After 1-1.恋ってなんだろう
時系列としては15話の直後からとなります。
大会も無事終わり、皆がそれぞれ思い思いのことをしだした頃。中村さんの厚意で化粧を落として貰ったオレは、和人と二人、二次会には参加せずに帰ることにした。
二次会では、大会参加者にその日使用した筐体をフリープレイで提供されるんで、今日のキレッキレだった和人と対戦したがってたヤツらにはちょっと申し訳ない気持ちになったけど、そんなことより早く二人きりになりたい気分だった。
手をつないで駅までの路を歩く。コイツのほうが背がだいぶ高いせいか、オレがちょっと肘を曲げるような形になる。そうしないとコイツがオレの手首を掴むような感じになるんだよ。迷子か!
しかし、なんて言えばいいんだろう。手とはいえ、肌と肌が触れ合っているこの感覚は、すごくこそばゆい感じがする。もちろん物理的な意味じゃなくて精神的な意味で。
まだ自分の気持ちに気がついていなかった頃、コイツの手を引いて教室から昇降口まで歩いたことがあった。その時は気恥ずかしくてすぐに手を離してしまったけど、今は違う。
もっと触れていたい。もっと深くつながりたいという気持ちが、こんこんと湧き出してくる。
どうすればいいかなんて、わかりきっていた。
「ちょっと試したいことがあるんだけどいい?」
一言そうことわって、手のつなぎかたを変える。互いの指と指を絡め、手のひらを密着させた、いわゆる恋人つなぎ。
普通につないだだけではわからない、手のひらの大きさや、指の節くれだったところやがダイレクトに伝わってくる。
これ、いいかも……。なんていうか、つなぐというより、結ばれているような、そんな安心感がある。
でも、人を避けるときとか、曲がり角とかで関節技みたいに変なふうにキマることがあるのがやや難点だけど。あれだな、しっかりホールドするせいで角度的な遊びが全然無いんだ。とっさに離すことも出来なそうだし、転んだりしないように気をつけないと。
「これもはじめてか?」
「ううん、理恵ちゃんとふざけてつないだことがあるよ?」
「…………」
ありゃ。むすっとしちゃった。コイツ意外と独占欲強いのか……?
それならばと、腕を組む、というか抱え込むようにして密着してやる。押し付けられた胸の感触にあたふたするが良い!
「……ふっ」
おいなんだその冷笑は。背中にあてたときは慌ててたくせに。
まあ、でも。腕を引っ張って頭を下げてもらい、耳に顔を寄せて囁く。
「これはほんとにはじめてだよ」
機嫌がなおった。ちょろいな。
……それにしても、おまえのはじめてが全部欲しい、なんて言われたわけだけど、つまりやっぱり、そういうことだよね……?
そういうことをするのが嫌なわけじゃないけど、心の準備がとかいってたらなんかタイミングを失いそうだし、それじゃあ軽い気持ちでとかとてもじゃないし、避妊とかも考えなきゃいけないし、でも子供は二人ほしいな、男の子と女の子1人づつ、小型犬もいっしょに飼ったりして、抜け毛が少ないのがいいんだっけ、そうなるとトイプードルとか、なんだかよくわからない方向に想像が飛んでいってる気がする。どうしよう、どうしよう。
「今日両親が同窓会で夜遅くまで帰ってこないんだけど、来るか?」
2フレで頷いた。何度も何度も頷いた。
学校休んで寝込んでる間にした妄想が、すごい勢いで現実になっていってる。なんだろう、これ、こんなことあっていいんだろうか。
それから、電車に乗り、駅を出て、コイツの家に着くまで二人共無言だった。
つないだ手がじんわりと汗ばむのを感じた。
エアコンの音と、時計の音がやたらと響く部屋の中。オレは定位置のクッションの上に座って、そわそわと落ち着きなく辺りを見渡していた。
久しぶりに入った和人の部屋。十日ぶりくらいになるのか。こんなに来なかったことは今までで無かったことで、そのせいか普段見慣れたはずのものが妙に新鮮に見えて困惑する。
スライド式の大きな本棚に、勉強机とそれに不釣合いなゲーミングチェア、テレビにPS4やWiiUといったゲーム機類、やや大きめのがっしりとしたテーブルにMad Catzのアケコンが乗っている。ここまではいい。そしてベッドが一つ。
そこにベットがあるだけで意味深に見えてくるから重症だろこれ。どんだけ脳内ピンク色に染まってんだよ。
アイツは今、飲み物を取りに行っている。家の中はしんとしていて、アイツ以外の人の気配を感じない。なるほどアイツは一人っ子だし、両親が同窓会なら家に誰も居なくて当然だろう。
そういうことをするのが嫌なわけじゃない、これは本当だ。でも、そういうことをする覚悟があるかと言われたらどうなんだろう。抱きしめられるのも、キスされるのも嫌じゃなかった。……でも。
その先に進むとして、もし、反射的に拒絶してしまったら……? そう考えると怖くなる。もう完全に消えたとばかり思っていた男の頃の自分がどこかに残っていて、それが拒否反応を示したら?
もしそんなことになったとしたら、アイツはどう思うだろうか。きっと自分を責めるに違いない。そういうヤツだ。だから好きになったんだから。
アイツにそんな思いはさせたくない。ならば、オレ自身が絶対に大丈夫だと断言出来るまで、そういうことは無しにした方がいいだろう。
……冷静になってみると、あそこで頷いてしまったのはさすがにがっつき過ぎだったかな、なんて思ってしまう。そもそもアイツはそういう意味で言ったんだろうか? いつものようにウチに来るか、って問いかけに余計な情報を追加してくれただけかもしれないし。
だいたい付き合いはじめて……って、あれ? 付き合いはじめたって認識でいいんだよな? プロポーズされたわけだし。結婚を前提にお付き合い……でいいんだよな。うわ……言葉にすると破壊力高いなこれ。たぶん、すっごいニヤケた顔してる。とてもお見せ出来ないやつだ。
……まあ、なにはともあれまだ初日、そんなに焦る必要はないはずだ。自分たちのペースで進めばいい、なんて考えるのだけど、それがわかれば苦労はしない。しばらくは手探りで試行錯誤することになりそうだ。
――それにしても。
目の前のテーブルに肘を預けて頬杖をつく。
恋ってなんなんだろう。
恋心を自覚してからの日々は、妙にネガティブになったりポジティブになったりで、ジェットコースターみたいな感情に振り回されてばかりな気がする。今なんてポジティブとかそういう次元を通り越して、ヤバい薬でもキめてるのかってくらい幸せで、正直いまだに理解が追いつかないくらい。
……アイツに告白されたんだよな。いまだに夢でも見てるみたいで、地に足がつかないようなフワフワした感覚。これで本当に夢だったら一生立ち直れない気がする。ダメだ、考えただけで悲しくなってくる。今すぐ幸福を補給しなきゃいけない。市民、幸福は義務です。
よくわからない使命感に突き動かされ、立ち上がって辺りと見渡す。
そして目に入るベッド。
迷わずダイブした。
ボフッという音とともに体が沈み込む。アイツの匂いがする。胸いっぱいになるまでそれを吸い込んで理解してしまった。妙に寝心地がいいと感じたその理由を。
アイツに包まれてるような感じがする。別に自分は匂いフェチじゃなかったはずなんだけど、もう匂いフェチでもいいかなって思うくらい。……これは危険だ。
ゴロゴロと悶えるようにベッドの上で枕を抱えて転がり続けていると、戻ってきたアイツを目が合った。
……あ、これ知ってる。呆れてる目だ。
「えっと……ちがうんだよ?」
「……俺はたまにおまえがわからなくなる」
「……うん、自分でもよくわからない……」
和人は持っていたトレイをテーブルの上に置くと、もう一つのクッションの上に腰を下ろした。トレイには氷とコーラの入ったガラスのコップが2つ、それに封の切られていないポテチが1袋。
そこでこっちを見て、何かに気がついたのかちょっと驚いたような声で。
「……随分かわいいの着けてるんだな」
「ほえ?」
……何を言ってるんだろうコイツは?
首を傾げつつ、コイツの視線に促されるままに、自分の姿を確認して――。
ワンピースの裾がめくれて丸見えだった。慌てて飛び起きてベッドの上で正座する。これなら万が一にも見えないから大丈夫。抗議の意味を込めて上目遣いに睨んでやる。
「み、み、み、み、み、見た!?」
セミか!
……あれ? おかしいな。ちょっと前だったら、役得だったでしょ? くらいに軽く流せたのに、なんでこんなに動揺してるんだ。いやでも、今日の下着はとびきりかわいいの着けてきたし、ある意味予定通りといえば予定通りだし、かわいいって言って貰えたし! ああ、もう何がなんだかわかんない!
それなのに。
「ばっちり見た」
……なんでコイツはこんなに余裕あるのさ……?
「……ずるい」
「どうしたんだ?」
「……こっちはこんなにいっぱいいっぱいなのに、和人は余裕あって」
膝の上で枕を縦に抱えて顎を乗せる。
「たぶん、テンパってる人を見ると逆に落ち着くってヤツじゃないか」
「なんか納得いかない……」
ぐずっていても仕方ないってのはわかってるんだけど、ほんとなんなんだろう。
こんなに幸せでいいのかな、ってくらい幸せでいっぱいなのに、同時に不安でたまらなくて、ちょっとしたことで不機嫌になって。少しビターなのに、蕩けそうなくらいに甘い。
……恋って、なんなんだろう。
1フレームは1/60秒です。2フレはつまり1/30秒、だいたい0.03秒。人間の反応の限界がだいたい10フレと言われています。