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15.ずっと一緒に

 ……負けちゃった。


 指が固まってレバーから離れなかった。周りから見ればただの代表者決定戦でも、オレやアイツにとって大きな意味を持った一戦だった。


 格ゲーの神様はしみったれだから、試合中に他のことに気を取られるようなプレイヤーを勝たせてくれたりはしない。だからこれは当然の結果だ。


 和人が筐体の裏から姿を表した。


「俺の勝ちだな」

「……うん」


 上の空のまま、どうにかそれだけ絞り出す。


「少し、場所を移していいか? 話したいことがある」

「……うん」


 固まったままの指を、一つ一つ引き剥がすようにレバーから離して立ち上がる。次の試合の呼び出しがどこか遠くのことのように聞こえた。


 立ったまま呆けていたところを、アイツに背中を押されるままに移動する。


 ……こんなにショックだとは思わなかった。勝とうが負けようが変わらないだなんて大嘘だ。完全に出鼻をくじかれてしまった。


 店の外に出る。そのまま裏手にある自販機コーナーの前まで歩く。そこでアイツの手が背中から離れた。


「……あ」


 背中に感じていた熱が消えてゆく。なんでそれをこんなに寂しいと思ってしまうのかわからずに声を漏らす。どんどんネガティブになっている気がする。こんなんじゃダメなのに。


 ――オレは、前に進むって決めたはずなのに。


 無意識に、心のレバーを後ろに倒してた。


 切り替えろ。まだ間に合う。いつまでも呆けている場合じゃないだろう。


 今日、アイツに告白すると決めていた。覚悟は出来てるつもりだ。うじうじと悩んでばかりいるのはオレのキャラじゃない。だから――。


「俺の話を聞いて欲しい」


 心のレバーを前に入れようとしたとき、アイツの声がそれを遮った。視線を上げてアイツの顔を見ると、何時になく真面目な顔をしていた。


 ……こんな、顔できたんだな。今頃になってはじめて知った。きっとオレの知らない表情がまだ沢山ある。その全てを見たいと思うのは、欲張りすぎだろうか。


 何を話す気なんだろう。長い沈黙がじれったい。話しにくいことなんだろうか、と考えてゾクリとした。嫌な考えばかり浮かんでくる。まだ、そうと決まったわけじゃないのに。


 咳払いを一つして、アイツがオレの目の前に立った。


 空気が変わった。不安で押しつぶされそうになる気持ちを、必死に支えながら次の言葉を待つ。


 表の通りを大型車が走ってゆく音が聞こえる。その音が消える頃、アイツは口を開いた。


「……俺はもう、おまえの親友のままでいられそうにない」


 反射的に足が動きそうになった。逃げ出してしまいたかった。それでも、ワンピースの裾をぎゅっと掴んで踏みとどまる。


 ……やっぱり、これはそういうことなんだよな……。わかってはいたけれど、だいぶ堪える。涙がにじんで視界がぼやけてゆく。


 なんだか最近泣いてばかりだ。自分がこんなに涙もろいなんて知らなかった。


 ……泣くなオレ。泣いてどうにかなるのなら、いくらでも無様に泣きわめけばいいだろう。けど、実際にそんなことをしてもアイツを困らせるだけだ。


 だから笑え。どんなにその顔が歪んでたとしても笑うんだ。


「知ってるよ……あのセンパイと付き合ってるんでしょ」

「……は?」

「オレなんかよりずっと女らしいし、綺麗だし、いいんじゃないか……?」

「待て」

「なかなか言えなくてごめん……おめでとう、お……お似合いだと思う……」


 泣かないで、笑顔でちゃんと言えただろうか。最後の方ちょっと鼻声になってしまった気がするけど、大丈夫だっただろうか。


 本当はこんなこと言いたくなかった。こんなこと認めるなんてまっぴらごめんだ。でも、嫌な人間だと思われたくなかった。だから、自分に嘘をついて思ってもいないことを口にした。


 もっと素直に気持ちを伝えたかった。本当はたった一言、真っ直ぐに伝えられればそれで良かったのに。


 アイツの心がオレに向いていなかったとしても、たとえ迷惑だと思われたとしても、この気持ちを伝えると決めていた。そのはずなのに。


「待て待て待て! 盛大に勘違いすんな!」


 気がつけば、アイツに肩を掴まれていた。少し痛いくらいの力で。


「佐藤先輩とは付き合ってない!」


 嘘だ。だって、センパイの告白に頷くところを見た。見間違いじゃない。聞き間違えじゃない。あれは現実だった。


「嘘つかなくて……いいよ。だって……見たんだ。センパイから……告白されるところ」


 優しい嘘なんていらない。そんなの残酷だ。


 勘違い、しそうになる。


「たしかに告白はされたけど、一昨日きちんと断った!」

「じゃあなんでセンパイと一緒に居たの!?」


 ……叫ぶつもりはなかった。こんなのヒステリーでしかない。ただの友達でしかなかった自分にアイツを責める資格はない。いつ誰と居ようがアイツの勝手だ。


 それなのに、アイツのことを一人占めしたいという感情が理性の邪魔をする。はじめての感情に戸惑いつつも本能的に理解する。これは嫉妬だ。なんてめんどくさい人間なんだろうか自分は。


 なんでこんな感情が存在するんだろう。あまりにも自分本位で、醜くて、汚くて、嫌になる。やきもち、なんて言い換えればかわいらしく聞こえるけど、これはそんな生やさしいものじゃない。


 容易に、誰かへの憎悪になりうる感情だ。それに気がついてしまい愕然とする。こんな自分は嫌だ。知りたくなかったのにわかってしまう。自己嫌悪に陥りかけたそのとき、アイツの声に遮られた。


「先輩に言われたんだよ。一週間で何とも思わなかったら諦める。だからその間は自分だけを見てほしいって」


 アイツの腕に力が入る。掴まれた肩が痛み、思わず身じろぎする。痣になってるかもしれないな、なんてどこか他人事のように考える。


「一週間たっても何とも思わなかった。それどころか、おまえといっしょに居られないのが辛くて、イライラした」


 目の前にアイツの顔があった。吸い込まれそうなほど真剣な眼差しに、オレだけを映して、懸命に何かを伝えようとしていた。


 それを見ただけで、さっきまでオレに渦巻いていた置き所のない感情が落ち着いてゆく。少なくとも今この瞬間(とき)は、オレだけを見てくれている。それだけでいいなんて、どんだけ安っぽい、そんな自嘲をして――。


 ――待て。


 今、なんて言った?


 聞き間違いだろうか。いや、そんなはずはない。


 イライラした? オレといっしょに居られなくて? それって、つまり。


 期待してもいいんだろうか。望んでもいいんだろうか。オレみたいな半端者が、そんな分不相応なことを。


「それで、わかったんだ。俺が好きなのはおまえだって」


 ……期待してた言葉なんて、吹っ飛んでしまった。


 あまりのことに理解が追いつかない。ちょっと待って。待ってよ。だってこれは。


 夢にまで見た言葉。


「……嘘」


 こんな都合のいい話があるはずがない。アイツが……和人がオレのことを好きだなんて。


 いつから自分は、夢の中に迷い込んだのだろう。まだ布団の中で熱に浮かされながら、幸せな妄想に浸っているんだろうか。


 ……いや、そんなことは無い筈だ。レバーと画面を通してコイツと語り合ったあの試合が、紛れもなくこれは現実だと訴える。


 本当に、現実だとしたら……? 嘘ではないとしたら……?


 信じたい。信じたいのに、信じられない。頭の中はぐちゃぐちゃで感情ばかりが高まってしまう。


 だから――どうしようもないくらい、信じさせてほしかった。


「はは……どうすりゃいいんだよ……」


 途方に暮れたような声。


 少し無茶を言って、困らせてやるだけのつもりだった。だって口だけならなんとでも言える。どうせ出来やしないだろうとたかをくくっていた。


 信じさせてほしい、なんて望んでおきながら矛盾ばかりだ。でも、だからこそ一周回って素直になれたのかもしれない。


「……抱きしめて、好きだって言って、キス……してよ……」


 あっという間だった。抱きしめられて、耳元で囁かれた。


「好きだ」


 何かを言う前に、顎を持ち上げられて唇を塞がれた。目の前に目を閉じた和人の顔がある。口の中に何かぬるりとしたものが潜り込む感覚があった。


「んー!?」


 思わず体をよじるが、暴れようにも強く抱きしめられていて動けない。ていうか、舌……だよなこれ。もっと気持ち悪いと感じるんじゃないかと思ってたのに。


 体の力を抜く。オレはそれを受け入れて、目を閉じた。口の中が蹂躙される。足が震えて立っていられなくなる。粘性を持った水音が耳の奥に響いて脳をかき乱す。


「……ぷはっ」


 唇が離れ、唾液が糸を引いてこぼれる。無意識に息を止めていたみたいで、体が酸素を求めていた。あえぐように荒い息をつきながらアイツの顔を見上げると、自然と見つめ合うような格好になった。


 ……冗談や勢いだけでこんなことできないヤツだってのはわかってる。だから、きっと、信じてもいい。


「……舌入れた……」


 唇に手を当てると、濡れているのがわかった。


「……キス、はじめてだったのに」

「俺は、おまえのはじめてが全部欲しい」

「……黙れバカ、ヘンタイ」


 大真面目な顔でおかしなことを言われてちょっと混乱する。まさか、本当にキスされるなんて。だって、アイツにとって元々は男同士で……。


「……気持ち悪くないのか……? オレ、元々は男だったんだぞ」

「おまえはバカか?」

「……え?」


 バカなことを言ってるつもりなんてなかった。オレは本気で不安で――。


「おまえは俺が気持ち悪いか? 抱きしめられてキスされて、どうだった?」


 あ……。もう一度、唇に手を当てる。


 ……たしかにバカだったのかもしれない。なんでこんな簡単なことがわからなかったんだろう。


「……気持ち悪くない」

「じゃあそういうことだ」


 呆けたように、抱きしめられたままの距離で和人の顔を見つめる。惚れた弱みだろうか、それとも蓼食う虫も好き好きってヤツだろうか。コイツがとんでもなく魅力的に見えて仕方がない。くそう……昔のオレと同じ醤油顔のクセに。


 コイツの手がオレの髪を優しく撫でる。それがちょっとくすぐったくて目を細める。


「一目惚れだったんだと思う。元々一緒にいるだけで楽しかったのに、その上おまえは信じられないほどかわいくなった」


 それまでとは違う、落ち着いた声色で和人は語りだした。


 ……たぶんこれは、コイツの告白。


 黙って目を閉じて耳を澄ます。それなのに、たくましさを感じる腕の感触や、優しさの中に力強さを感じる手のひらの感触にばかり気を取られてしまって、ドキドキと早鐘を打つ心臓の音がうるさくて。


「おまえに嫌われないために必死だった。おまえが望んだから、俺は親友のまま居ようと思っていた」


 覚えてる。あの日あの病室で、オレはコイツが変わらないことを願った。


 そして、コイツは今までずっと、それを守ろうとしてくれていたんだ。


 もしコイツが居なかったら、あの時オレはどうなってただろう? 極端な話をすれば、自ら命を断つような、軽はずみな行動に踏み切らなかったという保証は無い。今オレが、折れず、曲がらずここに居るのは、きっとみんなコイツのおかげ。


「いい機会だと思ったんだよ。親友であり続けることを望まれているなら、いつまでもずっとそばにいられるわけがないんだ。どうしたって男と女なんだから」


 ……オレはいつまで、コイツが親友であり続けることを望んでいたんだろう。


 いつからだろう、親友より、その先を求めるようになっていたのは。


 一人占めしたい、一番でありたい、オレのことを気にかけてほしい、いっしょに居たい、もっと沢山喋りたい、そんなことばかり考えていた。呆れるほかない。だってこんなの、恋する乙女でしかないじゃないか。


「だから、少し距離を置くために先輩を利用した」


 この一週間の、にがくて苦しかった戸惑いの日々。


 でも、それが無かったらオレは自分の気持ちに気がつけなかった。きっと何かきっかけが必要だったんだ。コイツの言うとおり、いい機会だったのかもしれない。だから悪いことばかりじゃなかったんだと思う。


「ところか結果はさっきも言った通りだ。どうやら俺は自分が考えてる以上に、おまえのことが大切だったらしい」


 そう言って和人は、オレの頭をくしゃくしゃに撫で回す。きちんとセットしてきたのにもうほんとずたぼろだ。きっと髪はあちこちに飛び跳ねている。それなのに何でだろう、嬉しくてたまらないだなんて。


「緊張するな、これ。なんて言えばいいんだ……?」


 オレが聞きたいくらいだ。抱きしめられて、コイツの匂いにクラクラする。嗅覚というのは五感の中で最も原始的で本能的なものであるらしい。オレはコイツの匂いが好きだ。きっと本能的にコイツを求めている。


 コイツも緊張しているみたいだけど、今のオレなら何を言われても頷いてしまうと思う。だから、オレに聞かせてほしい。オレを安心させてほしい。


 そんなふうに考えていたら、コイツはとんでもないことを口にしやがった。


「響……俺と同じ墓に入って貰えないか?」

「プロポーズかよ!」


 思わず素で突っ込んでしまった。


「しかもプロポーズにしても最低だろそれ!」


 コイツはバカだ! 大バカだ!


「しょうがないだろ。好きだなんて今更過ぎるし。愛してるなんて陳腐過ぎる。俺はもうおまえが隣に居ない未来なんて考えられない。……なら、こう言うしかないだろ?」


 ああ、ちくしょう。なんかわかってしまうのが悔しくて、でも嬉しくて。我ながらチョロすぎないか? なんて思いながら。


「……言っとくけどオレ、すっごく重たいぞ」

「わかってる」

「それに、そんなに長く生きられないぞ」

「わかってる」

「たぶん、すっごい嫉妬深いぞ」

「わかってる」

「……それでもいいなら、明日も、明後日も、来週も、来月も、来年も、その先も、ずっと一緒にいたい……!」


 コイツの首に手を回して、顔を引き寄せてキスをした。勢い良くいきすぎて、歯が当たってちょっと痛かったけど、オレたちはまだ初心者だからしょうがない。これからは好きなときにトレモさせてもらうとしよう。


 それから、叔父と常連が探しに来るまで、感極まってずっと和人の胸に顔を埋めて泣いていた。化粧なんて涙で崩れてぐちゃぐちゃで、叔父には帰るように促されたけど、そのまま店内に戻って二人とも大会に参加した。じっとしていられない気分だった。


 泣き腫らしながらも手を繋いで帰ってきたあたりで、察しのいいヤツらにリア充爆発しろと言われたりした。何があったのか聞かれたので、素直にプロポーズされたと答えてやった。十年早い、と和人はボコられてたけど、みんな笑顔だった。


 大会は全戦でオレが負け続けて、和人が代表者戦含めて勝ち続けて、完全にマスコットの状態で優勝した。これもはじめての経験だ。


 大会終了後の集合写真の中央で、水色のワンピースと真っ白なカーディガンに身を包んだJKが、化粧の崩れた顔で笑っていた。我ながら最高の笑顔だったと思う。


 オレはきっとすごく幸運だったんだろう。神様の悪戯としか思えないような病気で女の子になってしまったけど、とても頼りになる親友が居てくれた。その親友は今、恋人になった。そしてきっといつか家族になる。


 いろんなことがあった。楽しいことも、辛いことも。嬉しいことも、悲しいことも。誓いの言葉じゃないけど、健やかなるときも、病めるときも、コイツといっしょに歩いてきた。そしてこれからも、共に歩きつづける。


 女の子になってよかった。はじめて今日、心からそう思った。





 お読み頂きありがとうございました。

 活動報告にあとがきを載せておきます。

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