亀裂
俺は走った。木の枝が顔を引っ掻こうと、岩を蹴り足を痛めても、その痛みすらも気付かずに走りまくった。
気付けば俺は森を抜け、村からも少し見えていた高台の崖に寝転がっていた。
頭の中で色々な考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返しぐちゃぐちゃになっていた。今まで世話になりっぱなしだった村人達には、あんな過去が秘められていた。
もしかしたら、誰か一人ぐらいは俺に殺意を向けていたとしてもおかしくはない。それだけの辛い過去を村全体で背負っていた。
元の世界では考えもしなかった、いや、考えていてもここまでの状態ではなかったであろう人種による差別、まさかここまでの精神的ダメージを与えてくるとはな…
考えたくもなかった…俺と同じ人間が種族が違う、見た目が違うからと、命を奪うことさえ正当化される程違っているなど…
不意に森の方から気配を感じた。あの部屋の本を熟読していたからだろう、自分の周りの気配が以前よりもハッキリと伝わってくる。魔力による気配感知、魔導書による基礎の基礎となる術であり、何の因果か俺の好適正魔法だった。
「…付いてきてたのか、シス」
木の影で、気配がビクッと反応した。気付かれてないと思ってたのか…
「…あ、あはは…やっぱり気付かれてたか。健次さんは気配感知が得意だもんね…当たり前か」
傍目から見ても無理してるのが丸わかりだ。今までのシスの笑顔とは違う無理に造った笑顔、それが酷く醜く、汚く、どす黒く見えた。
「サグワとの話を聞いてたのなら俺は言ったはずだぞ。一人にしてくれ、今は一人になりたいんだ…」
シスに背を向け、腕を枕にして寝そべったまま目を閉じた。
気配感知は、目を瞑っていても周りの状況が手に取るように分かる。シスの気配は離れるでもなく、おろおろするでもなく、確かな足取りで俺に近づいてきた。
シスは俺の隣に腰を下ろすと、俺と背中合わせになるように寝転がった。
「…何で俺を一人にしてくれない」
目を閉じたままシスに聞いた。シスは振り向かずに静かな口調で答えた。
「今の健次さんが、危ない状態だから、かな?」
危ない状態、曖昧ではあるが、実に的を射た答えだった。健次の頭の中は既に何も考えられない程に考え付くしていた。考えて考えて、深く、暗い思考の中に沈んでいた。
「…何で俺なんかを気に掛ける。俺は、お前の母さんを殺した奴等と同じ人間だぞ。」
「おじいちゃんも言ってたでしょ?確かに健次さんはお母さんを殺した人間と一緒、でも…」
言葉が一度途切れる。すると背中に柔らかな感触と共に、心地よい暖かさが身を包んだ。
「健次さんはその人達とは違う。私は知ってる、健次さんは獣人だからって嫌な顔をする人じゃない」
その言葉が俺を無性に苛立たせた。ガバッと起き上がると、シスに向かって怒鳴っていた。
「お前に!お前に俺の何が分かるってんだよ!!たかが1ヶ月ちょっと過ごしただけで!俺の全部を分かった気になってんじゃねぇ!!」
肩で息をしながら、今度は自己嫌悪という冷たい沼の様な思考へと沈んでいく。
そんな俺の怒号さえも、シスは黙って聞いていた。聞いた後に、更に付け加えた。
「目を見れば分かるよ。健次さんの目は優しい、暖かい目をしてるから」
俺達の居る高台を雲間から差す月明かりが照らす。月光に照らされ見えたシスの目は、あの時のサグワと同じ目だった。慈悲に満ち、慈愛に満ちた暖かい目。
しかし、そんなムードをぶち壊す無法者が一組、森の更に奥からその光景をジッと観察していた。




