いて溺死するよりマシなはずだ。
他にも気になる水着はあったものの、予定通りワンピースの売り場から移動してビキニ売り場へ向かう。
マンガなんかでは、水着が布切れ1枚みたいな描写をされていることがある。実際はそんなことはなくて、カップをワイヤーで補強して形を良く見せていたり、裏地にはポケットがあってパッドが入っていたりする。たいていは薄いパッドが標準装備だ。
ワイヤー入りは……シンデレラ的には哀しみを背負ってしまう可能性があるので注意が必要だ。
今年の候補としてはフレアトップのものが本命で、オフショルダーのものやアメリカンスリーブも悪くないかなって考えてる。去年と同じなら、試着室への持ち込みが3点までに制限されているはずなので、あと2点。
見てすぐに、オフショルダーは動きにくそうだから除外した。結局、ワイヤーなしのフレアトップを2点、水色と白でチョイスした。
試着室の個室に入りカーテンを閉める。上着を脱いで、備え付けのカゴの中に入れた。ブラを外して水色のフレアトップの水着を身につける。サイズは大丈夫。
下については、自分は下着の上から試着するタイプだ。話を聞いてみると全裸派も居るらしい。他人が試着した可能性があるものを直接って、なんか嫌じゃない? 考え過ぎなのかな。
スカートを脱いで、軽くたたんでカゴの中へ。雑に丸めると変なシワになる。ショーツの上から水着をつける。紐で結ぶタイプに見えるが、紐の部分はファッションなんでほどけたりはしない。ていうか、そんな簡単に脱げる水着とか危険すぎる。
鏡に目を向けて軽く腰に手を当てる。昔は鏡を見ることすら嫌だったのに、いつのまにか平気になっていた。たぶん、鏡に映る自分の姿を認められなかったんだと思う。それなのに、今は女の子になったことに感謝すらしているくらいだ。
この水着姿を見たら、アイツはどんな反応をするんだろう。褒めてくれるといいんだけど、そういうことには気の利かないヤツだ。期待はしない方がいい。それに、まずは見て貰えないと始まらない。
付き合いはじめるまでは、この程度なら見られても平気だったのに、素肌も下着姿も、一度恥ずかしいと思ってしまったらもうダメだった。ある意味それまでが異常だっただけなのかもしれないけど、だからなのか、余計にもどかしさを感じてしまう。
アイツに見てほしい。それなのに見せられない。羞恥心は面倒だ。隠そうと思うから恥ずかしい。なんて考えていたことがあったのに一事が万事あの調子。生理の話なんて今じゃもう絶対無理だ。開けっぴろげにも程がある。
「うわ、ほんとに女の子だ」
カーテンがすこし引かれて、隙間からこちらを覗いている人と鏡越しに目があった。
「……まどかさん?」
さっきのやり取りがあったから、やりそうな気はしていた。
「思うんだけど、水着と下着って何が違うの?」
「……まどかさん?」
「つまんない。恥じらいが足りなくない?」
「そうですかありがとうございます」
カーテンを閉めた。試着室のあるコーナー自体が仕切られてるから、外から見られる心配は無いとはいえ、あまり気持ちのいいものではない。
水着を脱いで次の試着に移る。白い水着って昔は透けたって聞いたことがある。この白のフレアトップは大丈夫なのだろうか。だからといって、水着を握りしめたまま考えこんでも答えは出ない。
「……そういえばさ、この後って予定ないんだよね?」
鏡の前で唸っていたら、カーテン越しにまどかさんの声が聞こえてきた。さっきまでとは違う、少し硬い声。
「……ないけど、どうしたの?」
「ちょっと時間貰えない? 2人だけで」
「……え?」
「他の2人も納得してくれたから……」
いったい何の用だろう。あの2人が居たら話しづらいこと? 会話の中のいくつかのキーワードと、寂しそうな横顔が思い浮かぶ。
知らない人ではない。そうはいっても今日再会したばかり。小学生の頃の印象のままとは限らない。いきなり2人だけというのも難易度が高い。
それでも。
「……だめ……かな?」
こんな声で聞かれてしまっては。
断ることなんて出来なかった。自分でもバカだなって思う。厄介事の匂いがプンプンする。
「……いいよ。どこか行きたいところでもあるの?」
腹をくくるとしよう。自分で蒔いた種だ。